599 Impossible 【無理デシ】
バンは眠い目を擦りながら顔を上げて、大げさなほどにデカイ玉座の少女を見つめた。
少女の名は長浜サチ。
バンと同様、現代日本からこの世界、正確に言えばこの時代に転移してきた姫神だ。
もっとも、サチが転移してきたのはまだ二年も経っていないが、バンの方はすでに四百年を超えている。
バンは四百年前にこの世界にやってきて、七人の姫神のひとり、白姫として苦難の毎日を過ごした。
四百年が経ち、新たな七人の姫神が召喚され、そのうちの何人かとは面識を持ったが、その誰もがこのサチという少女の境遇よりも恵まれていたのではなかろうか。
〈アリの巣〉でサチと戦ったバンは今、そのサチの虜となっている。
すでに姫神としての役割を終え、過渡期を過ぎたバンに次代の姫神に勝てる道理はなかった。
「というよりこのサチという娘、他のシオリやマユミといった姫神よりも強いかもしれないデシ」
バンはサチの姫神魔法で作られた珊瑚の檻に閉じ込められていた。
中型犬が余裕をもって寝そべれる程度の広さの檻は、材質が全て珊瑚でできている。
ただしいくら齧っても叩いても破壊は不可能。
なぜなら今のバンには全くと言っていいほどに戦闘力がないのである。
体内にわずかに蓄えられていたマナをほとんど放出してしまっていた。
もともと四百年も前に捨てられた自分が、マナも豊富な現役の姫神に抗うには限界があった。
「それを差し引いてもデシ」
バンは仕方なく、この数日の間、ほとんどを眠る時間に充てていた。
少しでも戦えるだけのマナを回復させるためにだ。
それともうひとつ。
「……」
沈黙するサチは眠っているわけではない。
起きて、しっかりとバンを見つめている。
サチは一日をほぼ何もせずに過ごしている。
数日間観察してみたが、いつ眠っているのか、食事もろくに摂らず、ただじっと玉座にいて虚空を見つめているばかり。
その背後には忠実な二人の戦闘怪人が付き従っていた。
「何か話したいことはないデシか?」
何度かそう質問をしてみたが、今まで何ひとつ答えは返ってこなかった。
今日もそうだろうと思った。
「何を……」
「ん?」
反応があったことに驚いた。
サチは口をつぐみ、長い髪に隠れるようにうつむいた。
「何を、なんデシ?」
バンは慎重に返事を促した。
「何を……話せばいいの?」
サチの口から小さな声でそう発せられた。
「自分のことを覚えているデシか?」
バンの質問にサチは小さく頷いた。
「亜人世界へ来てからのことを話してくれデシ」
「……」
「バンも姫神だったデシよ。だから知りたいことに答えてあげられるデシ」
サチはしばらく黙っていた。
バンは焦らず、ジッと待った。
「帰りたい。ユカとメグと……三人で……あの、なんでもない日常の時間に、また」
「それはもう、無理なんデシよ」
バンははっきりとそう告げた。




