006 日本語に興奮するアカメ
「ニンゲン、お前はどこから来たんだ? この辺りにはニンゲンの町はないはずだぞ。そ、その剣はお前のか? きれいな剣だなぁ」
おかしなセリフも混ざっているが、それはそうとして少女にはアマンの言葉は通じていないようだ。
「アカメぇ。ダメだ。西方語も通じないぞ。こいつ頭悪いんじゃないのか?」
「西方語も通じないとなると、だいぶと遠方から来たのでしょうか」
腕を組むアカメは続けて、
「それともニンゲンの言語しか話せないのですかね」
「アカメよ、お前はニンゲン語は話せないのか?」
ウシツノに尋ねられてアカメは胸を張る。
「もちろんいくつかは話せます。ですがニンゲン語は多種多様でして。膨大な種類があるのですよ。以前興味本位である文学小説の各種族言語翻訳版を読み比べてみたことがあるのですが、『真冬の港で凍った耳』という魚人と猫耳族の喰うか喰われるかという恋愛小説ですよ。読みましたか?」
アマンもウシツノも首を横に振る。
「大ベストセラーですよ。世界中で売れました。面白かったのでいろんな翻訳を読みましたがね、ニンゲン語で書かれた本だけでも両手の指の数じゃ足りないぐらいなんですよ。訳者によって表現に違いもあるのですが、大筋は変わらないじゃないですか。さすがに何度も読み返すとなると……しかも私、一度読んだ本の内容は決して忘れないのが自慢でしてね。ゲコゲコゲコ。例えば鳥人語訳では……」
「アカメ、その話は今度ヒマな時にしてくれ」
ほっといたらいつまでも読書感想文に付き合わされかねない勢いだったのをウシツノは制した。
「それじゃあニンゲン語でお前が話しかけてみろよ」
「いいでしょう。ただ私もすべてのニンゲン語を使いこなせるわけではありませんからね。私の脳内にある言葉で通じるとよいのですが」
アカメは少女に向かい、おそらく先程アマンが口にした、少女への疑問を様々な発音の言語で繰り返し尋ねた。
当然アマンもウシツノもほとんど何を言っているのかわからなかったし、どうやら目の前のニンゲンもそれは同じようであった。
さすがにお互いが途方に暮れかけた時だった。
「…………あなたの、お名前は、何というのですか」
「ッ! ………………シ、シオリ……です」
「シオリ! シオリさん? それがあなたのお名前なんですね?」
興奮するアカメと、小さく何度も頷く少女を見て、アマンとウシツノも事態が好転したことを知った。
「アマンさん! ウシツノさん! 驚きましたよ! こんなことってあるんですね。何事も学んでおいて損はしないということですよ」
「どういうことだよ。なんでいきなり通じたんだ?」
「今私が発した言葉は、ニホン語という言語です。私がまだアイーオの学院で世界各地の術技の変遷について研究していた頃、何冊かあった古い書物に使われていた言葉なんですよ。多くの失われた古代語のなかでも比較的マイナーな部類なんです」
アカメは少し興奮気味に語った後、今度は少し声を低めて言う。
「このニホン語というのはですね、言葉自体に魔力が備わっていると言われていまして。言霊と言うそうですが、詳細は知られていません。しかし突然現れたこのニンゲンがですよ、そのニホン語を使うというのは、これはもう逆に普通の状況ではない、ということに妙に説得力を持たせてくれると思いませんか?」
「わかんねえよ。てかお前の言ってることもよくわかんねえよ」
「う~ん、アマンさんとの基礎学力の差を痛感してしまいますねえ」
「なんだとてめーアカメぇ!」
「それはいいから、アカメよ。とにかくもっといろいろと聞き出してみたらどうなんだ?」
「そうですね、そうしましょう」
「その前にアカメ、我らはこのニンゲンに危害を加えるつもりはないこと、そしてニンゲンも我らに敵対しないことを確認するんだ」
「は、はあ」
「そして安全が確認できたらこの水を飲ませてやれ。俺の目にはそのニンゲン、かなり不安を感じているように見える。戦う相手ではなく、むしろ護るべき対象のように感じられてな」
そう言ってウシツノは竹筒の水筒を取出しアカメに預ける。
「なるほど、ウシツノ殿は冷静でいらっしゃる」
皮肉なのか賛辞なのか。
アカメは再びシオリに近づき、まずは気遣いの言葉を投げかける。
最初は怯えていたように見えたシオリであったが、次第に落ち着きを取り戻してきた様子。
そこでアカメはシオリに水筒を差し出した。
一瞬、躊躇したシオリだったが、アカメが清流の水です、冷たくて美味しいですよ。とにこやかに伝えると、手に取り、そして一気に飲み干してしまった。
シオリはこんなにおいしい水を飲んだことがなかった。
三匹に対する恐れも幾分和らいだ気がする。
どうやらお互いに、ひとまず敵意はないことが確認できたようだ。
しかし、その一部始終を盗み見する者がいることに、三匹とひとりはまだ気がついていなかった。