669 Mort vivant 【生ける死者】
妖艶、という言葉の意味を今まで誤解していた。
シオリにそう思わせるほどに現れた女主人エリスは怪しい美貌を振りまいていた。
静かに地下から現れた城主は、うっすらと射す月灯りの下で青白い顔を笑顔で満たしていた。
「今頃化けて出るなんて、そうまでしてこの世に未練があるのかしら」
「別にあの世へ行ったわけではないぞ。私はずっとこの城の地下に居たのだ。この地で傷を癒し、力を蓄えていた」
エリスはあざけるようにオーヤを見据えて笑う。
「そして懐かしい気配を感じて出てきてみれば、ホーホゥと喧しい魔女のなれの果てがいた」
「そのまま地下で眠ってればいいものを」
「貴様こそ、何故この地に戻ってまいった? マグ王の城へでも戻るつもりか」
「あんたには関係ないわ」
ピン、と空気が張り詰めた。
エリスの目が細く冷たくなっていた。
「そうはいかぬ。お前たちを通すわけにはいかぬのだ」
「まるで門番気取りね。あんたには関係ないことでしょうに……」
オーヤがそこで黙り込んでしまった。
エリスの表情に変化はなく、シオリはどうしたのかとオーヤの様子を盗み見た。
オーヤの顔つきが厳しくなっていた。
「まさか、マグ王と取引をしたのね」
「ええ、そうよ」
「チッ」
オーヤが苛立ったように羽をひと振りした。
「どういうことですか?」
事態が呑み込めないシオリはどちらへともなく尋ねた。
「マグ王は冥界の支配者。あの世へ向かう魂の渡し守よ。そんな彼がこいつを野放しにしたままだなんてありえない」
「そうよ。私は取引をした。この世界に居座る代わりに、冥界への入り口を護る、と」
「そうまでして私たちが黒姫に会うのを阻止したがるなんてね。どうする? シオリ」
切り替えの早いオーヤはすでにシオリに回答を示している。
シオリもそれに気付いていた。
手にした光の剣を握りなおす。
「言っておくけど、シオリは案外強いわよ。ただの吸血鬼風情が敵う相手じゃないわ」
「ヴァンパイアなんですか? この人」
吸血鬼ぐらいならこの手の話に疎いシオリでも知っている。
「血を吸われたら私もヴァンパイアに……」
「シオリは状態異常を無効化する白姫だから平気よ。だからエリス! あんたに勝ち目はないのよ」
しかしエリスは不敵な笑みを崩さなかった。
「どうしたの? 四百年も土の中にいて脳まで腐ってしまったのかしら? 理解できなくてもあんたひとりを相手に手心なんて加えないわよ」
「ひとり? 私がひとりだなんていつ言ったかしら」
その言葉を待っていたのか、エリスの背後から闇を縫っていくつもの影がまろび出た。
「お呼びでしょうか、エリス様」
「ええ、ツルクォ」
黒いヴェールに黒い目隠しをした小柄なメイドだ。
両手に抱えるほどに大きなハサミを持っている。
「エリス様」
「世話をかけるわ、イローナ」
体格の良い中年の女性だ。
厳しい顔つきでシオリとオーヤを睨んでいる。
「参りましたぞ、お嬢様」
「ウイバリィ。頼りにさせてもらうわね」
こちらはまた長身の紳士だ。
夜会服に身を包んでいるが腰にはしっかり剣を佩いている。
「はぁ、久しぶりの出番なの? エリス」
「ええそうよ、ダルヴァラ」
最後のひとりは魔女だ。
身をくねらせながら肢体もあらわな衣装を着込み、大きな魔女の帽子をかぶっている。
「私の血を分け与えた、生ける死者たち。今夜は楽しい夜にしましょうね」
彼らの目が一斉に光った。
散開し、襲い掛かってくる。
どいつも口を開ければ鋭い乱杭歯が見えていた。
「フクロウにかつての魔力はないはずよ! まずは羽の生えた小娘の方を狙いなさい」
生ける死者たちはシオリを目標に据え向かってくる。
「下僕に出来ずとも、光の聖女の生き血はさぞかし美味でしょう。みんなで美味しくいただきましょう」
月明かりだけを頼りにする、闇夜の死闘が始まった。
シオリ以外は暗視で真昼のように見えているが、シオリはそうもいかない。
ただ手にした光の剣が発する微光だけが頼りだった。
「オ、オーヤさん! ニンニクとか十字架とか、持ってないですかッ」
「ニンニクは地方の風習で対吸血鬼に限ったものじゃないし、この世界にカトリックはもうないから、十字架が特別に効果があるなんてこともないの」
「じゃ、じゃあ聖水とか」
「白姫のパワーでごり押しなさいッ」
最初に攻撃が届いたのは体格の良いイローナだった。
大きめの瓦礫を掴んでそのまま殴り込んでくる。
「んもうッ! 閃光撃ッ」
瓦礫に対し光の剣を当てる。
その瞬間に光の衝撃が弾け飛び、イローナの持った瓦礫が粉微塵に吹き飛んだ。




