695 最も信頼のおける二人の戦士
うねうねと蠢く巨大な柱が何本ものたうっている。
数十本のソレは柱ではなく足である。
巨大な触腕、長大な触手。
珊瑚の格子に擬態していたその足は、巨大な海獣アビス・クラーケンという正体を現すと、開き直ったかのようにその生命力を誇示し始めた。
百本に近い巨大蛇のような軟体の足が地面を打ちつけるたびに会場全体が酷く揺れる。
中心にほど近い地底からは塔のように高く、帆船と見紛うほどに巨大なイカの姿が現れる。
予選に参加している戦士たちは途方もない戦力差に多くが恐慌をきたしている。
観客も同様に恐怖を覚え、席を立ち避難を開始する者もいる。
しかしアビス・クラーケンの振り上げた巨大な足は観客席には一切届かなかった。
空中に見えない壁があるようで、惨劇は試合場でのみの出来事となっていた。
それは裏を返せば出場者たちはこの場を逃げることが許されていないという事だ。
そのことに気付き始めた観衆は、普段闘技場で命を張り合う剣闘士を見世物としてなぶる快感を思い起こし、次第にこの惨劇に興奮し始めた。
街で安穏と暮らしていては一生御目に掛けることもない、太古の人々が見れば間違いなく神と崇めるであろう巨大なモンスターと、世界中から集まった勇者たちの総力戦を生で堪能できるのだ。
もはや会場は、海獣の凶暴さと、その犠牲となる勇者たち、その残酷な結末を期待する観衆の欲望に包まれていた。
「こんなの、ひどすぎます!」
予選の様子を高い窓から眺め下ろしていたダーナが、拳を強く握りしめながら吐き捨てた。
予選免除を言い渡されたウシツノ、ダーナ、そして今朝チームに合流した豹頭族の戦士、黒豹アナトリアの三人は、用意された試合場を高所から望める部屋にいて、予選の様子を眺めていた。
彼らにしても予選がどのような形で行われるかは知らなかった。
確かに大勢を手早くふるい落とす必要はあっただろう。
その策がよもやこのような派手な惨劇だったとは。
「あ……」
予選には闘技場の剣闘士たちも大勢参加している。
剣闘士は基本、強制参加だ。
普段から命を懸けた死闘を演じさせられながら、今日にいたっては絶望的な戦いを余儀なくされている。
ダーナの見つめる先で、またひとり、またひとり、見知った仲間が散っていくのが目に入った。
下手をすれば、自分も今あの場所に立っていたかもしれないのだ。
運よくウシツノと懇意になり、チャンピオンとなった彼のチームに引き入れられたからこそ、今ここに、安全を確保した場所で散り行く仲間たちを見ていられる。
いや、ついにダーナは辛さのあまり目を背けてしまった。
数歩下がり椅子にへたり込む。
「同情する気持ちはわかるが、あまり肩入れしないことだ」
同じく腰を下ろしたアナトリアだが、彼の落ち着き払った物言いにダーナは憤然とした。
「あなたこそ、今頃はあの場にいたかもしれないのですよ? どうしてそう落ち着いていられるんですか」
「たとえそうだとしても、オレは必ず生き残るだろう」
「なんでそう言い切れます」
「あそこでオレが死ぬ絵が見えん。だからだ」
あまりに簡潔に言い放つので、それ以上ダーナは口答えする気も失せた。
「ずいぶんと自信過剰ですこと」
「オレのような奴ばかりが勝ち上がってくるはずだ。そいつらと相対するまでにお前も覚悟を決めておくといい」
「ご忠告、どうも」
つん、と顔をそむけたダーナにアナトリアは珍しく小さく微笑んだ。
その微笑みに気付いてダーナもこれ以上何かを言う気は無くなった。
「うん、確かに」
その時試合場を見続けていたウシツノが澄んだ声でひとり感心していた。
「なにがですの?」
「あんな怪物に後れを取るようなことはない。少なくとも、オレの知る限り最も信頼のおける戦士が二人、あそこにいる」
「シャマンさまやレッキスさまのことですか?」
ダーナは近寄ってウシツノの見ている先に目を転じた。
それは猿人族の戦士でも兎耳族の拳法家でもなかった。
「あの方たち?」
答えを聞くまでもなかった。
ウシツノの目は示したその二人を写し、絶対の勝利を確信していた。
ダーナにとって見たことのないウシツノの表情だった。
「あの二人、ですか?」
赤い出で立ちの鳥人族と、炎を操るカエル族の二人が試合場を躍動していた。




