590 under defeat 【敗北の意味】
豹頭族は戦士の種族だ。
豹頭族は誰もが戦いに長け、誰もが戦いに明け暮れる。
アナトリアもそうだ。
豹頭族は世界中で見かけることができる。
誰もが戦いを求め傭兵として、あるいは冒険者として、旅をするからだ。
豹頭族は個体としての強さを求める。
戦いを求めることを常としており、安住の地での集団生活を求めたりはしない。
それゆえに彼らは孤高であった。
アナトリアもそうだ。
彼は十三の歳でひとり故郷を出た。
他の者たちよりも数年早い旅立ちであったが、それは彼が他の者たちと違う点が二つあったからだ。
ひとつは全身の体毛が黒かったこと。
多くの者が黄金の毛と黒い斑点からなるまだら模様であるのだが、彼だけは全身黒毛だった。
黒豹は稀に生まれる存在で、吉兆、凶兆、どちらにも解釈される。
協調性を持たない豹頭族と言えども、同調圧力は皆無ではないのだ。
もうひとつの点は、彼が武力に秀でていたこと。
突然変異と言われる黒豹は高い戦闘力を持つことが多い。
彼もその恩恵を受けていた。
その頃の亜人世界では小競り合い程度の戦が各地で頻繁に起きていた。
傭兵としてならば稼ぎに困ることもない。
豹頭族は戦士として誰もが有望であることも知られていたため、年若いアナトリアも十分に戦を満喫できた。
物珍しい全身黒毛の豹頭族は、その武も相まってたちまち戦場で勇名を馳せるようになっていた。
彼が十五になる年だった。
傭兵として参加した戦で、彼が味方した小さな国が負けた。
彼はより深く戦いに身を投じたいがため、常に劣勢の側に着くことが多かった。
その方がより激しい戦いを満喫できる。
彼は戦としての敗北には頓着しない。
豹頭族らしく、己の勝敗にのみ執着していたからだ。
しかし彼は雇い主の敗北により、自由に戦いを選ぶ権利を奪われてしまった。
他の多くの傭兵や騎士たちと共に捕虜となると、闘技場に送り込まれた。
剣闘士としての日々が始まったのだ。
自由はなく、毎日が生きるか死ぬか。
自らは剣を持たない愚民どもへの見世物として、時には憎い相手、時には不気味な魔物、時には昨日までの友と死闘を繰り広げねばならなかった。
多くの者が悲嘆にくれつつ、儚い人生の幕切れを試合場で迎えたが、アナトリアは勝ち続けた。
他の者たちのように絶望することもなかった。
むしろ彼は生き生きとしていた。
「ここは戦いに飢えることがない」
傭兵時代よりも剣闘士としての自分が性に合っていると思った。
敵を屠った時、観衆から送られる声援、目を背ける女どもの悲鳴、死にゆく者の苦悶の声。
そのすべてが自分に生きる価値を、歓びを与えてくれていた。
どんな相手だろうと剣の錆にしてやると豪語していた。
「どれ。じゃあひとつ、お相手願おうか」
アナトリアの前に立ったのは、自分よりひと回りも体の大きいカエル族の男だった。
「闘技場に、大層な刀を持って。カエル族がオレの相手になるだと?」
「はは。まぁ、手慰みにでもなればなぁ」
よもや、というのもおこがましいが。
このとき、初めて個人の武で敗北を経験した。
技量においては五分だった。
体格ではハンデがあったが、その分敏捷性では勝っていた。
戦いの経験、知識、心構えといったものも引けを取らなかった。
もちろん体調も万全だった。
なぜ負けたのか、皆目わからなかった。
命を取られる前に刀を引いてくれた。
引かれなくとも自ら降参を告げていただろう。
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「それ以来、オレはあの敗北の答えを探し続けている。答えに手が届いたかと思うこともあったが、やはりそれはスルリとオレの手の間から抜け落ちて行ってしまう。三十年以上、千五百の戦いを経た今でもはっきりとした答えは見つからない。今宵、お前はオレにその答えを教えてはくれまいか? 期待しているんだ」
アナトリアは剣を握る手に力を籠めると対戦相手の小さな体を観察した。
体格はまるで違う。
だがなにか、面影を感じさせる。
あの日、生涯にわたる謎解きを課してくれたあのカエル族の剣士に。
「さあ! 教えてくれ、オレの敗因を! 大クラン・ウェル将軍の後を継ぎし者よ」




