698 ウシツノとアカメ
突然の轟音と共にひときわ大きな炎の塊がクラーケンの頭部に激突した。
今までで最大級の衝撃に、さしものこの巨大な海獣も大きく横にかしいだ。
炎の塊は赤い体色のカエル族に姿を変えると得意そうに笑った。
「どうだい、オレのロケットダイブは! 今のは効いただろう」
クラーケンの眼がアマンを捕らえると怒りの感情を表した。
闇雲に触腕を振り回し、周囲に甚大な被害を及ぼす。
だが当のアマンはそれを難なく躱しなお一層に笑い転げる。
その動きに観客たちも気付いた。
地上で逃げ惑う戦士たちも頭上の光景に目を見張る。
アマンはクラーケンの触腕や触手を掻い潜り、そのたびに笑い声をあげ、怒りに悶えるクラーケンはいつの間にか攻撃の的をアマンひとりに絞っていた。
「なんだ、アイツ? この状況を楽しんでやがる。どういう神経してるんだ」
そうつぶやいたのは黒鴉のコクマルだった。
笑いながら跳びまわるアマンの様子はそれだけ場にそぐわなかったのだ。
だがアマンに注意を向けたのはコクマルだけではない。
赤い鳥もこの様子に注目したが表情はコクマルよりももう少し厳しいものだった。
「このままではいかん」
「あ? なにがだよ」
「そのうちに落とされる」
タイランはアマンの動きと時折り加える炎の攻撃を見定めてそう言った。
「ケッ! お得意の先読みってのか……あ、おいッ」
コクマルには返事をせずに、タイランは炎をまとわりつかせて跳びはねるアマンのもとへと飛んだ。
「そのうち落とされるぞ」
「なに?」
アマンは目の前に現れた赤い鳥の剣士を見やった。
「炎を操るカエル族とは珍しいな」
「誰だい、あんた?」
「タイラン。自由騎士だ」
「なんだい、自由騎士って?」
アマンの中で騎士とは王に仕えるもの。
規律と節制を良しとする者であり、自由などというものとは真逆の価値観を是とする者だと認識していた。
それゆえアマンは騎士に憧れたことがない。
何物にも束縛されず、好きな時に好きな所へ行ける冒険者にこそ憧れた。
「仕えるものを自ら定める。それが自由騎士だ」
「成立するの、それ?」
アマンには矛盾をはらんだ語彙にしか聞こえなかった。
「どうかな。模索しているところだ」
「ぷっ。面白いな、あんた」
思わず吹き出したアマンだが、会話の最中もタイランのことをつぶさに観察していた。
(強い。オレが知ってる中ではたぶん断トツに……)
それがアマンの回答だった。
この状況下での佇まい、気配、体格、落ち着き。
それと剣。
柄頭に葉のレリーフをあしらった、薄桃色の刀身をした細剣。
「よければ名を聞きたいのだが?」
赤い鳥はアマンにそう促した。
素直に名乗っても良かったのだが、アマンは少し意地悪に答えてみた。
「ホムラガエル」
「本名ではあるまい?」
「オレは騎士ではないんでね。素直に教えたりなんかしないよ」
「ふむ」
タイランは少し考えこむ素振りでアマンを見つめた。
「オレの予想通りなら、お前はオレの探し人と、そして二人の親友の仲間だと思うのだが」
「ん?」
「そうであるなら見捨てて置けんと思ったまで」
「ちょっとまて、オレがあの化け物にやられるとでも」
「さあどうだろうな。だが……周りはお前を狙っているぞ」
「え」
そこでアマンはようやく気が付いた。
クラーケンの触手から逃げ惑う戦士たちも、実は虎視眈々と勝機を窺っている。
その勝機とは……。
「お前がクラーケンを倒した途端に、他の者たちが一斉に斬りかかってくるかもしれないな」
「そういうことか」
これは予選である。
当然生き残れば本戦が待ち構えている。
もしここであの化け物を倒す力を持つ者がいたとして、その者と試合で正々堂々と戦おうとする者がどれだけいるだろうか。
いま、バトルロワイアルの様相を呈し始めているこの場で、寄ってたかって亡き者にしてしまう方がはるかに上出来だと言える。
「だから力を見せるなって言うのか」
ジャックとオーヤの言っていた意味がようやく理解できた。
「だがオレはあのクラーケンを退治したいのだ」
タイランはアマンにとっては意外な一言を口にした。
おそらく人減らしが済むまで生き延びるのが最適解だと言われると思ったのだ。
「あのふんぞり返った妖精女王の鼻を明かしたいとは思わんか?」
「それは思うぞ」
一番高い観覧席からこちらを見下ろす女王の姿が鼻について仕方なかった。
「なら手を組もう。あの化け物を倒すまで」
差し出された右手を掴もうか、アマンは一瞬迷った。
老ヌマーカに忍びの手ほどきを受けて育った。
簡単に他人を信頼することはできない。
十人いれば十人疑う。
百人いれば一人ぐらいは信じてみてもいい。
「よし。いいぜ」
アマンはタイランの右手を握り返した。
「ありがとう」
礼を述べたタイランがアマンに笑みを見せる。
「信じてくれた返礼に、さっき言った二人の親友が誰なのか、教えてやろう。ウシツノとアカメだ」
「ッ!」
アマンは全身に強烈な風を浴びた気がした。
さらりと言われた二人の名に、居心地の良さを思い出していた。
もう一度、タイランの姿をよく見てみる。
先ほどまでよりもなぜか大きく見えた。
「アマンだ。オレの名はアマン。炎の力はアユミから借りている力だ。探し人って、そうだろ? あんたの話はよく聞かされたよ。赤い鳥タイラン」




