597 salted 【塩漬け】
上がってきた巨大な昇降機にビッグバイソンごと乗り込む。
メルナが昇降機上の操作盤を動かすと、ゴゴッン、という振動と、ガガッ、という駆動音がして、昇降機は下へ、深い縦穴の底へと下り始めた。
「や、どうも」
下り始めてすぐの内壁に窓があり、その向こうの部屋にこの施設の職員らしき人物が見えた。
メルナが身振りで挨拶をしたのだ。
もちろん声は届かないだろうが、問題なく通らせてもらえたようだ。
「馴染みの商売相手だからね、自分は」
「魔法雑貨がそんなに売れるわけ?」
「まあね。特にカルスダには御贔屓にしてもらってる」
昇降機は最下層までノンストップで下り続けた。
そこはビッグバイソンを預けて置ける場所だった。
「カルスダはここから三層上のフロアなんだ。階段で行くよ」
メルナの案内でネダは〈アリの巣〉の三博士のひとり、カルスダ女史の研究室まで足を運んだ。
それまでに何人もの兵士とすれ違った。
ネダはどこへ行っても奇異の目で見られてきた。
しかしここでは全身包帯巻きのネダを見てもみな何の反応も見せなかった。
新しい場所へ赴くたびに不快な思いを味わってきたネダにとって、そのリアクションは有難いと思えるものだったが、想定と反する反応には逆に不安を覚えるものである。
しかもすれ違う兵士はみなそろって同じような全身鎧にフルフェイスの兜をかぶっており、ぱっと見では誰が誰やら区別もつきにくい。
そう思案しているうちに目的の部屋に到着した。
扉の外からメルナが来訪を伝える。
すると待つ暇もなく扉が向こうから開いた。
中は魔道士の研究室を連想しそうな部屋だった。
真っ先に目についたのは部屋の中央に置かれた黒壇の大きなテーブルだった。
その上には開かれたままの分厚い書物や書きかけの羊皮紙、インク瓶に浸けられたままの鷲の羽ペン。
奇妙な青い炎をともすランプ、その傍らに食べたまま片付けていない銀食器が重ねられている。
壁には一面天井まで届く書架。
並べられた本はどれもネダには一生興味を持つことがないような本ばかり。
様々な瓶が並べられた戸棚もある。
中には赤や黄色、銀色や無色の液体が詰まり、サイドテーブルには化学薬品の実験でもしているのか、コポコポ、と煙を吐き出すフラスコとビーカーが放置されていた。
その他にもザっと見渡しただけで妖しさが十分伝わる魔道具や、様々な動物の剥製などが所狭しと置かれていた。
「入り口の監視員から連絡は受けているわ。突然の来訪だけど歓迎しましょう」
書架の前に置かれた脚立に腰掛け、読んでいた書物から目を上げた女がそう言った。
彼女がカルスダ。
長い黒髪をひとつに束ね、横長の小さめなレンズの眼鏡をかけ、ボディラインのくっきり出るミニ丈のワンピースの上に白衣を着ている。
黒いストッキングを履いた、スラリと長い脚を組んで、太股の上に読みかけの書物を閉じて置いた。
(苦手なタイプ、というより嫌いなタイプだわ)
ネダの第一印象だ。
頭がいいと思っていて、相手を見透かした顔をしている。
紅をひいた口元は笑っているが、おそらく相手に心を許したことなど一度もないだろう。
「お友達も一緒だなんて珍しいわね。紹介して」
「わたしはネダ」
メルナが言う前に自分で名乗った。
「あーやっぱり。マミー・ザ・ビーのネダでしょう? だと思ったわ」
頬杖つきながらネダに微笑する。
だがやはり目は笑わない。
「もしかしてこの前いただいた魔獣の卵の代金を徴収に来たのかしら? わざわざご本人さまが」
「め、滅相もないですよ! 今日は別件で」
メルナが慌てふためいて弁解する。
正直こんなメルナを見るのは初めてで、いつもの慇懃無礼な彼女を知っていると面食らってしまう。
「そう? じゃあ用件を聞こうかしら」
「実は、こちらも買い取っていただければと思いまして。テヘッ」
メルナがネダのバックパックを開けて中から新たな魔獣の卵を取り出した。
「前回とは別の魔獣の卵です。結構な数があります」
「あら、それは研究に役立つわ。この前もらったのはもう使い込んじゃってね」
何に使ったのかはあえて聞かない。
身の毛もよだつ、碌なことではないのは確かだろうから。
「メルナさんも商売上手ね。貴重な卵をよくお持ちだこと」
「あ、あはは。……はい」
「それだけかしら。もちろん十分な代金は支払うわ。あまり待たせないようにね」
メルナの笑顔が引きつっている、ように思える。
なんせこの魔導商人は色素欠乏症を理由に、部屋の中でも頭まですっぽり被った外套を脱がないのである。
「もうひとつあるわ」
堪り兼ねたネダが割って入った。
黒壇のテーブルにどん、と脇に抱えていた包みを置く。
「たぶんあなたが喜ぶものだと思うんだけど」
そう言いながら包みを解く。
なかから人の頭部が入る程度のツボが現れた。
「なにかしら?」
「どうぞ。開けてご覧になって」
ネダはテーブルから数歩離れる。
カルスダは脚立を降り、ツボの蓋に手を掛ける。
「つめたい」
そういって蓋を外した。
「まあ!」
驚いた口調のカルスダがツボの中身をしげしげと見つめている。
中身は彼女の元許嫁、ヤソルト・クシャトリヤの首だった。




