608 advice 【助言】
「大いなる存在をどうすれば止められますか」
アカメは問いを繰り返した。
老人はアカメをじっと見据えたまま口を開こうとしない。
その眼はアカメの胸の内を透かし見るかのようでもあり、遠い別の世界を見ているようでもあった。
はっきりと言えるのは、老人のその眼は先ほどよりも険しくなったという事だ。
「この世界に不満かね?」
それまでの低い声が少しかすれたように聞こえた。
「あなたが質問する番ですか?」
アカメは緊張を押し隠しながらも老人に気圧されまいとした。
老人は椅子の背もたれに身を預け力を抜くと、天井を見上げて一息ついた。
「不平や不満、身勝手な評価を下すのは、己では何も為そうとしない衆愚の特権だ。お前にはわかるであろう」
「お言葉ですが、その衆愚とおっしゃられた者たちすらも、別角度から見ればなんらかの価値を生み出す者となりましょう」
「ヒトの善なる可能性についてはあのお方はすでに答えを見出しておられる」
「それは一方的なことではありませんか?」
「理想を語るのはよしなさい。そなたが言ったのだぞ。どうすべきかを考える前に、何をできるかを考えるべき、だと」
「…………」
老人が背を向けて机に向かいだす。
右手に持たペンの先をインク瓶に浸けた。
「とはいえワシは〈智慧のエンメ〉、その立場は常に中立。答えというよりも助言してやろう」
「なんです?」
「姫神を集めることだ。出来るだけ多く、可能ならばすべて」
「姫神……シオリさん以外の者たちも……」
老人のペンが走り出す。
「問答はここまで。この先はお前が力を得た時に再開しよう。理想を実現するための力、あるいは智慧、心」
扉が開くと案内のメイドが老人とアカメの間に割って入った。
何かを言いかけるアカメだったが老人は背を向けたままで振り向きもしない。
仕方なくアカメは部屋を出た。
ハクニーの待つ客間に戻ると二人ともに塔を降り、門の外まで送り出された。
「エンメ様よりご伝言を承っております」
帰りしな、メイドはアカメにそう告げた。
「伝言?」
いつ? とは思っても聞かなかった。
「あのお方の力の秘密は、金眼の魔女が知っている」
「魔女! オーヤのことですかッ」
メイドは一礼すると門を閉ざした。
そばを走り抜けた馬車が砂塵を派手に撒き散らしたおかげで、アカメもハクニーも目に砂が入り大きく咳き込んだ。
痛むまなじりを押し開くと、目の前にあった門は消えてなくなり、無限に続くかと思われた石壁も消失していた。
ふたりは往来を行く人々の雑踏と、商売に精を出す売り子たちの掛け声であふれた市場の中心に立っていたのだ。
「どういうこと? アカメ」
「わかりませんよ」
キツネにつままれた気分とは、こういうことを言うのだろう。
白昼夢だったのか。
ハクニーとそろって同じ夢を見るなんてあり得るだろうか。
「力、智慧、心。そのいずれかを得よと言うのですか。あるいは姫神をそろえる……」
アカメの質問に対する助言。
それは大いなる存在を止めるものではなく、なり替わるための助言ではないのか?
「ねーアカメ? オーヤって?」
ハクニーの声にアカメの思考は中断する。
「なんですって?」
「だからぁ、魔女のオーヤって誰?」
「ああ、詳しく話したことはありませんでしたね。そういえば……」
そういえば、シオリと離れ離れになった時、魔女も一緒にいたのではなかったか。
魔女は今も、今もシオリと一緒にいるのではないか?
あの魔女は何をしていた?
初めて会った時、あの魔女はレイさんを……黒姫を掌中に置こうとしていなかったか?
魔女は大いなる存在の力の秘密を知っている。
「オーヤの目的は、それはつまり……」
アカメはぶつぶつと独り言をつぶやきながら歩きだした。
大量に買い込んだ、大事な古本が詰まったバックパックが放り出されていることにも頓着していない。
「あ、ちょっと待ってよアカメぇ」
重たいバックパックを引っ掴むと代わりに背負い、ハクニーはアカメの後を追いかけた。
日は傾き、赤い夕陽の最初の光が街を照らし出す時間。
長く伸びだした影が真っ先に宮殿へと差し掛かり、続く人々の影と共に大きな闇で壁を、屋根を、覆いつくさんとしていた。
明日、この国に新しい法王が誕生する。




