716 マイ
市場の奥へと向かうとそこはとても暑かった。
商品として並べられた奴隷よりも管理する人間の方が数が多い。
その管理する側も半裸に近い格好で、そろってみな浅黒くたくましい肉体に大粒の汗を滴らせながら働いていた。
その汗、暑さの原因は火をくべられた炉にあった。
半地下都市のコランダムでこれだけ火を焚けば暑さも充満する。
ミナミはたちまち噴き出た汗を不快に思いながらも炉に突き入れられた鉄串が何かと気になった。
「おい、その奴隷を黙らせろ! 表にまで聞こえてるぞ」
奴隷商人のオークが喚く奴隷女を押さえつけている男に命じる。
奴隷女は若く美しい人間の女で、年の頃はミナミよりひとつかふたつ上に思えた。
ほかの奴隷と同じ簡素な貫頭衣のみをまとっていたが、とても長い黒髪と、少しだけ褐色じみた肌色をしていた。
たしか名前はマイとさっきオークが言っていたのを思い出した。
男はマイを太い柱の前に引き立てると後ろ手に柱を抱え込ませるようにして鎖で縛めた。
そして相変わらず叫び、抵抗するマイの黒髪を団子状に束ねると、それをマイの口の中に押し込む。
さらに吐き出せないよう残った黒髪を上から口の周りに何重にも巻いて結んでしまった。
「ヴう……」
くぐもったうめき声しか出せなくなったマイの目から悔し涙が滲んでいる。
「ったく。焼き印はもう押したのか?」
「いえ、これからでさ、ベリゴ様」
ベリゴという名のオークの奴隷商人はやはりここの頭であるようだ。
趣味の悪い格好といい、横柄な態度といい、ミナミは不快でたまらなかった。
だがそのベリゴが言った焼き印という言葉にはうすら寒さを覚えた。
男がミナミの気にしていた焼き串に手を掛ける。
炉から引き抜かれた焼き串の先端はオレンジ色に光り赤熱していた。
それを見たマイがまた暴れだす。
鎖で拘束された手をガチャガチャと揺すり、足もバタバタと振り回す。
別の男がマイの足も鎖で柱に固定させて大人しくさせた。
鉄串を引き抜いた男は先端の焼け具合を確かめてニヤリとする。
「何する気?」
ミナミがベリゴに聴くと彼はマイに焼き印を押すと答えた。
「あんたも見たとおり、このマイは女奴隷として売るには従順さに欠けるね。だから焼き印を押すね」
「どういうこと?」
「知らんのかね? 焼き印を押されたら家畜奴隷行きね。これだけ美人なら快楽奴隷から主人の妾、あるいは正妻にまでなれたかもしれないのに、今のままじゃ売り手も全然つかないね」
男がマイの右足を押さえつけ、内太股に焼き印を入れやすく広げてやる。
「ジッとしてろよ。動いたらブレちまう。どうせならキレイな形で押されてえだろ」
マイは涙を流し恐怖で震えていた。
小刻みに震える足を男の強い力が押さえつける。
焼き串を持った男が近寄った。
「可哀そうね。家畜奴隷に未来はないよ。辛く汚い労働か、道端で奉仕活動か。あるいは臓器提供ぐらいしかないね」
「待って!」
思わず出たミナミの制止の声に焼き串を持った男が振り返った。
なんで止めるのか、と男の目が問うていた。
周囲にいた者たちも何事かと見つめている。
「どうしたね」
「やめてあげて」
「何故かね? あんたがマイを買い取ってくれるのかね?」
ミナミはベリゴを見た。
そしてマイを見る。
彼女の涙に晴らした瞳も何かを期待してミナミを見ていた。
「四万ガルね。ビタ一文まけないよ」
「四万!」
それほどの大金は持ち合わせていない。
「これだけの美人ね。同業から買い取った時に聞いたが、高貴な出らしいね。けどあんたなら四万でいいね」
「そんな大金、持ってない」
期待に潤んでいたマイの瞳が落ち込むのがわかる。
ベリゴも同様だ。
ミナミもいたたまれずに立ち尽くす。
いっそ剣に手を掛け金姫の力を行使してひと暴れしてはどうだろうか。
その気になればここにいる誰にも不覚は取らないはずだ。
ここにいる多くの奴隷たちに自由を与えてあげたいと思うのは至極まっとうではないか。
「でも……」
でもそれはミナミの論理でしかない。
この亜人世界では彼らのしていることは特別犯罪というわけでもない。
彼らはこの世界の在りように則って、この商売をしているだけに過ぎない。
改めるのは彼らではなく、この世界そのものの在りようなのかもしれない。
まだ力で言い聞かせる余地がこの世界にはあるだろう。
だが現代日本人である渡来ミナミとしてはそういった行動は起こせない。
思わず握った剣の柄から手を離す以外なかった。
その様子を見て焼き串を持った男は作業の続きを再開しようとした。
もうマイも抵抗をやめていた。
だがベリゴの考えはそうではなかった。
ベリゴはミナミの黄金の大剣をジッと見て言った。
「金がないならその剣で払ってくれてもいい」
「え?」
「その剣だよ。黄金でできているようだ。その剣と交換でマイを売ってあげてもいいね」
「土飢王貴と……」
ミナミはためらった。
これは神器であり、姫神に転身するのに欠かせないものだ。
この世界で生き抜くのに自身が姫神であることは大きな自信となり、決して手放すことなどできない。
「どうするね?」
では姫神であるミナミはこれまでにいったい何を成しえたというのか。
ひとりでも誰かを救えたことがあっただろうか。
それどころか助けられてばかりではなかったか。
少し前まで再び姫神に転身することを極度に恐れていたのは誰だ。
二人の旧き女神に翻弄されているのは何のためか。
ミナミは腰帯から鞘ごとライドウを取り外した。
「おお、おお、まいどありね」
ミナミからベリゴへと黄金の大剣が手渡される時、
「やめときなよ」
それを止める声がかかった。




