第十九章 ちょっと目覚めいってくる
なんで……今になって戸高さんとの思い出が夢に現れるんだろう? 自分の罪を忘れるなって事かな? それなら大丈夫……俺は決して忘れない。
……長い事夢を見ていたが、俺はなんでこんなずっと目覚めないんだ?
寝る前に何をやってたっけ?
……………………あ、そうだ……俺は、『水の世界』でアトゥなんとか……と……ッッ!!
思い出した。アズハは、アズハは大丈夫なのか!?
起きやがれ! 俺の体だろ? 俺の好きなタイミングで起こしやがれ! 今はノンレム君に付き合っている暇は無い!!
起きろ! 起きろ! 起きろぉぉぉぉぉ!!
…………………………
………………
……
「……アズハっっ!!」
えっ? 白い天井に白い壁……ここは、
「病院?」
「正確には、病院ではないね。水道局内にある『ダイバー』専用の治療室だ」
この声は、なんだかもう二度と聞きたくなくないような、そう……直水局長の声だ。俺はベットに横たわった体の首だけを曲げ、声の主を捉える。
治療室は病院の入院施設といった感じで、雰囲気や独特な薬品の匂いも同じで、ほとんど一人部屋の病室と同じだ。
その中で、局長は質素なパイプ椅子に座り、俺の寝るベットのすぐ横に居た。
「局長、アズハは……アズハは無事ですか?」
「そんなに焦らなくて大丈夫だよ。無事だ、君よりよっぽどね」
表情や口振り、その事から今は仕事用の顔ではないことがわかる。話を続けるのに寝転がる姿勢では流石に失礼だと思ったので、上半身だけを起こし、壁で体を支えた。
「そうですか……。あの、変な話ですが、あの後……あそこで何があったんですか?」
とりあえずアズハが無事だとわかり安心できた。だが、途中で意識が途絶えた俺はあの後何が起こったのかはわからない。恐らく局長はアズハから報告のようなものを受けているはずだ。
局長はフムッ……と頷き、柔らかな口調で語り始めた。
「アズハくんの方から報告を受けている。あの後…………おっと、そういえば今日が何曜日かわかるかな?」
「え? それが何か?」
怪しい笑みを浮かべる局長に、俺は少しなんだか嫌な気分になった。特にもったいぶる素振りは見せず、答えを口にした。
「十二月二十二日、水曜日だよ。つまり君は、丸二日以上は寝たきりだったということになるね」
「なっ!?」
そんな馬鹿な。確かに長い夢を見ていた、だけど……現実でもそんな時間が? というか、何故そこまで俺は寝ていたんだ?
「どうやら混乱させてしまったみたいだね。何故そこまで目覚める事が無かったのか、それも含めて説明しよう……」
まだ情報の整理が出来ていない俺に、局長は三日前の日曜日に起きたことを話し始めた。
「君が気を失った後、黄金狼はアズハに、『あの少年との勝負、私の負けだ。必要があれば、私の力を貸そう』と言って去っていたようだ。特にアズハくんに危害を加えてはいないよ。そして、アズハくんは倒れる君の体を運び、こちらの世界に戻ってきた訳だ。
さて、では次は君の体に何が起こったのかを話そうか。今はもう体の調子は本調子で無いにしろ悪くはないだろう? だが、シェリアの状態を抑える力の効果は切れている。つまり、君の体は今すぐ死ぬことは無くなった訳だ。
これはもちろん君がアトゥムとの勝負に勝ったからだ。そして、彼はどうやら君の力を認めたようだ。その『力』というのが、君を長時間の眠りに付かせた張本人だ」
局長はスッと目尻を細め、気味の悪い笑みを浮かべる。生理的に受け付けられない、というのはこういう事を言うのだろう。局長の笑みはどこか狂人の壊れた笑みを思わせる。
純粋に恐怖した。初めて会った時にこの人を完全に理解するというのは不可能だろう、と思ったのは正しいのかもしれない。
「君の力は私の想像以上だよ。いや、君自身の体にとっても耐えられないレベルだったのだろうね。コンディションの問題もあるが……おっと、話が逸れてしまったね。簡単に言おう、君は水潔獣の『力』を無意識に発動し、黄金狼からのダメージを負った状態の所為で、体に大きな負担が掛かり、強制的に活動停止させられて訳だ。一般的に言う過労だね」
何がそんなに嬉しいんだ? 局長の落ち着いた表情に狂喜が見え隠れする。
「ふふふ……。きみは実に興味深い」
増して行く狂喜に俺は逃げ出したい衝動に駆られる。だが、ここは水道局内らしいし、逃げるに逃げれない……。
恐い……恐い…………この人は本当に人間なのか? 今の顔は普段の顔にも仕事用の顔にも見えない。これが、三つ目の顔なのか?
アトゥなんとかの時に感じた恐怖とはまた違う、死が迫る恐怖でもない。何か、もっと禍々しく…人知を超えたような次元の違う恐怖。
この人から離れたい、一刻も早く!!
俺の願いが届いたかのように、この治療室の扉を軽くノックする音が響いた。
「ど、どうぞ」
得体の知れない恐怖によって上擦る声をせがむ様に吐き出す。
「失礼します」
聞いたことがある声がどこか震えるように扉の向こう側で返事をし、静かに扉が開かれその人物の姿が現れた。
アズハだった。いつものファンシーな革色の軍服を纏い毅然とした態度だ。
助かった……。俺は心から安堵した。だが、アズハもまた安堵の表情を浮かべている。
「よかった……」
アズハは入口で両手を顔に当て、泣き出した。
「どうやら私は少し邪魔になっているようだね。では、失礼しよう。気の済むまで話をしたら局長室の方に顔を出してくれ」
元の通常時の顔に戻った局長はそれだけ言うと、そそくさと部屋から出て行った。部屋を出る前にアズハに微笑み掛ける姿はやはり、さっきまでの姿からは想像出来ないもので、つい強張った表情で見送ってしまった。
局長が退室した後も、入口からこちらに近付く様子の無いアズハに俺は局長が使っていたパイプ椅子に座るように促した。
少し躊躇いながらも椅子へと近寄り腰を掛けた。
「無事でよかったです」
「それは……こっちの、セリフですっ!」
泣きながら怒られた。確かに、あそこまでボロボロにやられれば心配されるよな。少し反省。
「心配かけてしまってすいません。それに、ここまで運んでくれたんですよね? ありがとうございます」
俺は軽く頭を下げ、謝罪とお礼を口にする。
その言葉にアズハは首をぶんぶんと振り、
「私が割り込んででも止めればよかったんです……。そうすればそこまでやられることも……」
「止めなくていいと言ったのは俺です。それに、あそこで奴との勝負に勝たなければ……まぁあれが勝ったかどうかと言えば怪しいですが、奴が認めたならそうなんでしょうが、とりあえず俺は勝つか死ぬかしか無かったんです」
それでもアズハは涙を流し申し訳なさそうな顔をする。
「でも、でも……私が」
「笑ってください。前にも言ったと思いますが、悪いと思うなら笑ってください」
突き放すような言葉かもしれない、だから俺は出来るだけ表情も口調も優しくして言った。
ハッとしたように顔をし、アズハは涙を拭いぎこちない笑顔をつくった。
「それでいいんです。俺は、アズハを恨んでも憎んでもいませんから……」
水害獣に両親と兄を殺されたというアズハは、俺以上の理不尽を感じていただろうから。
でも、アズハの態度は少し気になる。確かに巻き込んだのはアズハだが、ここまで一つ一つに責任を感じるものだろうか? 俺が強く責めたなら別だが、そんな事は一度もしていない。もしかして他に理由があるのだろうか?
まぁ……考えても無駄な事か。別にどんな理由にしろ、俺はたぶんアズハを恨む事は無いだろうから。不思議とアズハは憎めない。
別に好きとかそういう低次元なことではなく、もっとなんというか……。ううん……表すのは難しいけど、とりあえず俺はアズハを憎めない。
その後は少しアズハと話をし、局長に言われた通り局長室へと向かった。歩いたりしても特に体が痛んだりする事は無く順調に行けた。あれだけやらてたというのに、よくもまぁ無事で帰ってこれたもんだ。
治療室から局長室まではたいした距離は無く、難なく辿り着けた。
軽くノックをする。
すぐに中から、「入りたまえ」と局長の返事が聞こえ、俺は扉を開き部屋へと入った。
「体は大丈夫そうだね。さてと、とりあえず腰を掛けてくれても構わないよ」
局長は手の平で今までこの部屋を訪れた時に何度か座った椅子を示す。
この体で長時間の立ち話はきついと判断し、お言葉に甘え座らせてもらった。
「さて、そこまで話す内容は無いがね、とりあえずこれからの事を話そう。治療室でも言ったが、君は丸二日以上眠りについていた。その意味がわかるかな? そう、君以外の人間達は日常を過ごしていた訳だ。では、その間、君はどこで何をしていた? という話になる。それはとても困るだろう?
長くなってもしょうがないので手短に話そう。まず、君の両親には一週間ほど家を空けるように仕事をさせている。どうやったかなどの質問は受け付けない。まあこちらには色々とパイプがあるということさ……」
国民もビックリな公私混同だ。俺一人の不在に違和感を出さない為に俺の両親は仕事をさせられた訳だ。俺が家事などは大抵こなせるから、電話かなんかをするぐらいだからな……うまくいったんだろう。
「さて、学校は欠席扱いにさせてもらった。だが、表向きには欠席だが裏ではカウントはされていない。安心してくれたまえ。他にも細かい対処はしたが、君は学校では風邪で休み三日振りの登校ということになる。わかったかな?」
「えぇ……わかりました」
権力ってのは便利なもんだ。俺も権力という力なら欲しいな。
「よろしい。では、伊久万くんの方から話をされたと思うが、毎週日曜にはこの水道局に顔を出して欲しい。君はまだ学生で非正規の隊員だから強制は出来ないが、特に用が無ければ来てくれたまえ。私か伊久万くん、またはアズハくんの三人の誰かが居るようにはしておく」
そう言う局長の目はギラギラと怪しい輝きを放ち、俺を射抜く。……脅しだな。まあ休日に予定があるほど俺は幸せもんじゃないから別にいいが、だからといって好き好んでこんな場所には来たいとは思わない。本当に予定があるならそっちを優先させればいいだろう。
俺の考えを読み取ったかどうかはわからないが、満足そうに局長は微笑む。
「ああ、それと、これを渡しておこう。毎回毎回、手続きをするのは面倒だからね」
局長は椅子から立ち上がり、執務机を回り俺の側に来ると、一枚のカードを差し出した。
「これは?」
「この水道局への入る事を許可する許可証だ。それを受付で提示するだけですぐに入れる」
俺はそのカードを受け取り、眺める。
水色に段々と青を濃くしていく横ラインが入ったもので、端に第三水道局入場許可証と書かれている。引っくり返し裏を見ると、日下部直輝と書かれ、その名前の後に二等兵と書かれていた。
二等兵ねぇ〜なんかしょぼい。
カードを眺める俺に局長は口を開く。
「それは君のだ。常に携帯する必要はないが、ここに来るときには所持したまえ。それのが色々と便利だろうからね……。
さてと……私の話はこれで終わりだ。君の方から何かあるかな?」
「いいえ」
「そうか、なら気を付けて帰りたまえ。ああ、そうだ。日曜日は朝の九時ごろに来るようにしてくれ、それでは……また」
局長は俺に背を向け、さっきまで座っていた椅子に戻り、何やら重要そうな資料と睨めっこを開始した。
邪魔になるだろうと思い、俺は無言で部屋を後にした。
この頃には自分の平和な日常という夢は諦めていたのかもしれない。
だが、届くものなら……俺は、手を伸ばしてでも手に入れたい…………。
さて、次回からこそ……クラスメイト達の久々の出番です!! きゃっほい〜……と、私が一番喜んでたりする。まぁ青春を書くのは楽しいので……。(青春かな?)