588 missing 【行方不明】
ウシツノとダーナの目の前の扉が開いてゆく。
薄暗い控えの間から、煌々と焚かれたかがり火とガス燈の光、観客の発する熱狂が渦巻く、白い砂時の死地へと道が開かれる。
「最初に登場するのはただいま人気絶好調! 小さなカエルと侮るなかれッ。北の大国ハイランドが認めた今世最強の剣士! 通算成績六戦五勝一無効試合。剣聖ウシツッノォォォォォォ」
おそらく闘技場を仕切る小鬼族のピースウイングによる選手紹介だろう。
観衆は大いに盛り上がっているが、当のウシツノは見世物になっている自分が滑稽に思えて恥ずかしかった。
「そしてその小さなカエル族のパートナー。東方はホウライ国から訪れしアイドル剣士! 通算成績十三戦十勝三敗。麗しき剣の舞姫ダァーナァァァッッ」
より一層大きな歓声が沸き起こった。
ダーナは慣れたしぐさで四方の観客に手を振っていた。
二人は並んで試合場の中心まで歩く。
そして自分たちとは反対側の壁にある扉を見やった。
そこから今夜の対戦相手が現れる。
「さて今夜のメインイベントは当闘技場でも人気のコンテンツ! 二対二のタッグマッチです! 四人がひとつの試合場で入り乱れるさまはまさに見物! 大切なのは個人の力量よりも二人の息! さあ対戦相手の登場だァ」
扉が重たい軋み音を上げて開かれる。
「ひとりはニンゲン至上主義を掲げる亡国マハラディアの亡霊。闘技場イチの嫌われ者! 通算成績四戦三勝一敗。誰が呼んだか亡霊王ヤソルト・クシャトリヤァ」
観客から一斉にブーイングが飛び交う。
ウシツノの心情は複雑な表情となって極まった。
「そのパートナー、全身包帯まみれの艶めかしい女! 隠し持った針で鮮やかに殺傷する様から蜂の戦闘を思わせる。通算成績二十四戦十七勝四敗三引き分け。木乃伊蜂ネェェダァァァッッッ」
こちらは声援とブーイングが半々といったところか。
牛頭ブロウを後ろ盾に好き放題していたことから憎らしく思う者もいた半面、トリッキーな存在が持て囃されることも多かっただろう。
観衆のボルテージが上がり、ウシツノとダーナもこれまでとは違った緊張感を持ち始めた。
ヤソルトとネダの登場が待ち焦がれる。
だが、選手紹介のアナウンスが終わっても扉から二人の姿は現れない。
「ん? どうしたんだ?」
ウシツノだけではない。
ざわざわと観客たちも不審に思い始めた。
「どうかしたのでしょうか?」
ダーナは開け放たれた扉の向こう側を見つめた。
しかしいくら目を凝らしてみても薄暗がりが広がるのみで、期待した登場人物の姿は見えなかった。
代わりにばたばたと行きかうピースウイングの姿と、小間使いの小鬼族たちが走り回っている姿が目に止まった。
「もしかして、来ていないのか?」
「そんなはずは……」
ピースウイングは手下のゴブリンたちを叱り飛ばしていた。
報告によるとヤソルトとダーナは定時に控えの間に入ったそうだが、それ以後、誰もその姿を確認していなかったらしい。
集中するため誰も入るな、と釘を刺され、律儀に守ったそうな。
闘技場の入り口にはオーガーが二体警備についているが、主として暴力沙汰を取り締まるための配置であり、もし仮に二人が変装でもして逃げ出したのだとしても咎める知能があったかは疑わしい。
「キィーーッ」
ピースウイングは頭を掻き毟り歯を喰いしばって奇声を上げた。
問題は、最大の問題は、あの二人が怖気づいて逃げたことではない。
いや、逃げたことは問題だが、それはまったくもって問題ではあるのだが、そんな剣闘士はこの仕事をしている間にいくらでも見てきたものだ。
この闘技場の剣闘士には勝者にだけ解毒剤を少量ずつ与えられる。
それを飲めねばひと月と持たない。
臆病者、脱走者は自然に淘汰される。
こちら側の管理ミス?
そんなものは手下の誰かに責任をなすりつければいい。
問題は、そう大きな大きな問題は、だ。
「観客たちが騒ぎ始めましたァ」
「胴元たちも黙っていませんね、これは」
そう!
今夜のメインイベントは大注目のカードだってことだ。
このまま逃げられました、で済ませられる話じゃないんだ。
「ヤバイ。暴動が起きるかモ」
いつも人を食ったような顔をしているピースウイングの顔も、今宵ばかりは青ざめて不安に染まっている。
「お、おい! なんでもいい! 代わりの対戦者を連れてこい! モンスターでもいい! 出し惜しみはなしダ。観客が納得する何かを引っ張ってこい」
「なにかって言われましても」
「何がいいでしょうか?」
「なんでもいい!」
そのとき、ワァッ! という歓声が轟いた。
表の試合場の方からだった。
「へ? なんダ?」
ピースウイングは扉へ駆け寄り試合場を眺める。
「あっ!」
観客たちの声援がこだましていた。
しかしその声援はウシツノとダーナに向けられたものではない。
二人の前に、予想していなかった人物が登場したのだ。
「なんでアイツがここに居るんダ」
ピースウイングも仰天していた。
しかし同時に脳内ではあらゆる画策がフル回転していた。
観客たちを鎮め、納得させ、そして盛り上がり、闘技場の失態も帳消し。
予定よりも早まったが、いずれはぶつかる対戦カードであったのは事実。
何故アイツがここに現れたのかは今はどうでもいい。
今は渡りに船と思っておけ。
「おまえ、何しに来たんだ」
頬を流れる一筋の汗を意識しながら、ウシツノは目の前に現れた黒い豹の戦士を睨みつけた。
闘技場の現チャンピオン。
クロヒョウとあだ名される豹頭族の戦士。
無敗の剣闘士アナトリアだった。




