622 pharmacist 【薬師】
気が付くと、かすかに見覚えのある天井の部屋に寝かされていた。
寝台の周りは洞窟内に掘られた部屋で、間仕切りで区切られた向こう側は石を組んで作られた壁がある。
岩壁からは清水が湧き出て部屋の片隅に沿って流れている。
部屋は暖かく、所狭しと薬草や花々の植木鉢が垂れ下がっていた。
「ッ痛ぅ」
起き上がろうとして、ボンドァンは左半身に鋭い痛みが走り戦慄した。
上手く身体が動かない。
かろうじて動く右手で左腕を触ってみると、慣れない岩のような肌触りがした。
暗闇に目が慣れてくると自分の左腕が変容していることに気が付いた。
「なんだ……これ?」
「まだ寝ていた方がいいよ」
ボンドァンに気付いたこの庵の主が近寄って声を掛けた。
暗闇でもはっきりと見て取れる。
小麦色の肌に金色の髪。
人を食ったかのような笑みをこぼす薬師の女だ。
「あんた……オレは、戻ってこれたのか……」
ボンドァンの記憶がよみがえる。
賢者の石を採りに浮遊石地帯へ行ったこと。
二頭のドラゴンと戦ったこと。
死を賭して立ち向かったこと。
「他の、連中は……」
「まだ眠ってた方がいいよ」
薬師の女がボンドァンの瞼に触れて閉じようとする。
「オレは、どれぐらい眠っていた?」
急激に暗闇に引き摺り込まれる感覚を覚える。
「二ヶ月よ。おやすみ」
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次に目覚めた時はスッキリとした気分だった。
これほど爽快な朝を迎えた日は記憶にない。
一瞬ここが何処かと記憶を探ったが、すぐに薬師の庵であることを思い出すと掛布を剥いで起き上がった。
またぞろあの女に深い眠りに誘われてはたまらない。
「ッ!」
起き上がり、上半身裸の自分の身体を見てギョッとした。
左腕が岩の塊のようだった。
いくつもの岩塊を寄せ集めて腕の形にしているようだ。
岩と岩の隙間からは緑色の光が漏れ出ている。
それでも自分の意思で岩となった腕を指先まで器用に動かすことに不自由はなかった。
そのとき手の甲の部分にギョロッとひとつ目玉が現れた。
すると手首や前腕、肘や二の腕などに続々と目玉が現れた。
「な、なんなんだ! オレの腕は」
ボンドァンの様子に気が付いた薬師が部屋にやって来た。
狼狽するボンドァンに落ち着くように言う。
「二本ツノでドラゴンと戦ったでしょ。どんな奴だった? 覚えてる?」
ボンドァンはコクンと頷いた。
「ひとつ目のコウモリの集合体だった。コウモリの群れが寄り集まってドラゴンの形をしていた。二頭のドラゴンは胴体がひとつで……地中にあった核は緑色の球体……」
左腕を見つめ、妙な既視感を覚える。
「そうだよ。君の左腕は、そのドラゴンと同じ性質を持っているんだ」
「……」
「君の左腕は無くなっていた。心臓も近かったからね。そうしないと命がなかったんだ。余計なことだったかな?」
ボンドァンは醜く変わり果てた左腕をじっと見つめていた。
「もし、余計なことだったというのなら、楽に死ねる薬を処方してあげるよ。君は立派に使命を果たした。選択は自由だし尊重もする」
「……オレ以外の、連中はどうした? クロウのおっさんとバイド=バイタは?」
「残念だけど、見つけたのは君だけだ」
「アナハイの奴は……」
言いかけて口を閉ざした。
目の前で巨大な砂虫と化したのを思い出していた。
「赤い鳥は山を下りたよ。彼の持ち帰った賢者の石のおかげで君も助かったんだ」
そうか、と口の中だけで答えた。
赤い鳥は無事役目を果たし、己の旅に戻ったのか。
「それじゃあ奥方……アナハイの奴のな、彼女も治ったんだな?」
「リュキアね。彼女ならまだここに居る。会ってやってよ。お礼が言いたいそうだから」
薬師に手伝ってもらいながら立ち上がると庵の外へ出た。
外は冬の寒さが肌にしみたが、清涼な空気が自身の穢れを払い飛ばしてくれそうな気がして心地よかった。
「ほら、あそこに」
庵から出て切り立った岸壁の縁にまで連れてこられた。
眼下に峻厳な岩山と砂漠の大地が見れる。
太陽の白い光を背に、リュキアは岩の上に立っていた。
「あれは……?」
そのリュキアの前に巨大な砂虫が直立していた。
身体の大部分は砂中にあるが、岩の上に立つリュキアよりもさらに高い位置に頭がある。
全長は王宮の尖塔よりも高いのではないだろうか。
「危ないッ! あんなバカでかいヤツ」
「大丈夫。彼はあの娘を襲ったりはしないから」
「彼だって?」
ボンドァンはなんとなく理解した。
ようやくふたりは一緒に居られるようになれたのだという事に。
「おーい」
薬師の女が声を掛けると振り向いたリュキアがボンドァンに気が付いた。




