576 Danann 【陀那奈】
「ウシツノさん!」
自室を出たところでダーナに呼び止められたのは、ウシツノが牛頭ブロウとの対戦が決まった翌日の朝のことだった。
「あなたは無謀です」
そして出し抜けにそう言われた。
「マネージャーにこの対戦のお膳立てを願い出たと聞きました」
彼女の言うマネージャーとは無論、インバブラのことだ。
「牛頭ブロウがどういった剣闘士かご存知なのですか? わたくしでも眉をひそめるほど悪逆の御仁ですよ」
そう言って可愛い眉間にしわを寄せる。
「それに、わたくしが言うのもなんですが、マネージャーがなんの見返りも要求せずにあなたのお願いを聞き届けてくれたとも思えません」
おや、意外と自分の立場を冷静に分析できているようだ。
自覚があったことがわかり少しだけ胸をなでおろす。
「聞いているのですか! いったいどんな条件を提示されましたか?」
彼女が真剣なのがわかったので、ウシツノは正直に答えることにした。
「大したことじゃないよ。オレが生き残れたら次のマッチメイクもやらせろって言われただけさ」
その条件を飲むのはいいが、ダーナのようにスポンサーの宣伝材料として使われるのは御免だ、と断りを入れたことは黙っておいた。
「無茶なことを……どんな対戦を組まされることか」
「その心配は目の前の試合を終えてからするさ」
「そもそもどうして牛頭ブロウと試合をしようとなさるのです?」
「まあ、いろいろ」
「いろいろ?」
ダーナの眉間に先ほどとは違う種類のしわが寄る。
「オレも手っ取り早く戦績を稼ぎたいと思っただけさ。格好の相手だろう?」
そう答えるウシツノは実に飄々として見えた。
ダーナは納得がいかない顔をしていたが、ウシツノはこれ以上この話題をするつもりはなかった。
「それを心配してこんな朝早くから会いに来てくれたのか? ありがとう」
これで話は終わりになると思ったが、ダーナにはまだ別の用件があるようだ。
「あ、実はもうひとつ、お尋ねしたいことがあります」
そう言ったダーナがウシツノの腰をじっと見つめる。
そして見つめたまま、なかなか本題を切り出さない。
ダーナは食い入るようにウシツノの腰回りを見つめつづけた。
「あ、あの」
「ウシツノさん」
「はい?」
「その……腰の刀を見せていただけませんか?」
「これか?」
刀をおいそれと他人に預けることには抵抗がある。
たとえそれがダーナであってもだ。
ウシツノは刀を鞘から抜くと、ダーナによく見えるようにかざしてやるにとどめた。
そのことを咎めるでもなく、ダーナはなお、じっと刀を見つめる。
「やはり……自来也」
「知っているのか?」
意外に思った。
そう言えばダーナは東方にあるホウライ国の出身だと言っていた。
しかも彼女はこの刀を鍛えた刀工の弟子であるシバを探しているとウシツノに対し言っていた。
ダーナのことをほとんど何も知らなかったことに今さらながらに気付いたのだ。
それだけ周囲の環境の変化が目まぐるしかったという事なのだが。
「ダーナ?」
「自来也は、わたくしの父が鍛えたのです」
「え?」
「正しくは大周馬自来也。刀工、周馬オガタはわたくしの父なのです」
驚いた。
「わたくしの本名は陀那奈オガタ。ホウライ国はラサの里の出です」




