662 fake 【姫神?】
タイランの元にきれいに洗い畳まれた装備一式と手荷物、そしてエスメラルダの前法王サトゥエより賜った神剣ククロセアトロが戻ってきた。
まだ左肩は完治に遠く、旅装に着替えるのにも手間取ったが、どうにかここを出て行く準備は整った。
タイランの旅支度が整う間、コクマルは一切の手助けはせず、姿を見せたムーダンの神官戦士長フリッツと何やら話し込んでいた。
そして最後にフリッツはタイランに言葉を添えて部屋を出て行ってしまった。
「結果的にだが、ムーア議長が助かったのは貴様が十人の賊と相対したためと言える。今回は不問とする故、早々にこの街を出て行くがいい」
タイランは何かを言いかけたが、それをコクマルに制止され、結局は何も言わずにこの場を後にした。
外へ出ると日差しが熱く照り付ける、良く晴れた昼下がりであった。
タイランがいた建物は、正義の鉄槌神ムーダンの神殿の裏側に建つ堅牢な憲兵詰所であった。
外観は質実剛健というべき無骨なものだが、二十日近く滞在したタイランはそれほど居心地の悪いところではなかったとうそぶいた。
「オメー、最後あの野郎に何言おうとしたんだ」
「……アユミがいるのかと思いあそこへ向かったが、いたのは全くの別人だった。あの娘は……」
「この街を訪れた隊商が連れていた奴隷だってよ。条件に見合ったんで買い取ったらしい」
「ではやはり、姫神ではないのだな」
姫神がいると思わせるメリットはおそらく周辺国への威嚇、ないしは抑止であろう。
姫神という存在はいまや王族や貴族といった支配者層、学者や魔術師といった知識層にも広く知れ渡っている。
各地で立て続けに起きた異変や戦にも姫神の存在が喧伝されているため、一般市民にも認知され始めている。
規格外の戦闘力と神懸かり的な存在感は世界のバランスをいともたやすくひっくり返すことにもなろう。
もともとこの街にはシャマンらと共に金姫がいたのだ。
評議連という連中が権謀術数を画策するのも不思議ではない。
「おっと、おめーあの奴隷娘を解放してやろうとか、余計なこと考えるんじゃねえぞ」
「どうしてそう思う?」
「知るか。なんとなくだよ」
面白くなさそうにコクマルは顔を背ける。
「言っとくが、お前がこうして釈放されたのは、お前がクァックジャードにまだ籍が残されているからなんだからな」
「そうなのか?」
てっきり除籍されているものとばかり思っていた。
「騎士資格は剥奪されている。だが名簿からはまだ消されずにいるんだ」
「……」
「下っ端と言えどクァックジャードだ。奴らは穏便に済ますことにしたのさ」
「取引か。条件は?」
「五氏族連合で見たことは口外するな。干渉するな、だ」
「まるっきりやましい気持ちの表れだな」
「一応奴らの言い分を信じるなら、あの娘は丁重に扱われているそうだ。少なくとも旅の商人にこき使われるよりかはな」
しかしあの娘の本意ではあるまい。
それに姫神を名乗る以上、何かと危険もついて回る。
そうは思うが一時の感情で動けるほど安易な場面ではない。
なにより今は満足に身体を動かすこともままならない身だ。
「それで、ナキはどうした?」
「あぁ?」
コクマルがいら立った声を上げる。
ナキは白い鳥騎士で同じくクァックジャードだ。
普段からコクマルとペアで行動を共にしている。
数少ないタイランの理解者であり、また聡明でもある。
そんなナキが粗忽なコクマルひとりにタイランの迎えに寄越すとは考えられなかった。
「あいつならそこの酒場で待ってるぜ」
コクマルが一軒の宿屋兼酒場を指差す。
看板に「黄金色の幻想亭」と書かれた店で、嵐の日、タイランが官邸へと侵入するきっかけを得た店であった。
「えらくお怒りだぜ。気ぃつけるんだな、せいぜいよ」
珍しくコクマルがタイランに向かって笑って見せた。
これからの困難を揶揄するような嫌な笑みではあったが。
「ふぅ、やれやれ」
タイランにとってはあの堅物なフリッツと対峙するよりも、気の重い一歩を店へと向かい押し出した。




