666 Castlevania 【悪魔城】
「あの城よ」
吹きおろしの風が強く吹く山道で、傍らの巨石に降り立ったフクロウ姿のオーヤが言った。
シオリは顔を上げ、山頂へと続く険しい道を見上げた。
ところどころに雪が残る岩だらけの道の先に、石で組み上げられた山城があった。
空の青さと雪の白さ、灰色の石と灰色の城。
身を裂きそうな寒風に見合った色合いの景色であった。
「あら? シオリ」
フクロウのオーヤがシオリの頭を見て何かに気が付いたようだ。
シオリは自身の左側頭部に手を伸ばし、そこに挿してあった白い花を手に取った。
小さなアネモネの花びらが一枚、風に煽られたのか千切れて無くなっていた。
「緑腐病を治してあげた子がくれたやつよね」
「うん。私でも、無くなった花びらを元には戻せないです」
シオリは腰のポーチから布切れを取り出すと、そっと花びらを包んで仕舞った。
シオリはまっさらな白い旅装に着替えていた。
先日まで滞在していた村人たちが餞別にと贈ってくれたものだった。
喋るフクロウを連れた癒し手の少女の奇跡に感激した村人たちは、シオリを数日間引き留めた。
その間にシオリは不調を訴える村人を癒し、自身の旅の疲れも癒した。
最初に治した幼子は、元気になるとすぐにシオリに懐いてしまった。
しかしあまり長期間滞在するものではない、というオーヤの意見に従い、二日前に村を後にしたのだ。
目的地はこの先、ピエトローシュ山の悪魔城である。
「最後まで、神父のパストルさんがあそこは危険だからよしなさいって言ってたけど」
「冥界に通じる穴の上に建てられた城だからね。邪悪な存在が居ついてもおかしくないわ」
あの城自体は四百年前に廃墟となったらしい。
パストルから聞いた話はなかなかに凄惨で耳を塞ぎたくなるものだった。
その昔、この地方を治めていた領主が国王に謀反を企てた罪で処刑された。
妻に先立たれていた領主に家族と呼べる者はまだ年端も行かないひとり娘のエリスだけだったそうだ。
領地の大半は没収されたが、エリスは残ったピエトローシュの山城に引きこもることを条件に助命が許された。
使用人や召使いはほとんどが暇を出され、故郷から捨てられた者が数名、身の回りを世話するためにエリスの元に残った。
約束通りエリスは社交界にデビューすることもなく、わずかな使用人と共に極寒の山城でひっそりと育った。
数年は静かな時が流れた。
エリスは城から出ることはなく、周辺の村々でもほとんど話題に上がることはなかった。
定期的に村の雑貨屋を営む者が城まで食料や日用品を届けることはあったが、特に何の問題も起きなかった。
「ですがある年の夏至の日。事件が起きたのです」
最初の異常は村の家畜が惨殺されていた、というものでした。
夜のうちに村中の牛や山羊が残らず殺されていたのです。
オオカミやクマの仕業かとも思われましたが、目撃した者はおりませんでした。
不審に思った村人はこのことを国王に報告しましたが相手にされず、ひと月後、事態は悪化します。
村に住む若い娘が数人、立て続けに行方不明になったのです。
そのころ不審な噂や目撃情報が現れます。
エリスの住む山城に時折り不気味な魔術師風の一団が出入りしていたり、多くの奴隷の娘を買い込み城に運び込まれたというのです。
しかしエリスの城に暮らす人数が増えた様子はありませんでした。
雑貨屋が定期的に食料を運んでいましたが、今までと同じ量しか必要とされなかったというのです。
そうこうしているうちに周辺の村々から行方不明になる娘の数が日増しに増えていきました。
危険な場所へは近寄らず、村の外へも出ないでいたのにです。
共通しているのは自室から夜のうちに居なくなることと、いなくなった娘たちは全員が生娘であったということだけです。
その範囲は徐々に広がり、ついに貴族の令嬢にまで犠牲者が出たところでようやく国王が討伐隊を編成しました。
目標はエリスの山城です。
もろもろの状況からそれは疑いのないことでした。
騎士団と周辺の村人たちによる夜討ちは成功しました。
雑貨屋が命令を受けて運んだ酒に大量の眠り薬を仕込んでおいたのです。
満月の夜の日にだけ酒を飲むという話を使用人から聞き出していたのでした。
城へ突入した時、大広間では酒宴が開かれていたようです。
しかしそれは地獄の光景でした。
エリスらしき女主人と、それに近しい使用人たち。
そして魔術師風の男たちが煽情的な痴態を繰り広げ、そしてそれを眺める巨大な悪魔が、おそらく買われた奴隷でしょう、人間を生きたまま貪り食っていたのです。
周囲には怪しげな香が焚かれ、悪魔が食い散らかした娘たちの一部が散乱し、そこで複数人が享楽に耽っていたのです。
恐怖と義憤に駆られた人々は魔術師たちに斬りかかりました。
エリスは、悪鬼のような形相を見せて、悪魔の後ろへ退きます。
そして悪魔は騎士団と村人たちに襲い掛かりました。
人外の化け物を相手に人々は全滅しかけたのですが……。
その時、城の地下からひとりの女性が現れたのです。
その女性のことをエリスは知らないようでした。
そしてエリスと悪魔はその女性に。
「長い金髪に全身黒く禍々しいスーツ姿の女性に倒されてしまいました。エリスも悪魔も塵になって消えたそうです」
神父のパストルも四百年前の話なので、この辺りについては曖昧な点が多いと言っていた。
詳細な記録が残っていないそうなのだ。
ただ、城の地下からは数百人分の若い女の死体が発見されたという。
黒魔術に傾倒したエリスの仕業と断定された。
「ただ、生き残ったわずかな騎士の証言に気になる一文が残っていまして」
パストルは薄気味悪そうに最後にそれを教えてくれた。
「すべてを終えて退却する騎士たちの耳に確かに聞こえたそうなのです。私は必ず蘇る、と、エリスの声だったそうです」
神父の話はそれで終わりだった。
そして今、これから行く道の先に廃墟と化したエリスの城が見えていた。
ふと、シオリがオーヤを盗み見てみると、フクロウの姿のオーヤはじっと山城を見つめていた。
なにを思っているのか、その眼からは何も読み取れなかった。




