617 walk 【歩く】
オールドベリル大神殿を囲むように集まった民衆から歓声が上がった。
それと同時にファンファーレと楽団の奏でる演奏が鳴り響く。
神殿の巨大な表門が開き、騎士団が隊列を組んでまろび出る。
その後から純白の法衣と深紅の錫杖、黄金のメダリオンを捧げ持ったハナイ新法王が姿を現した。
その姿に聴衆は畏敬の念に駆られ、ひざまずき拝む者、聖句を述べながら涙を流す者、魅了されて純粋に見つめ続ける者など多様な反応が見られた。
しかしこれは確信を持って言えることだが、ハナイ新法王に対して侮蔑や悪意をぶつけそうな気配は微塵も感じられなかった。
ハクニーすらもしばし、遠目ながらその神々しいとすら言えるお姿に見惚れてしまっていた。
「法王さまぁ」
ドン、とハクニーの腰の部分に駆け出した子供がぶつかった。
慌てたその子の母親が子供を追いかけて抱き止める。
ハナイは近寄った子供に無言で笑顔を見せ、しずしずと大路を歩き出した。
これよりハナイは新法王として民衆からの審判を仰ぐこととなる。
方法はシンプル。
護衛の者が傍に着くことなく、神殿から宮殿までの道のりをひとりで歩き通すことである。
新法王を認めないと主張するものあれば、大路を遮り宮殿までの道のりを閉ざすことで訴えることができる。
もちろんひとりで塞ぐことは難しい。
それなりの人数が反対を表明しない限りは邪魔をされることなく通り切ることができる。
といってもこれは古い慣習に倣っているのみで、本気で道を塞ごうとする者はまずいない。
そんなことをすれば建前上は御咎めなしのはずでも後日、どんな仕打ちが待っているか分かったものではない。
前任の大司教ライシカの頃は新法王の周りをこれ見よがしに武装した騎士団が闊歩していた例もある。
ただ若きハナイ新法王は、そういった悪しき慣習を断ち切ってくれるのではないかという淡い期待を抱かれてもいた。
そもそもこの即位の儀最大の見せ場ともいえる大路歩きは、この国の建国者であるサキュラ正教の創始者ミサキ・サクラが同様のパフォーマンスを披露したことによる。
二千年前、砂漠のオアシスをめぐり各部族間での争いが絶えなかった頃。
ひとりの少女がそれを諫め、この地に国を作った。
それが現在のエスメラルダ古王国であり、その少女、ミサキ・サクラこそがサキュラ正教が崇めるところの慈愛の女神サキュラその人とされている。
サクラは全部族を説得し、最後にその場所からオアシスの水辺まで、一切の武装と護衛を遠ざけ、丸腰で歩いたという。
自分に反対する者あるならば、遠慮なく斬るがいい。
そう告げて各部族の居並ぶ前をゆっくりと歩き出したのだが、誰ひとりとして手出しができなかったという。
その故事に倣い、現在でもこの大路歩きが即位の儀に取り入れられているのである。
子供にぶつかられたことでハクニーは正気を取り戻し、しずしずと歩くハナイから怪しいフードを被った人物へと意識を揺り戻した。
「いないッ」
しかし先ほどハクニーが見た場所にその怪しい風体の旅人の姿はなくなっていた。
「そんなぁ」
彼が怪しいと感じたのはそのみすぼらしい風体からであったことは否定できない。
しかしあえて言うならばハクニーの直感、そういったものが何とはなしに心に訴えかけていたのだ。
「とにかく探さないと」
ハクニーはゆったりとした速度で歩くハナイと観衆を隔てて並走した。
もし万が一、ハナイに対して良からぬことを企んでいる奴がいたとして、この状態のハナイを強襲する策があり得るだろうか。
表立って護衛の騎士団が追従していなくとも、この集まった多くの観衆を制御するために騎士や衛兵が大勢通りに詰めている。
運よく強襲が成功したとしても、その犯人に先はない。
「自爆テロみたいなことを警戒すべきなのかも」
それでもハクニー自身にそこまで思いつめる動機が不明すぎた。
この国の人間ではない以上、ハクニーがこれ以上心配する事ではないのではないか。
逆に何かをしようとすること自体、越権行為なのではなかろうか。
「でも、もし本当に目の前でそんなことが起きるなら、それは絶対に阻止しなくちゃ。私もハイランドいちのケンタウロス族の姫なんだから」




