696 裏の騎士団
のたくるアビス・クラーケンの足を掻い潜る二つの赤い影があった。
ひとつは赤い旅人帽を目深にかぶり、肩から生えた赤い羽根をマントのように翻す鳥人族の剣士。
もうひとつは全身から赤い炎をほとばしらせて、燃え上がる身体で縦横無尽に跳びまわるカエル族の若者。
二人は隔離されていた珊瑚の檻から解放されて、水を得た魚の如く自由に動き回った。
いや、飛び回っていた。
赤い鳥は翼を広げて飛翔し、炎のカエルは身軽に跳ねては火種を爆ぜて空間を駆けた。
二人は飛び回りながら剣で、炎で、クラーケンの足を攻撃する。
その足は硬質な珊瑚の殻に覆われて、剣の衝撃を弾き、炎の熱を防いでいた。
「生半可な攻撃では防御を貫通できないか」
空中は高い位置で静止して状況を見下ろしたタイランの隣にさらに二人のバードマンが並んだ。
二本の小剣を持った黒い小兵コクマルと、槍を手にした白鳥のナキだ。
コクマルはクラーケンの巨体を見下ろして唾を吐く。
「正気かよッ。こんな化け物に剣で切りつけたってどうにかなるとでも思うか?」
「確かに。ハイランドで戦った、あのゴア・バルカーンが可愛く思えるな」
ナキも同調している。
そもそも調停者として世界を相手取るクァックジャード騎士団である彼らにとって、武力は決して引けを取ってはならないものではあるが、それはあくまで相手が交渉する知能を持った生物に限られる。
彼らの本文は交渉であり、化け物退治ではないのだ。
「大闘技会と聞いて来てみりゃあまさかの大ダコ相手とはな」
「コクマル。あれはイカだろう?」
「さあどっちかね。どっちでも構わねえよ。で、どう戦うんだ」
コクマルとナキがタイランの返事を待つ。
根性論や精神論などは必要ない。
そんなものはあって当然の前提で、では具体的に何を頑張ればいいのかを聞いているのだ。
「常道なれば、やはり目玉を狙うか、体内から崩すか。コクマル、頼めるか?」
「はあ? テメェ、このオレに、あの化け物に食われろって言うのかよ」
「小柄なお前が適任だと思ってな」
「確かに。喉で詰まっては腹の中まで行けないしな」
アッハッハ、と笑うナキに「フザケンナッ! テメ―がやれよナキィ」とコクマルが食って掛かる。
「いやいや、腹から出た時さ、お前ならイカ墨で真っ黒になってても気にしないで済むだろ。白鳥の私は相応しくないって」
「オレだってゴメンだ! やい、タイラン! もっとこうズバッっと仕留めらんねえのかよ」
「そうだな……」
二人が言い合っている間も戦況を見つめていたのだが、その間にも脱落していく戦士たちは後を絶たなかった。
太い脚に叩き潰されたり、絞め殺されたり、あるいはコクマルが辞退したクラーケンの口の中へと放り込まれる者もいた。
「あらら、だいぶ減ったなあ」
「冗談はさておきタイラン、早くなんとかせねば犠牲者が増える一方だぞ」
「それはそうなんだが、どうやら化け物を仕留めようと躍起になっているのは少数派のようだぞ」
「なに?」
それはタイランの見立てであり、おそらくそう間違ってもいないだろう。
実力に見合わない者が立ち向かい返り討ちに遭うのはまだしも、相応の実力者と思しき者でも積極果敢に戦いを挑もうとはしていない、そのような者がかなりの数目に付いた。
「特にあいつらだ」
タイランの目線の先には竜人族で構成されたチームがいた。
「あいつらが五氏族連合にいた奴らなのか、タイラン?」
「間違いない。その中の三人だ」
「てことは奴らがマスター・ハヤブサの仇かよ」
そのズメウの三人はどっしりと構えたまま、時折り襲い来る触腕や触手を払いのけるばかりで攻撃に参加しているようには見えなかった。
「何故戦おうとしないんだ?」
「そんなこともわからないのかい? ナキちゃんはよぉ」
「なにッ」
突然横合いから人を舐めた口調で煽る声がして、タイランたちはそちらを注視した。
彼らは翼を持つため今は空中から試合場を見下ろしていた。
その彼らと同じ位置に接近してきたのは、その者たちにもそろって翼があったからに他ならない。
「お前らはッ」
ナキだけではない。
タイランと、そしてコクマルの顔も嫌悪に歪む。
「ジャーレム三兄弟……」
「おっと、ナキちゃんそりゃないだろう? オレはロック。そしてルフにシグルム。ちゃんと名前で呼んでくれよ」
茶系とグレーの毛色が混じり合った三人のバードマンは、タイランたちと同じように羽根の付いた旅人帽をかぶっていた。
「お前たちとは仲良くする理由はないからな」
「冷たいなあ、ナキちゃんよお。そりゃあ一体どういうことだよ」
「お前たちは私らとは違い……」
「クァックジャードの裏の騎士だからってか」
ロックの顔が険しくなった。
怒りを隠そうともしないほどにナキを睨みつけている。
彼らジャーレフ三兄弟は確かにタイランたちと同じ、誉れ高きクァックジャード騎士団である。
だが彼らの活躍が表立つことはない。
何故ならば、彼らの仕事は調停者たち騎士団に在ってはならないはずのもの。
すなわち、暗殺、であるからだ。
「お前たちも腕に自信はあるのだろう? あのクラーケンをどうにかしたらどうだ?」
ナキの前にタイランが割って入った。
そのさり気無い騎士道精神にロックは反吐が出そうになった。
「赤い鳥タイラン」
「あの化け物の首級、お前らになら譲ってやってもいいぞ」
「フッ。けしかけようたって無駄だ。オレらは手を出さねえぜ」
「臆したか?」
「バカか? あの化け物がクソ雑魚どもを一掃してくれてる。生き残ってさえいれば決勝トーナメント行き決定だろ」
ナキはその考え方にカチンと来たようだ。
拳を握り一歩前へ出ようとするのをタイランが押しとどめる。
「お前たちも任務でここに居るのだろう? 仇なら、あそこにいるぞ」
「ああ確かに。だが目標は十人のズメウだ。あれで全部じゃねえ。なので今は手を出さねえ」
三兄弟が翼をはばたかせて距離を開けた。
ニヤニヤ笑いながら腕を組み、高みの見物を決め込んでいるようだ。
「オレたちは今は成り行きを見守るだけだ。だが背後には気をつけろよ。オレたちが何の専門かを忘れるな」
「……」
三兄弟の高笑いをナキとコクマルは苦々し気に睨み、タイランは……静かに笑った。




