009 カエルの長老とトカゲの王
――赤い。
チロチロと赤い。
ヘビが獲物を前に出す、舌先のようにチロチロと赤い。
――赤い。
ゴウゴウと赤い。
斬られた肉体から勢いよく吹き出す、血のようにゴウゴウと赤い。
カザロの村が燃えていた。
すでに壊滅状態だった。
藁葺きの家も、土壁の倉庫も、手入れされた畑や庭園までも、平等に破壊し尽くされていた。
「再建するのは手間だな……」
村の長老、大クラン・ウェルは、変わり果てた村の景色を見ながらつぶやいた。
「みんなで引っ越すか?」
んなことできるかよッ!
心中で毒づく。
ウシツノたち三人を見送ってからわずか数刻後であった。
予期していない、突然の襲撃に虚を突かれた。
トカゲ族の襲来。
奴らは「堂々と」、「予告もなく」、大挙して押し寄せた。
「何匹で来やがったのかは知らねえが、、十や二十ではきかねえ数だな」
その一匹一匹が武器を手にした戦士だった。
「対するワシらは小さな村ひとつ。戦える者すらほとんどいねえとくりゃぁ」
なによりこんな山奥の小さな村、侵略する価値すらない土地だ。
土壌はぬかるんでいて作物も満足に育たない。
戦いを忘れた小さなカエル族くらいにしか、住むには適さない地だ。
「あいつら一体なんだってこんな戦を仕掛けやがった」
わからない。
わからない事だらけだったが、だからといって黙って見過ごせるものではない。
平和に暮らしていたカエル族が、理由もわからず蹂躙されたのだ。
「奴らはガキも戦士も区別しねえ」
村中がすでに煙に巻かれ、建物だけでなく、殺された村人たちの死体にまでも容赦なく火がくべられている。
「生き残りは、どれぐらいいるか……」
カザロ村の長老は他のカエルたちよりも三倍は身体が大きい。
だいぶ齢を重ねたため、最近は自室にこもりがちだったが、それでも他のカエルよりも身が引き締まって見える。
いや、戦の機運が彼を英雄に戻したのだろう。
村の中央広場へ向かいゆっくりと歩く長老に対し、背後から槍を持ったトカゲの戦士が襲った。
ズドシャッ!
長老は一顧だにせず、無造作に右腕を振るうと、襲撃者はそれだけで吹き飛ばされていた。
上半身がグチャグチャにつぶれている。
長老の右手には大きな分厚い刃を持った刀が一振り握られていた。
刃渡りは八十センチほどだが厚みが違う。
通常の刀の三倍は分厚い。
斬るでなく、叩き斬る刀。
長老大クラン・ウェルの愛刀、自来也だ。
たった今嬲られた戦士の肉と贓物がこびりついてもなお、怪しく煌めいてる。
長老の歩く先、目指す獲物は中央広場にいた。
腹立たしくもそこにデカい面して陣取っている。
周囲には目につくだけで五十匹ほどのトカゲ族がいた。
「よう、遊びに来たぜ。クラン・ウェル」
「招待した覚えはないがな。モロク」
一斉に長老はトカゲ族の戦士たちに取り囲まれた。
構わずにギロッと長老が睨むその先に、忌々しいトカゲ族の王が輿の上でふんぞり返っていた。
その輿は豪奢とは言えず、ただひたすらに無骨だった。
本来要人を乗せて運ぶ輿であるが、これには装飾の類は一切ない。
大きく前後に突き出した長柄に、それぞれ二匹ずつの屈強なトカゲ族がついている。
全体的に鈍く光る鉄色で、材質も鉄でできている。
そのため頑丈ではあるが非常に重い。
小回りは利かぬと見えた。
その上でトカゲ族の王はゆったりと身を沈め、しかし右手には大きな剣をいつでも振るえる態勢でいた。
炎天将軍モロク。
かつての大戦で水虎将軍とうたわれたカエル族の王、大クラン・ウェルと並び称されし英雄であった。
しかし同時代の英雄というにはモロク王はいささか若い。
大クランと同年代であるはずなのだが、明らかに若々しい。
そのためか、老獪さと気迫のみならず、肉体に溢れんばかりの自信までもがみなぎっていた。
「ん?」
もうひとつ、見慣れないものが目についた。
モロク王の背後に憔悴したニンゲンの姿が見えたのだ。
黒いスーツにタイトなスカート、同色のパンプスに同色の髪。
トカゲ族の仲間ではなさそうだ。
首に鉄枷が嵌められている。
その鉄枷から伸びる鎖が輿の手すりに繋がっている。
ご丁寧にも後ろ手に手枷まで嵌められているようだ。
「そのニンゲンはなんだ? そいつがワシらに対する狼藉の理由か?」
大クランは臆せずモロク王の正面に進み出た。
「こいつか?」
「戦場にわざわざ連れてくるには理由があるのだろう」
「お前なんぞに黒姫の重要性がわかるかよ」
「黒姫だァ?」
記憶の奥底に何か引っかかったが、すぐには思い出せそうにない。
「やめとけ。カエルの脳みそで理解できるもんじゃねぇ」
「トカゲには脳みそなんてねえだろうがッ」
吐き捨てるように罵り合う。
「昔から、おめぇとは会話が出来ねえもんだった」
「……」
モロク王も地に降り立つと大クランの正面にて向かい合う。
二人ともデカい。
サイズだけの事ではない。
威圧感も、である。
モロク王の全身は砂色と土色のまだら模様。
鋭く尖った鱗で全身を覆われている。
その上から朱色に塗られた金属製の鎧をまとい、大きな、これも朱のマントをなびかせている。
手には長大な剣。
対する大クランは藍色に染めた着流しひとつ。
手には分厚い刃の愛刀「自来也」。
背はモロク王の方が頭ひとつ分、高い。
だが上半身の圧力は大クランが倍近い広がりを持つ。
深草色に闇色のラインが縦横に走る、美しい肌色をした長老だが、古傷跡もまた全身に無数に走る。
状況をかんがみても、同じ英雄同士であるが、大クランの方が鬼気迫るものがある。
「やはり昔も今も、語るなら、コイツでだ」
両者ともに武器を構えた。
言葉は二の次。
先にカエル族の長老が、トカゲ族の王へと向かい、動き出した。
2020年6月27日 挿絵を挿入しました