589 Sword Master 【剣匠vs剣聖】
チャンピオンの登場に会場は沸き立った。
すぐにあらゆる賭けの胴元が清算と再計算を繰り返す。
闘技場は、もうチャンピオンが試合をするものと決めつけた雰囲気があり、もはやそれは覆せそうにもなかった。
思わぬ飛び入り。
より最高の試合。
唐突に始まる最強を決める闘いを目に出来る。
そういった声があちらこちらから飛び交っていた。
観衆の割れんばかりの声援は会場中を揺るがし、圧倒的にチャンピオン、黒豹アナトリアへの期待に寄っていた。
その渦中にウシツノは立たされているのだ。
かろうじて、ふたりの声が届く距離まで歩を詰める。
当然、剣の間合いはだいぶ外に外している。
「ヤソルトはどうした?」
慎重に、周囲を確認しながらウシツノは、目の前の黒豹に問いかけた。
不思議に思うも、どうやら誰も警備の者が間に入って来る気配はない。
「知らぬ」
アナトリアの答えは簡潔だった。
その一言を発しただけで剣を鞘からスラリと抜いたのだ。
観衆は熱狂した。
「どうやら避けられそうにありませんわね」
隣に立ったダーナも剣を抜き、応戦しようと構えをとった。
しかしアナトリアの目はダーナを見ていなかった。
ウシツノもそれに気付いている。
「いや、ダーナ。奴はオレとやりたいらしい」
「ですがッ……」
ダーナもそれとなく感づいてはいたのだ。
アナトリアは自分を一顧だにしていない。
この場で己が剣を振るうに値するのはこの小さな友人のみだということに。
「これはだまし討ちにも等しいです。直前で、逃げられもしない状態で、彼と闘うだなんて」
こちらはタッグマッチと聞いて来たのだ。
ならばいっそ、素知らぬ顔して二人で挑んでも悪びれることはないのではないか。
ウシツノもダーナの心遣いを感じ取ってはいたが、しかし、そういう甘えは捨てねばならない。
何故ならば……。
「剣聖の称号を受けた時から、いつ何時でも、闘いを吹っ掛けられる事には覚悟を決めているのさ」
そう言って一歩前へ出る。
刀を鞘から抜き、ダーナを空いた方の手で後ろへ追いやる。
双方がやる気になった!
そう解釈した観衆は否応なしに盛り上がった。
「剣聖の名に牙を剥ける輩が多くて困るんだよ」
ウシツノは自分よりも体半分以上高いアナトリアを睨みつけた。
「剣聖などというモノに興味はない」
「へぇ、そうかい」
二人は臨戦態勢に入っている。
あとは形式とはいえ試合の体を取るために、開始の銅鑼が鳴るのを待っていた。
「お前は、あの方の息子だそうだな」
アナトリアの言ったことの意味をまずウシツノは理解できなかった。
「なに?」
「かつて、この闘技場で無敵のチャンピオンとして君臨した、あの大クラン・ウェル将軍の息子だと言っているのだ」
「クラン……親父のことを言っているのか!」
その時試合開始の銅鑼の音が響き渡った。
会場中の野次と声援が大きくなり、二人の会話は中断した。
二人とも、すぐには飛び込まず、じりじりと間合いを測りながら相手の一挙手一投足を観察する。
「親父のことを知っているのか!」
ウシツノがわずかに刀を下げ、そう叫んだ時にアナトリアは斬りかかってきた。
剛腕から降りぬかれる剣閃をかろうじて刀で受け止める。
金属同士の激しい打撃音がこだまして、しかしウシツノはかろうじて、吹っ飛ばされることもなく堪えきった。
重なり合った鍔同士がせめぎ合い、二人の距離は相手の熱を感じるほどに近づいた。
「知っているのか、親父を! 本当にここに居たのかッ」
「よくオレの剣を受け止めた。そのなりで大した膂力だ」
激しい鍔迫り合いは双方の体力を大幅に削る。
力負けをした場合、もしくは少しでも体勢を崩してしまえば、その時点で相手の必殺の一撃を受けてしまう。
止む無くウシツノは、相手を強く押し戻した瞬間に後方へと大きく跳躍した。
離れて距離を取り、仕切りなおすことにしたのだ。
追撃に備えて着地をしたがその必要はなかった。
アナトリアも同じ考えだったのだ。
「こいつは思ったよりも、やりずらいかもしれないな」
今のウシツノには牛頭ブロウ戦の時のような怒りや正義と言ったものはない。
ただ純粋にこの闘いにわくわくし始めていた。




