708 オドントティラヌス
トンネルは暗かった。
夕暮れ時であり、人が常に往来する道でもないので当然である。
しかし猫耳族であるメインクーンはニンゲンよりも夜目が利く。
盗賊として修練を積んでいるのでなおさらだ。
追跡者たちが暗闇を苦手としてくれていれば儲けものだがそこは期待するだけ無駄だろう。
メインクーンは奥へとひた走った。
通路を走り始めて早々にいくつもの支道が合流する。
それぞれの通路脇を流れる汚水が一本の本流に繋がっているのだ。
「この先は何処に繋がってるにゃ?」
「知らないよッ! こんなところ来たことないし」
おそらく下水処理場か、そのような施設がないままにどこか僻地に垂れ流しているのか。
「だったらどれか支道に入って別の出口へ行くにゃ」
そこで早速次の支道へと飛び込もうとした。
すると脇を流れる下水が突然波立ち始める。
トンネル内を突風が吹きすさんだ。
思わず足を止めて煽られないように踏ん張ることしかできない。
間違っても下水に落ちるような事だけは避けたい。
「この風はなに?」
「地下都市だよ、ここは! 風なんて滅多に吹かないよ」
では考えたくないが、この風は人工的に起こされているということになる。
「見て! あれ」
未熟者の少女が下水の一点を指し示した。
「影が! 動いてた」
メインクーンは見えなかった。
だが一瞬何かが見えたと少女は言い張った。
「くそお、走るにゃん」
意を決してメインクーンは走り出した。
少女も下ろしてやるとメインクーンについて走り出した。
懸命に遅れじと走っている。
どうやら謎の追手とグルではないと見ていいようだ。
少女も状況の不透明さに切羽詰まっているのがよくわかる。
風は上手いこと追い風気味で走る二人の背を応援するように押し出してくれた。
暗いトンネル内をひた走り、いつしか二人は天井の高い、円形の広場に辿り着いていた。
下水道は本流にいくつもの支線が合流し、トンネルの横穴もいくつもある。
広場に大人が二抱えするほどの柱が何本もたって天井を支えている。
壁に掛かった光を発する透明の管がいくつか明滅することで広場を薄く照らしていた。
夜目の効くメインクーンなら昼間と同様に見える。
風はおさまっていた。
すぐにどれかの横穴に入って逃げるなり身を潜めるなりした方がいい。
しかしメインクーンは動けずにいた。
追跡者の気配が近い。
「四つ……いや」
五つかもしれない。
「ご名答。勘がいいですわね」
メインクーンたちが走って来た道からふたつ。
右方と左方からひとつずつの人影が現れた。
四人とも女だ。
ただし顔はわからない、
全員フルフェイスマスクを被っているためだ。
武器の類は持っていない。
全身にピッタリとした薄いゴム製のスーツを着ているのでボディラインがハッキリと見える。
ただし四人とも色違いのスーツだった。
白とピンクと銀と金。
どことなく既視感を覚えたが、はてどこであったか。
「お姉さんたち、人違いで追いかけるのやめてほしいにゃ。それとも何かの冗談かにゃ」
「人違いではないはずよ」
「お前の連れに用があるんだ、オレは」
白いスーツの女が冷静に受け答え、金色のスーツの女が乱暴な答えを返してくれた。
「私の連れ?」
「ちょっとハニー。いきなりそこまでバラすことないでしょ」
桃色のスーツの女がハニーと呼んだ金色の女をたしなめる。
「ウルセエッ! お前は因子を入手済みだから悠長にしてられるんだよ。オレとマネーはもう待ちくたびれてんだ」
「私はそうでもないけど」
金色と一緒にされたらしい白いスーツの女はとばっちりを軽くいなした。
しかしこれでハッキリした。
追跡者の目的はメインクーンであり、真の目的は仲間の誰かだ。
銀色のスーツの女が手を振りながら一堂を促す。
「どうでもいいがここは臭くてかなわん。とっとと済ませるべきだと思うが」
「ああ、メリーに同感だね。ウィリー、やれ」
「わかったわよ」
ウィリーと呼ばれた桃色のスーツの女がステップを踏み始めると花の薫りが辺りに漂い出した。
清涼な自然あふれる場所であったらば陶酔してしまいそうな薫りであったが、如何せん下水道では鼻に吸い込むのも躊躇する。
しかし花の薫りは別の意味、効果を表わすものだった。
広場の中央を分断するように流れる下水の本流が波打ち、うねりを起こした。
「あ! また影がッ」
未熟者の少女が見た影を今度はメインクーンも見ることができた。
水が小山のように盛り上がり巨大な生物が立ち上がる。
「やっておしまい。オドントティラヌス」
三本の角を持つ牛の頭と獣の脚、魚の鱗を持つ化け物が現れた。




