第二章 ちょっと戦場いってくる
『水の世界』とかいう世界で出会った……いや、出遭った、『水害獣』は、名前も見た目も環境に悪そうな凶悪生物だった。
犬の形を取った、そいつを見た瞬間…俺は身震いを抑える事ができなかった。
水害獣は少しずつこちらに近付いてきている。
緊張のあまり脂汗を流す俺の横で、クールな表情をキープしようとするアズハが奴を睨み付ける。
「犬型……新種……?」
いや、新種だろうがなんだろうがなんでもいいけどさ……、そんな冷静に観察してないで逃げませんか?
アズハは申し訳無さそうに俯いた。
「すみません……。私では手に負えないかもしれません」
「……え?」
これは、ピーンチ!! 笑えないって……。連れてきたんだから責任ぐらい取ってもらいたいね。二人とも死んだら意味無いけど。
焦りを増していく俺の横で、あくまで冷静でいようとするアズハが、
「逃げましょう」
「是非ともそうさせてください(最初からそうしろ!)」
その間にも奴は少しずつ近付いていた。距離にしてザッと80メートルぐらいかな。こんな時に特技の目算が役立つとは……やれやれ世の中わからないもんだ。
アズハが体勢を低くし、右足を後ろに引く。逃げる為の構えのようだ。
「合図をしたら走ってください」
「は、はい……」
ドクンドクンドクン……。うざってぇ! 自分の心臓の音をここまで邪魔だと思ったのは初めてだ。俺も出来るなら冷静にいたいというのに体は正直だ。
その時だ。アズハの鋭い叫びが響く。
「今です!」
「ッッ!!」
余計な事を考えていて反応がワンテンポ遅れて俺は後ろを振り返り全力で走った。
後ろに人の気配。アズハはすぐに後ろに居るようだ。
「グォォォォオオォォォッッ!!」
逃げる俺達に向かって奴の咆哮が放たれる。後ろをチラッと確認すると、すぐ側にアズハの桃色の髪が靡くのが見え、約90メートル先に走り出す水害獣の姿があった。
相手は一応は獣、駆けっこでは分が悪い。その不利な条件を少しでも軽くするために、走りに集中する。
「変です……」
いつの間にか横に並んで走っているアズハが、ボソッと呟いた。ってか足速いな。
「何がです……?」
足のスピードを維持しつつ、アズハに尋ねた。
アズハは神妙な顔をし、
「あの噎せ返るような異臭がこんなに離れた位置まで漂っているという事は、体をしっかり形成できていない証拠です。つまり……生まれたて赤ちゃんのようなものなんです」
「はぁ……」
それは……また、とっても可愛らしいベイビーだこと。可愛過ぎて反吐が出ちゃいそう。
「幼体なのに……ここまでの威圧感に、外に漏れ出すほどの力。それに、あの犬型というのも見たことが無いです」
「つまり……?」
「攻撃方法不明で対処方法がわかりません」
…………………………そうか。俺、死ぬんだ。
「でも……あなただけでも逃げ切らせます。私の命に代えても……」
それはとても嬉しい。感謝、感激です。でも、どこへ逃げろと? またトイレにでも飛び込めと……?
「逃げるのは簡単です。一か八かですが……どこか水の溜まっている所に飛び込んでください。まだ慣れていないので座標はずれてしまうかもしれませんが、死ぬことは無いので安心してください」
水の溜まった場所……。そんなこと言われたって…俺はここがどこだかわかんねぇよ。周りに家はたくさんあるけど、入っても大丈夫なのか?
「私が足止め出来る時間はどのくらいかわかりませんが……一分は持たせます。
……行って下さい!」
横に並んでいたアズハの姿が消える。振り返ると、奴を迎え撃つ構えをとって立ち止まっていた。それを見て俺も足を止めた。
…どうした俺。なぜ、足を止めたんだ? 気にせず行けばいいだろう? 彼女が行っていいって行ったんだぞ? せっかく命を懸けて足止めをしてくれるんだぞ?
「………………」
暴走する思考を止めてアズハを見た。アズハは、右手で拳を作り曇天空を突く。すると、握られていた手が緩み、その緩みによって出来た空間から光が溢れ、やがてそれは棒状の形を作った。ぼやける光は段々と質感を持ち、現実感を帯びていく。
次の瞬間には溢れる光の中から、先端に丸い紺碧の宝石の様なものが付いた白い杖のような物が現れた。いや、光が杖になったのだ。
俺はそのファンタジックな出来事を呆然と眺めた。
確かにさっきまで命の瀬戸際に居たような気がしたのだが、どうも頭の働きが悪いのか危機感だけが消えていた。
「はは……。女の子を見捨てて逃げたら目覚めが悪いってことだな……」
格好を付ける気なんて無い。ただ、朝はスッキリと起きたいだけだ!!
気付くと俺はアズハの横に並んで立っていた。
「え……?」
アズハは最初キョトンとしたが、すぐに目尻を細め淡い緑色の瞳が俺を非難する。
「なぜ逃げなかったんですか!?」
怒られちゃった……テヘッ。うわ……俺、キモッ! ゾゾゾッときた。
「いや〜なんつーか……。朝はスッキリ目覚めて、モーニングコーヒーをゆっくりと飲みたいから……かな?」
「意味がわかりません。早く行ってくださいっ! 私なら大丈夫ですからっ!」
「そう言われてもさ……もう逃げられないと思うんだよ」
俺の特技その一。目算を使い、大体の位置を割り出す。ん〜20メートルちょい。それにしてもここまで近くに来ると臭いが半端ないな…。目に染みる。
アズハは水害獣との距離を確認する。
「それでも逃げてくださいっ!」
涙ぐんだ声で言われた。ん〜男冥利に尽きるな。こんな可愛らしい少女に心配されて。でもまぁ男には引けない時ってのがあるもんだ。
「大丈夫大丈夫、犬の扱いには慣れてるから」
力強く笑って見せた。もちろん嘘は言ってないさ。犬の扱いには自信がある。
アズハは俺の顔を見て説得を諦めたのか、「はぁ〜」と愛おしく溜息をつき、キッと緩んだ表情を引き締め水害獣を睨み付ける。
俺もそれに倣って水害獣へと目を向ける。
近くで見る事で奴の異常さが初めて理解できた。遠くから確認した時の認識はまさに、甘過ぎた。青春の思ひ出レベルの甘さじゃない、駅前にある喫茶店のパフェ並みに甘い。
あ〜想像したら涎が……って不味い! パフェを食うどころか俺が喰われるかどうかの危機だ。
俺の頭の中が甘いのは置いといて、奴を見てると食欲を失うのは確かだ。ダイエットしたい人にならオススメ。そんな水害獣は確かにベースは犬のようだが、黒い靄のようなものに顔以外の全身が包まれ、それが臭いを発している。靄はどこか液体のようで、重力を無視して上へとのびていく。海流でヒラヒラと波打つワカメのようだ。
顔は、異常なまでに歪んでいる。犬の顔を福笑いでごちゃごちゃに置いたかのように、目が口の横にあって正面を見るために眼球がこちらをギョロッと向いている。右耳の方は正しい位置にあるのだが、もう片方が魚の鰓のように顔の横に付いている。
「本当にいいんですね……」
アズハが水害獣に目を向けたまま訊いてきた。
それは疑っているのではなく、ただ心配をしているだけに感じられた。
「ああ……」
短く簡潔に正直に答えた。
水害獣の近付く速度が緩やかになり、やがて足を止め牙を剥き出しにし威嚇をする。
奴との距離は約5メートル。
相変わらず脳味噌が働かず危機感が無く恐怖を感じられないが、胸の鼓動が早くなり足が震えるのがわかった。
これは…武者震いだ。
杖を構え立つアズハの横で、俺は二年間やっていた空手の構えをとった。左足と左手を引き、右手右足を前に突き出し腰を僅かに低くし構えた。
さて、ここからだ。
本当なら戦闘になるはずだったんですが、なぜかグダグダと長くなってしまいました。
次こそは、ちゃんと戦います!
読んで下さった方、有難う御座いました。