619 unknown 【正体不明】
白馬の四本脚でハクニーは石畳の街路を疾駆した。
熱風が頬を撫で、オレンジ色の長い髪をなびかせる。
地面を蹴り上げるたびに乾いた路面にヒビが走り、欠けた小石が宙を舞う。
幸いにも人々は表通りを歩くハナイに夢中でこちらの路地に人影はない。
ハクニーは全力で走った。
「正面の丁字路を右へ。ポプラの木がある角を左へ」
耳元で聞こえる指示通りに走る。
ポプラの木を回り込むときには行き過ぎないよう、幹に左手を回して遠心力まで利用する。
あまりの速度と勢いにつんのめりそうになりながらもまっすぐ前を見据えて走った。
「正面の家! 屋根の上です」
石を塗り固めた建物が見える。
この街で最も多く見られる様式だ。
砂漠では木材は貴重である。
雨も少ないので屋根を斜めに建てる必要もない。
「ぃよいっしょぉッ」
ハクニーは腰ほどの高さである石臼と窓枠を順に蹴り上げ屋根の上へと跳びあがった。
この街の家々が石でよかったと思った。
木材や藁葺きだったら半人半馬のハクニーが乗り上げることは不可能だった。
だが先ほど見たエルフの戦闘怪人なら、身軽さでもって屋根から屋根へと移動も可能だったろう。
「いたッ」
正面にその影を確認した。
三つの小柄な影が数軒先の屋根を飛び降りたのを目視できた。
ハクニーは急いで後を追った。
「あっ」
耳元でウェイフェオンの小さな驚きの声が聞こえた。
ハクニーが影を追って飛び降りるとその先にまたひとつ、斬られて転がるエルフの姿を発見した。
一撃でやられたようですでに絶命している。
胴体を深々と切り裂かれていた。
おそらく飛び降りた着地の瞬間に攻撃を受けたのだろう。
「どっち?」
ハクニーが声を出してウェイフェオンに尋ねる。
「北です! 宮殿に近づいています」
ハクニーはすぐさま走り出した。
しかし飛び降りた場所は狭い路地がひしめいていて方向感覚が狂いそうになる。
「とにかく左へ抜ける道があったらそこを行ってください。宮殿広場前までもうすぐです」
「暗殺者は?」
「エルフが残り二人! 正体不明がひとり! こいつがエルフ二人を倒しています」
「いったい何者なの?」
「不明です。今もまた僕ら同様にエルフを追っているようですが」
味方なのだろうか?
不安を押し殺してハクニーは狭い路地を駆け抜けた。
前方に出口が見える。
薄暗い、迫るような両サイドの石壁を光の筋が差している。
止まらずに駆け抜けた。
路地を飛び出すとまず抜けるような青空が視界いっぱいに広がった。
そこは広めの通りであった。
再びいくつもの商店が軒を連ねている。
通りの名は知らないが、ハナイが歩く大路と交差する大きめの通りだ。
人々は大路に集中しているので、ここも太陽に熱せられた石畳が地面を這っている。
「いたッ」
前方でまたひとりエルフが斬り殺されていた。
地面にぼろきれの様に倒れ込む瞬間をハクニーは見た。
斬った相手も見た。
倒れたエルフと負けないぐらいのぼろぼろのマント、傷んだ鎧。
しかし顔はフードに隠れて見えない。
件の左腕は、判別できない。
「包帯?」
包帯らしきものを何重にも巻いているように見えた。
少なくとも腕の形は見えたので、隻腕ではない。
アンノウンの男はハクニーの姿を認めたようだが、何も言わず、すぐにその身をひるがえした。
方向は、宮殿前。
ハナイがやって来る方向だ。
「暗殺者はあとひとり残っています! アイツもそれを追っているようです」
ウェイフェオンの声を聞くより早くハクニーも後を追い始めていた。
もう歓声が近くに聞こえている。
遠目に大路の沿道に集まる人垣も見えている。
最後のひとりはなりふり構わずハナイに襲い掛かるつもりなのだろう。
ハクニーは通りを駆けるがこのままでは人垣に突っ込む以外ない。
見ればエルフの暗殺者はその身軽さを武器に再び建物の上を跳ねるように移動している。
その姿が人垣の遥か頭上を飛び越え宮殿前広場に降り立とうとしている。
ハクニーの目の前にもう人垣は迫り、その熱狂からハナイも広場に到着したのが伺えた。
「ダメ! 間に合わないよッ」
空中でエルフが刃を閃かせた。
誰もが地上を歩くハナイに集中していてその影に気付いていない。
ドンッ!
一発の発射音?
ハクニーにはそう聞こえた。
空中に跳んでいたエルフの身体を何かが貫いていた。
脱力した身体がひらひらとぼろきれの様に舞い降りる。
建物のひとつ向こう側に落ちるのを見て、ハクニーはそちらへ向かった。
沿道の人々は歓声に包まれ誰もそのことに気付いていないようだった。
その建物の裏手へ回るとエルフの死体が転がっていた。
ぼろきれのようなマントの下には、痩せこけて、ひび割れた肌が薄皮の様に骨にこびりついている。
そして頭は何かに撃ち抜かれたように潰れていた。
それを確認した男が立ち去ろうとしていた。
ウェイフェオンがアンノウンと表現した男だ。
「待って!」
ハクニーが声を掛けると一瞬、男が振り向いた。
フードの奥に顔が見える。
一瞬老人かと思った。
そうではなかった。
髪は白く、肌は乾いていたが、目元は鋭く、若々しさが感じられた。
立ち去ろうとするその男の左腕をハクニーは咄嗟に掴んだ。
「え?」
岩を掴んだのかと思うほどに硬くゴツゴツとした肌触り。
思わず手を離すと男は脱兎のごとく駆け去った。
慌ててハクニーは後を追った。
男は道に精通しているのか、細かな路地をいくつも駆け抜け、やがてハクニーはその姿を見失ってしまった。
仕方なく、人々の目も気になりだしたので、ハクニーは指輪の力を使い、馬の四本脚をヒトの二本脚に戻して最後のエルフの死体がある場所まで戻った。
「え?」
目を疑った。
そこにあったはずの死体がきれいに片付けられていたのだった。
他の場所も同様だった。
順番に来た道を戻ってみたが、どこにも死体はなかった。
流れ出た血の跡も水で流されていた。
暗殺が行われそうだった痕跡が、なにひとつ残されていなかったのだ。




