699 戦う相手は外道の方がやりやすい
巨大なアビス・クラーケンの周囲を飛び回る、二つの赤い光点が、ここに来て勢いを増してきた。
タイランとアマンは息もピッタリに、お互いをフォローし合いながらクラーケンの触腕攻撃を掻い潜っていた。
その動きは時間とともに速さを増し、より複雑な航跡を辿り始める。
右へ、下へ。
前へ、横へ。
全速力で、急制動で。
翻弄されるのはクラーケンだけではない。
より目立つ彼らの首を虎視眈々と狙っている他出場者たち。
四方を囲む観客席で興奮した声援を上げる者たち。
事の成り行きを見守る観衆にとっては結末に期待を持てる時間ではあるが、決して少なくない、腹に含みを持つ者たちには判断に迷う苦しい時でもあった。
「あれほど飛び回ってあいつら何を狙ってるんだ? ロックの兄貴」
「さあな。まさかクラーケンが疲れるのを待ってるわけはないだろうが」
「そんなの奴が先に疲れちまうだろうよ」
タイランたちの動きを読めずに戸惑う者は多い。
シャマンたちもそうだった。
「タイランの奴、何する気だ?」
「わからん。だが彼は切れ者だ。きっと何かを狙っているのだと思うが」
「そんな事よりシャマン! ウィペット! あたしらも何か出来ることはないん? 美味しいとこ全部持ってかれちゃうよ」
「レェッキスゥ。んなこと言ってもどうしようもねえよ。オレたちゃ飛べねえんだ」
「いや、飛べるじゃないか」
レッキスがウィペットの方を向く。
「ここへ来る途中で探索した古代遺跡。あそこで拾った奴だよ。持ってきてるよね、ウィペット?」
「ん? あ、ああ。まあ、な」」
「ちょっと、なんか歯切れ悪いんよ」
「やめとけウィペット。今は出さなくていい」
「なんでよ、シャマン!」
ぶんぶん腕を振り回して暴れるレッキスの耳元を手挟んで遠ざけ、シャマンはウィペットと連れ添って試合場の隅へと退避した。
「この辺でいいか。後は見物に興じよう」
「なんで!」
戦うつもりのないことを察してレッキスは不満をあらわにする。
確かに大闘技会に参加したいとのたまったのはレッキスだ。
シャマンとウィペットは半ば強引に付き合ってくれてるようなもので、例年通りに個人戦が主体であったらばレッキスはひとりで参加していた。
だから自分のわがままを強引に押し通すばかりではいけないと思っている。
思ってはいるが、今この状態で高みの見物を決め込むのは違うと言い切れる。
タイランが強くて頼りになって信頼できるのはわかる。
でも自分たちの運命まで頼り切っていいはずがない。
自分の頑張りで状況を打破できるなら頑張るべきで、周囲の頑張りが結果的に自分に有利に働いたとしても真の喜び、達成感には程遠い。
「その信念はえらく立派だと思うがな、レッキス」
「ならなんよ」
「あのクラーケンもリオの飼っていた魔獣かもしれねえと思ったらよ、手ェ出しずらくなっちまった」
「あ……」
闘技場で剣闘士の相手をしていた魔獣の大半を飼育していたのはリオとその父親だった。
シャマンたちはリオの兄、ラゴと旅先で知り合ってこの街まで来たので、リオともすっかり仲が良くなった。
リオはまだ子供だと言える年齢に過ぎない。
それなのに父親の命と一緒に暮らしていた魔獣やその卵をほとんど奪われてしまったという。
そして以前までとは違う飼育を施された魔獣たちは、闘技場でその暴力面を前面に押し出した演出を施され、それがまた喝采を浴びていた。
リオが悲しい気持ちでいることを知っているシャマンにとって、あの巨大で強力なアビス・クラーケンももしかしたらそういう存在かもしれない、そう思ってしまったら戦う気概を失くしてしまったのだ。
「幸いにしてあの赤い鳥は期待を裏切らねえ。クラーケンを始末することに変わりはねえだろうが、何もリオの見てる前でオレたちがとどめを刺すこともねえだろ」
それが今のシャマンの判断だった。
ウィペットがレッキスの肩にそっと手を置いた。
「レッキス。正誤の判断で迷ったとき、オレたちのチームではどうする?」
「リーダーであるシャマンの判断を尊重する。わかったよ、もう」
レッキスも内心、もうクラーケンと戦う気が無くなっていた。
しかし今後もここでは魔獣相手に本気になれるか妖しいものだとうそぶいた。
「戦う相手は外道の方がやりやすい。それがオレの至った答えだよ」
「さすが正義の鉄槌神ムーダンの神官戦士さまだよ」
そう言ってレッキスもドサッと地面に座り込んだ。
三人並んで戦いの趨勢を見極めることに決め込んだのだ。




