593 headless 【首なしの】
傷の手当てを受けたウシツノは、身体の左側を包帯でぐるぐるにまかれていた。
幸い傷はそれほど深くなく、派手な出血の割にはそれほど不自由はなさそうだった。
「さすが剣聖と名乗るものは違うんだなぁ」
治療した医師はウシツノの回復力に目を見張っていたが、白姫の加護、などと要らぬ説明はしないでおいた。
「治癒力には自信があるんだ」
医務室に現れたダーナとリオにもそう言うに留めた。
無事でよかった、とか、ウシツノさんは本当に強い、とか、お見舞いやら賛辞やら、とりとめない会話をして二人は帰った。
ウシツノは今夜はこの医務室でひと眠りすることになっている。
数日前まであの牛頭ブロウが呻いていた部屋であることは考えないようにした。
疲労感は確実にあった。
急に組まれた試合、それも最大限の警戒を要する相手だった。
心身ともに疲れるのも道理。
それでもウシツノは眠れない夜を過ごした。
これまで経験した闘いとは少し趣の違ったものだったように思えた。
妙な高揚感というか、もしかしたら不安感なのだろうか。
それがあの闘いによるものなのか、それとも月も見えないこの医務室で過ごす落ち着かなさから来るのか。
ない交ぜになった感情は一向にまとまらず、寝てしまおうと思っても目は冴るばかりだった。
暗く静かで人気のない、そんな時間を過ごすうちに冴えた感性がひとつの気配を感じ取った。
ベッドの上で身を起こし、枕元にあった自来也を手繰り寄せる。
だが刀を鞘から抜くことまではしなかった。
すでに扉の向こうにその者はいる。
それが誰なのか今はわかっている。
殺意や敵意といったものも感じられない。
「ハヤブサ流とはな」
扉の向こうの声が言った。
「咄嗟に出たんだ」
ウシツノは答えた。
「風を感じてね」
「風? あの閉ざされた闘技場で?」
「あんたの剣風だよ。立派な風だった」
扉の外で唸る声がした。
「鍛えた剣が諸刃の剣となったか」
その感想にはウシツノも唸った。
強者と闘うことで自身の限界も引き上げられる。
だがそれは逆もまたしかり。
「得るモノの多い闘いだった」
そう言い残して気配は立ち去った。
ウシツノはしばらくそのままの姿勢で虚空を見つめていた。
やがて大きく息を吐きリラックスする。
「そうだな」
そう言って、ようやく訪れた睡魔にその身をゆだねた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「起きてくださいッ」
ようやく眠りについてからどれほどの時間が経ったのか。
まだそうは経っていないだろう。
そう思わずにいられないほどに瞼は重く、身体は言うことを聞かなかった。
「ウシツノさまッ! 大変なんですッ」
医務室に飛び込んできたのはダーナだった。
昨晩のピンク色したビキニアーマーは着替えていたが、取るものもとりあえずに駆け込んできた様相は見て取れた。
反応の鈍いウシツノの身体を揺り動かし、急いで起こそうと躍起になっている。
「痛ッテテッ」
さすがに一晩で傷が完治することはなく、早朝からウシツノは激痛でもって目覚めることとなった。
「ハッ! ご、ごめんなさい……大丈夫ですか」
慌てたダーナがウシツノから手を放しオロオロとする。
痛みが引くのを待ってウシツノは半身を起こし、そこでダーナの様子を観察できた。
髪は乱れ、着ている服も乱れている。
顔は焦燥に駆られ、両手の指先を絡めつつ何かを非常に言いたそうにしている。
「おはよう、ダーナ」
ここはまず落ち着かせることが先決と、あえておだやかに装い挨拶した。
「それどころじゃないんですッ」
堪り兼ねたダーナの叫びがウシツノの鼓膜を破りそうになる。
「ど、どうしたんだ? まだ夜も明けてないんだろう?」
窓はない部屋だが時間感覚として間違っていないはず。
「明けてませんッ! でも昨晩大変なことがあったんですッ」
「どうしたんだよ?」
ダーナの雰囲気は何がしかの異常事態を予感させた。
それはまさしくその通りだった。
「リオさんのお父さまが亡くなったんです。そばに、その、ヤソルトさまの……死体もあって……」
「……はぁ? なんだって?」
一度で理解が追い付かなかった。
「だから、たぶん、ヤソルトさまだと……思うんです。そばに倒れていて」
ダーナの声もなんだか曖昧な響きがある。
「たぶんって、どういうことだよ?」
「無いんですよッ…………首が」
「え?」
ダーナの声が震えだす。
「だから……首なしの死体があったんですッ。ヤソルトさまの」




