719 マユミの事情
「娘ッ?」
「そ。ひとり娘を探しているの」
予想もしていなかったマユミの答えにミナミは仰天した。
ゴルゴダから脱出した後に何をしていたのか。
まずは軽い世間話でも、とそのつもりで放った最初の質問で思わぬカウンターパンチを喰らった気がした。
そもそも見た感じ年齢は二人ともそう違わないと思ったのだが。
「二十四……あ、いや、この世界に来てもう一年以上経ってるし、誕生日も過ぎたか」
「じゃあやっぱり同じですよ。でも、だとしたら娘さん大変じゃないですかッ」
「ん?」
妙に落ち着き払っているマユミが信じられなかった。
まだ二十代半ばのマユミの娘ということは、小学生にもなっていない子供であるかと思われた。
そんな子がこんな危険な世界で迷子だとしたら、それがどれだけ恐ろしい事か想像に難くない。
「なにか勘違いしてない? アユミも二十歳は過ぎてるよ」
「え?」
アユミというのがマユミの娘の名前らしい。
あまりに似ていて呼ぶとき混同しないのか、とミナミの脳裏にいらぬ心配が過ぎってしまう。
「それにあの娘も姫神だし」
「え、えぇぇぇぇッ」
混乱に拍車がかかった。
つまりはこの亜人世界で娘を探す姫神であるマユミは姫神であるアユミという名の娘を探しているわけだ。
しかも年齢差が姉妹ほどしか離れていない?
「ひとつ確認するけどさ」
マユミが混乱して頭が沸騰しているミナミを落ち着かせようと静かに丁寧に語りかけた。
「あんた、この世界は私たちの居た世界の遠い未来だってことは知ってる?」
「え?」
「私はあのズァの野郎に知らされたわ。亜人世界は異世界ではなく、私たちが住んでいたあの地球の遠い遠い未来なんだ、って」
「未来? え、何年ぐらい」
「知らない。でも少なくとも一万か二万年以上。この世界の今の暦が聖刻歴一万九千年超えてるっていうから」
ミナミは知らなかった。
どこかで聞いただろうか。
あれだけズァに虜にされていたのだから、どこかで聞いたかもしれない。
いや、聞いただろうか。
どちらにしろ、一万年も未来と言われてはミナミにとって異世界となにも変わらない。
「ミナミさん。あんたいつの時代から転移してきたか覚えてる?」
「え? え、っと……令和になって少ししたらだから……」
「それ。私知らないのよね、その令和っての。シオリに聞いたけどさ」
「知らない?」
「私は平成十四年からこの世界に飛ばされてきたのよ。その時アユミはまだ生まれたばかりだった」
「ていうことは、一緒にこの世界に来たわけでも、この世界でできた子でもないんですね」
「アユミは私の知らない二十年を日本で過ごして、そして私と同じにこの世界で姫神になってしまったわけよ」
なんとも途方もないというか、同情してしまう話だった。
しかしマユミはその辛さをおくびにも出してはいない。
「私はアユミのことを何も知らない。姫神としてのあの子に会ったこともない。でもこの世界にいるということだけは確かなの」
「その子をずっと探してるんですね。この街にいるんですか?」
「さあ? でも大きなイベントがある場所なら会えるかもしれないって思ってね」
マユミは大きく伸びをして外の景色を眺めた。
「で、せっかくだから大闘技会に参加したってわけよ」
「へぇ、そうなんです…………って、えぇッ!」
もう何度目だろうか。
マユミの話に驚かされすぎのミナミは話の方向性を見失わないよう必死になっていた。
「大闘技会に参加してるんですか? 予選は」
「もちろん勝ち抜けたよ」
「でも全然気付かなかったし」
「目立たないようにしてたからね。全身甲冑着込んでさ」
ミナミは部屋の隅に転がっている、さっきまで自立していた甲冑のパーツを横目で見た。
「でも姫神は参加できないって大会規定に……」
「バレなきゃいいじゃん。言わなきゃ私が姫神だなんてわかりゃしないよ」
あっけらかんとした言い草にミナミは絶句した。
なんともまあ、お気楽というか、ある意味で豪放磊落とでもいうのだろうか。
この世界に迷い込んだ娘を探すという過酷な運命を受け入れながら、それでいて物事を簡単に捉えている節がある。
くよくよとふさぎ込んでいた自分があまりに矮小に思えた。
「でもどうして大会に参加する必要があるんですか。力試しでも、お金が欲しいわけでもなさそうだし。娘さんを探すのはわかりますが、大会で活躍したって正体を隠してるんじゃ意味もないじゃないですか」
「ひとつ忘れてるよ。大会の優勝者に与えられるのは?」
ミナミはまさかと思いつつ答えた。
「藍姫との結婚。え、そうなんですか?」
「別に結婚したいってのじゃないよ。でも姫神同士、なるべく仲良くした方がいいと思ってね」
「どうしてですか?」
「わかってるでしょ。姫神は争いの元になる。私たちを利用しようとする勢力の手に掛かって。それはマラガの盗賊ギルドであったり妖精女王ティターニアであったり」
「ズァも……」
マユミがこくんと首肯した。
「姫神同士を争わせようとする奴もいれば、利用しようとする奴もいる。だから私たちは流されないように団結する必要があるのよ」
「団結……」
「私は娘に会いたいからアユミを探しているだけじゃない。姫神は協力し合う必要があると思うからこそなのよ。だから奴隷市場で見かけたあんたにも手を差し伸べた」
マユミはミナミよりもずっとこの世界に順応していた。
ミナミよりも多くを知り、経験し、ずっと先を行っている。
見習わないと。
そっと心の中でそう煩悶した。
マユミの行動を見ていたい。
マユミの起こすアクションに倣いたい。
そうすれば、自分ももう少しこの世界で生きやすくなるのではないだろうか。
その時こそ、胸を張って仲間の元へ戻れるような気がした。
「でもこれは楽しくなってきたわね」
ニヤリとした顔を向けてマユミがミナミの顔を見つめた。
「なにがですか?」
「決まってるじゃない」
マユミはにこにこしながらミナミに詰め寄る。
何かよからぬ気配を感じたが、その予感は的中した。
「一緒に大闘技会に参加するの。姫神が二人もいれば優勝間違いなしよ」




