634 hammām 【公衆浴場】
レッキスはだいぶ遅い時間に目が覚めた。
とうに昼は過ぎている。
久しぶりの宿屋のベッドに警戒心も薄れてしまったようで、本人もびっくりするぐらい深い眠りについていた。
おかげで目覚めた時になんとも身軽な気分を味わえた。
部屋を見渡すと同室のもうひとつのベッドはもぬけの殻だった。
レッキスと相部屋はミナミだ。
「何処にいるんだろ」
今のミナミはひとりにしておくのが心配だ。
レッキスは手早く洗い立てのいつもの拳法着に着替えると部屋を出た。
宿は三階建てで一階は酒場を兼ねている。
まだ昼なのでヒトの数はそれほどでもない。
ミナミは壁際の席にいた。
ひとりではない。
旅の同伴者、魔物使いのラゴと何やら話していた。
「おはよ。何話してるん?」
「おはようございます、レッキスさん」
「おはよお」
ラゴに続いてミナミも返事をしてくれる。
「大した話ではありませんよ。ミナミさんに魔物の卵についてちょいと語って聞かせていただけです」
「卵? ミナミ興味あるの?」
「ん、いやあ、なんとなく、気になったというか。そんな感じというか」
「ふぅん」
まあ魔物使いと知り合うなんて滅多にないことだし、とレッキスも納得してみた。
通りがかったウェイトレスに軽食をオーダーし、レッキスも席に着いた。
二人はすでに昼食を済ませているらしい。
「ところでお二人は今日は何かご予定でも?」
ラゴにそう尋ねられたがミナミもレッキスも特に予定はなかった。
「他のみんなは?」
「シャマンさんとメインクーンさんはギルドへ行きました。ウィペットとクルペオさんは買い物へ」
まあそんなところだろうね、とレッキスは並べられたパンとチーズを手に取り頷いた。
「うちは今日はパスかな。砂漠を旅してきたせいかさあ、肌が日焼けと乾燥で酷いんだ」
レッキスは自身の腕をさすりながらぼやいた。
「ミナミは?」
「私も、結構……」
「ふふ」
「笑わないでよ、ラゴ」
「いや失礼。ですがそれならお二人に朗報です。実は先ほど買い出しの際に見かけたんですがね」
少し前にラゴは街へ出て魔物使いとして必要な道具の補充に出かけていたらしい。
その時にある通りで大層な行列を作る店を見かけたそうだ。
おいしいパン屋でもあるのかと軒先を確認してみると、そこは飲食店や雑貨屋でもなかった。
「公衆浴場?」
ミナミとレッキスが声をそろえて復唱した。
「そうです。なんでも今この王都でえらく繁盛しているそうですよ。もちろん浴場はいくつもあるんですがね、私が見かけたそこは最も新しく、最も賑わっているそうです」
「どうしてそんなに混んでるん?」
「私も気になりましたんでね、それとなく列に並んでいたご婦人に伺ってみたんですよ。なんでも一発でお肌がスベスベになるそうで」
「ふぅん」
「いやまあね、そういうリアクションにはなるでしょうがね。ところがこれが本当になかなかの美肌効果を実感できるそうでしてね。なんせお忍びであのユニコーンにまたがる翡翠の星騎士団の処女騎士さまがたも通われてるとか」
「ほんとぉ?」
そうまで言われるとそれなりに興味を覚え始める。
確かに羽を伸ばすのには最適な場所かもしれない。
「まあ物は試しにちょっと覗いてみてみようか?」
「え?」
レッキスがミナミに声を掛けた。
「でも……」
「よし! 行ってみよッ」
逡巡しかけたミナミをレッキスは強引に立たせた。
とっくに食事は終わっている。
「土産話を期待しときますよ」
ラゴも笑顔で二人に手を振った。
ミナミは自身の神器〈土飢王貴〉だけを持ってレッキスに引き摺られていった。




