577 fiance 【許嫁】
二人は場所を変えることにした。
共にもう少し詳しい事情を聴きたがったのだ。
ウシツノは街区に出ようと提案したが、ダーナはそれを固辞した。
曰く、彼女はインバブラの(隠れた、あるいは思いもよらぬ)手腕により、アイドル剣闘士として人気を博しているので、プライベート、それも異性(それがたとえカエルであっても、だ)との外出を硬く禁じられていると言うのだ。
ウシツノはそんな理不尽があるか、と憤ったが、しかしながら闘技場施設内であっても二人はなにかと注目されていることはうかがい知れていたので、ここはダーナの意思を尊重することにした。
そういうわけで二人は今、誰もいない、静けさが支配する朝の闘技場観覧席、とりわけ高い位置の席に並んで座っていた。
改めて試合場を見下ろしてみると、それまで気付いていなかったこの場所の細部にまで目が行きわたる。
闘いの舞台は広めにとられた円形で、暗い観覧席からみると白い砂の地面が死闘を見やすいようにと、より明るさを提供してくれている。
周囲を高い壁に囲まれているが、鋼鉄の板でできた壁はそれでも至る所に凹みや引っ搔いた痕、拭いきれない血の染みが残っている。
今は全て消されているが、開場中は四方で焚かれる大きめのかがり火台が設置され、その炎熱と光が否応なく観客の熱狂を呼び起こすのだ。
上を見ると天井に開けられた換気口から、小さなヤモリが壁を這いずり出てくるところが見えた。
あそこから外へと繋がっているのだろうか。
元は鉱山都市であったこのコランダムは、今や誰もが闘技場と呼ぶ。
「十月ほど前、父が亡くなりました」
ダーナは静かに語りだした。
「父は遺言で、そのすべてを弟子であるシバに継がせると言い残しました」
「すべて?」
「はい」
ダーナは強くうなづいた。
「周馬の名と、鍛冶場の一切をです。無論、それにはこのわたくし自身も含まれます」
「はい?」
今なんと言ったか。
ダーナ自身も含まれる?
「わたくしは、シバに嫁ぐよう父に申し渡されました」
「い、いいのか? それで」
ウシツノを見るダーナの目には不安も不満も見えない。
「わたくしたちは幼少より共に育ちました。親なし子だったシバを後継者として育てた父の慧眼は確かだったのです。あの人の刀鍛冶としての技量は十分。周馬の名を継ぐに値します」
「そうか」
彼女自身、シバに惹かれているのだろう。
そしてウシツノが会ったシバは不誠実な男ではなかった。
自信を磨くために武者修行の旅に出たのであろう。
ウシツノ自身、そうであるように。
「でも、驚きました」
「え?」
「ウシツノさんが持っている刀です。まさか、父の最高傑作である一振り、自来也とここで会えるなんて思ってもみなかったです」
「オレも驚いてるさ。まさか親父の形見であるこの自来也を作った人の話を聞けるなんて」
「お父上? それってもしかして……亜人戦争の英雄であられる水虎将軍では」
ウシツノの父はカエル族の長老である。
しかしその昔は水虎将軍と呼ばれ、亜人連合を率いて戦った猛者なのである。
「ああ、そうだ。水虎将軍クラン・ウェル。もっとも、オレが生まれるよりも前のことだけど」
「やはり」
「あ、言っとくが自来也は親父が盗んだものではないからな! シバの奴がそう因縁をつけてきたけど……」
「ウフフ。わかっています。父は水虎将軍のことを認めていましたもの。あれほどの武人はそういないって」
「そ、そうなのか?」
それはウシツノにとって嬉しい話しだった。
「にしても、シバの悪い癖なんです。相手を焚きつけて人となりを見ようとする」
それはウシツノにとって苦い話だった。
まあそれだけにシバとは本気で剣を交えることができたのだが。
「ご存知ですか? あなたのお父上は、ここの剣闘士だったそうですよ」
「え? なんだって?」
初耳だった。
「まだお若い時分の事だったそうですが、あ、ほら! 半年後に大闘技会があるじゃないですか。何回か前の大会のチャンピオンだったそうですよ」
「親父がか? まさか、そんな」
「いいえ。ちゃんと記録もあります。疑うのならあとでご自分でご確認くださいな」
「親父が剣闘士だった……しかもチャンピオン」
寝耳に水である。
確かめようにも本人はすでに鬼籍に入っている。
インバブラは知っているのだろうか?
ピースウイングは?
「ウシツノさん」
物思いに耽っていたウシツノは、ダーナの呼ぶ声で意識を戻した。
「あそこ」
正面からウシツノを見るダーナの目線が右上の方向を示す。
顔を動かさずにそちらへ視線を送ってみると、一層上の通路から、手すりにもたれて数人の男女がこちらをにやにやと眺めているのに気が付いた。
「ネダと牛頭ブロウ、それと取り巻き連中です」
確かに全身包帯女と牛頭族の巨漢、それに数人の剣闘士風情がついている。
なにやら高笑いをすると牛頭ブロウは唾を吐き、悪態らしきものをついて去って行ってしまった。
「嫌われているな、オレたち」
「わたくしは気にもなりません」
「そうだな」
ウシツノはもう一度、そうだな、とつぶやいた。




