664 Healer 【癒し手の少女】
「はぁ、はぁ、苦しいよ……お母さん……」
「ああ、先生、この子は、この子助かるんですよね」
寝台で喘ぐ幼子を診る医師の顔は沈痛に満ちている。
その表情を読み取った幼子の母親が泣き崩れた。
「緑腐病です。それもかなり進行している。残念ですが、もうどんな薬も間に合いません」
幼子の肌には全身いたるところに緑色の斑点ができていた。
少し触れただけで肌は裂け、そこから膿が出る。
このまま進行が続けば斑点部分から皮膚が溶けだし、腐り落ちてしまう。
身体の末端部分に発症した場合は全身に広まる前に該当部分を切除する処置が施されるが、胴体などに発症した場合は手の打ちようがない。
原因は緑砂に付着した病原体が体内に入り込んだ際、何らかの影響で繁殖活動を活性化することにある。
この病原体は微生物サイズの魔神とされ、医学のみならず魔術、神学、錬金術の観点からも研究の対象とされている。
緑腐病に罹った患者は高熱と激痛に苛まれながら、死へのカウントダウンを数えることになるのだ。
「この病は体力と免疫力の低い子供が罹った場合、数日と持ちません。苦しみを早く取り除いてやるには……」
医師の宣告は非情なものであるが、今できる最良の選択はこれしかないという。
幼子の父親が母親の肩に手を置く。
「オレがやろう。シュクランの苦しみを早く終わらせてやらないとな」
そう言った父親の手が震えているのを母親は肩越しに感じていた。
「誰かに神父様を呼んできてもらおう。この子が無事に天国へと行けるよう祈ってもらわねば……」
ドンドンドンッ!
「おい、マラック! マラック」
突然家の扉を乱雑に叩く音が聞こえ、隣に住む木こりのイサールが飛び込んできた。
「どうしたイサール? 丁度いいところに来てくれた。神父様を呼んできてほしいんだが」
「マラック! 大変だ。来たんだよ」
イサールと呼ばれた中年の男は息を切らせながらマラックの両肩を掴んだ。
「落ち着け、イサール。今はそれどころじゃ……」
「だから! 来たんだって! 救い主が」
「救い主?」
「喋るフクロウを連れた癒し手の少女だよッ」
「えっ」
母親が顔を上げ、医師も腰を浮かせた。
「森で仕事をしていたら通りかかったんだ。それでお前、オレはシュクランちゃんのことをその方に話して、ここへ来てくれるよう頼んだんだよッ」
「本当か?」
「オレは先にお前に伝えようと……多分もう来てくれる……はぁッ」
喋るフクロウを連れた癒し手の少女。
その噂が聞かれだしたのはこの数ヶ月のことである。
人語を解すフクロウを連れたひとりの旅の少女が、辺境の行く先々で病人や怪我人を治癒している。
それはとても不思議な少女で、薬や医療器具といったものは一切使わず、不思議な光でなんでも治してしまうのである。
どこかの組織に属しているわけでも、高額の報酬をせびるわけでもなく、人々を救済して去っていく。
「ごめんください」
扉の外で少女の声がした。
幼子の両親は顔を見合わせるとおずおずと扉を押し開いた。
「こちらに苦しんでいるお子さんがいると伺いまして」
扉の前に立っていたのは肩にフクロウを止まらせた、くたびれた旅装の少女だった。
徒歩の旅らしく、ブーツは泥と砂がこびりつき、マントの端はボロボロだった。
長い緑の黒髪も傷んでいるし、頬は日に焼けて赤くなっている。
けれどもその外見を忘れさせるほどに生命力に満ちた印象を抱かせる少女だった。
何も心配はない、と言いたげな優しい表情を崩すことなく、こちらの出方を待っている。
少女の後方にはこの村に住む大勢の者が人垣を作って様子を見ている。
みな噂の癒し手について真偽を確かめたがっていた。
「あんたが……うわさの」
扉を開けた位置で固まってしまったマラックは、ようやくかすれた声でそう切り出した。
「ほら、呆けてないで。とっとと中へ入れなさいよ」
「ッ!」
突然少女の肩に止まったフクロウが女の声でそう言った。
噂は聞いていたが目の前で本当にフクロウがしゃべったことに集まった人たちからどよめきが上がった。
「オーヤさん。いつも言ってるじゃないですか。いきなりしゃべったらみんながびっくりするから……」
「ここは日本じゃないってのに。亜人が多い異世界でも、しゃべる動物はそんなに珍しいものかしらね」
少女とフクロウのやり取りに圧倒されたが、マラックは気を取り直すと中へと招き入れた。
なにが起きるか不安もあったため、村人たちの集まる玄関は開け放したままにしておく。
木造の小屋は入るとすぐに生活の中心が営まれる居間であり、幼子は奥の窓際に据えられた寝台にいた。
「たしかに緑腐病ね。生命の精霊力が著しく低下している。夜までもたないわ」
フクロウの告げた見立ては寝台の脇にいた医師と同様であった。
「はぁ、はぁ」
「可愛そうに。すぐに良くなるからね」
熱に浮かされて朦朧とした瞳で天井を見上げる幼子に、少女は優しく語り掛けるとそっと右手を幼子の胸に当て目を閉じた。
フクロウは少女の肩から寝台の支柱へと移る。
誰もが固唾をのんで見守る中、少女は口の中で小さく言葉を紡いだ。
「光よ。悪態快癒」
ほのかな光が少女の手元から発する。
柔らかく、暖かなその光は、幼子を包み込み、より一層まばゆさを増していく。
少女は目をつぶったまま歯を喰いしばり、額に汗が浮く。
誰もその光景から目を離せず、光を見ているというのに目を閉じる事すら忘れていた。
どれぐらい経っただろうか。
長くはないが、決して短くもない時間が過ぎた頃、光は急速に、しぼむように消えていった。
「ふぅ」
「もう大丈夫そうね、シオリ」
「はい」
フクロウがシオリと呼んだ少女は口元をほころばせながら幼子の額をそっと撫でてやった。
幼子は穏やかな寝息を立てており、慌てた医師が確認すると、全身にあった緑色の斑点が全て奇麗に消え去っていた。
「し、信じられない……。いや、すごい。シュクランの症状が消えている」
医師が幼子の快癒を告げると、母親は相好を崩し幼子を抱きしめた。
父親は神に祈り、次いで少女に感謝した。
少女、シオリは照れくさそうに頭を下げた。




