099 百獣の蛮神ズァ
閉会しかけた会議を延長してまで、海運業を牛耳る魚人族の大商人ゴンズイ・テーションは報告しておきたい事柄があるらしい。
「未確認情報なのですが、一応皆様のお耳に入れておこうかと思いましてね」
四人がゴンズイに注目する。
その視線に満足してゴンズイは神妙な口ぶりで話し始めた。
「実は私の会社の船が北の航路から戻った際の報告書に記してあったんですがね、まあ船長はそれを聞いた私がこうも思いあぐねるとは想像もしていなかったんでしょうが」
「なんだと言うんだ。勿体ぶらずにとっとと言え」
気の短いホンド・パーファがけしかけるとゴンズイは肩をすくめてから本題を切り出した。
「船長は船の上からですがね、この街へと通じる海岸線でとある偉丈夫を見かけたと」
「偉丈夫?」
「かなりの大男だったそうです。実際に見かけたのは老齢に差し掛かった航海士の男なのですが、目は滅法よい方でしてね」
「それがなんだというのかね?」
焦れたシーズー・ライブがゴンズイに話の本質を急かす。
海岸を大男が歩いていたからといって何が問題になるものか。
それがもたらすものをとっとと言わぬかと喚いた。
「まあお聞きなさい。その年老いた航海士は若かりし青年であった時分、まったく同じとしか思えないその偉丈夫を見たというのです。とても似ていて、別人とは思えないと」
「誰に似ているというんだ?」
「蛮神ズァですよ……」
集まった一同に衝撃が走った。
ホンドも、シーズーも、ウサンバラですら信じられないといった顔をしている。
ゴンズイはしたり顔で一同を見まわした。
「ズァだと……」
「あの三十年前の亜人戦争を終わらせた張本人、百獣の蛮神ズァですか」
「生きておったのか」
「この三十年、行方知れずとされていましたからね」
ヒガ・エンジを除く四人は声を震わせていた。
「その者、伝説に語られるほどに恐ろしい者だったのですか?」
ヒガの質問に皆が唸った。
この中で三十年前に生まれていなかったのはヒガだけだった。
彼女にとっては生まれる前の、歴史として学んだことに過ぎない。
亜人戦争終結の過程はその中の逸話として聞いたことがあるだけである。
彼女はそのことを皆々に確認してみた。
「亜人戦争の終結は、そのズァという者が西の大陸側、亜人連合と、東の大陸側、ハイランドを盟主とするニンゲンたちによる同盟軍、双方の総大将の首をひとりで獲ったそうですが」
「その通りだ。両軍が相見えたアークティック平原に、ズァは単身で姿を現した」
「そしてまずニンゲン側の総大将、貴殿の本国エスメラルダよりも北方を治めていた草原の国ハイランドの聖賢王シュテインを討った」
「その二日後には亜人連合軍の総大将、和邇族の凶獣王サルコスクスを討ち取り、あっけなく終戦となったのだ」
代わる代わる口角泡を飛ばす四人に対し、ヒガは信じられないと言った面持ちであった。
歴史でも特に戦争に関する英雄譚などは脚色されて伝わるものだと信じている。
実際この逸話はたった三十年で数々の創作ネタとしても取り上げられていた。
ズァの話は子供でも知っているもので、それだけ多くのアレンジが加えられているものと認識していた。
なのでヒガの表情に現れた疑念を責めることもできなかった。
「まあ無理もない。結局その後ズァは行方をくらまし伝説となり、北のハイランドと和邇族は衰亡したのだ」
「その蛮神ズァが現れたと言うのですね。目的はなんでしょう?」
「わからぬ……奴の行動理念、存在自体が謎に包まれておるしな」
「この街へ来るのでしょうか」
「……わからぬ」
その後はみな口をつぐんでしまったため会議は閉会となった。
会議室を出たウサンバラはこの建物内に用意された自分の執務室へと真っ直ぐ向かった。
そこには盗賊ギルドの幹部である猫耳族のラパーマが、革張りの高級な応接セットの上で退屈そうに伸びをしていた。
鋲打ちされたピンクのレザーベルトを体中に巻きつけた異様なコスチュームで、黒色の鋭い手指の爪でソファの一脚を使い物にならなくしてくれていた。
「ラパーマ。爪なら別のもので研いでください」
「ウサンバラがおっそいからヒマしてたんだもぉん」
「何時から来ていたのですか」
「けっこう前から」
「何の用です?」
「べっつに~。暇だったから、なんかないかなって」
「なんとも気まぐれな……」
「猫ですから」
エッヘン、と鼻を鳴らすラパーマに呆れながらも、ウサンバラは丁度よい、と彼女に伝言を頼むことにした。
「ラパーマ。わたくしにはやることがあります。そこで二点ほど、長に伝言を頼みたいのですが」
「なになに?」
ウサンバラはまず会議で出た蛮神ズァの目撃情報を伝えた。
「誰それ? 重要なの?」
「それを決めるのは長です」
「そだね。で、もうひとつは?」
「ふむ。こちらの方が重要なのですがね」
「なになに?」
ラパーマがウサンバラの鼻先まで身を乗り出す。
「か、顔が近すぎます!」
「もぉ。早く教えてよぉ」
ラパーマが問題意識を持っていないようなので、ウサンバラから半歩下がって距離をあけるとようやく本題を切り出した。
「例の、奴隷解放戦士の所在が判明しそうなんですよ。いよいよ作戦決行です」




