560 poison【葡萄酒】
魔獣の喉を切り裂いたヤソルトは、ゆっくり膝立ちから直立すると、剣に着いた汚い血を振り払った。
長剣が風までを切り裂いたように見え、白地の舞台に黒い血だまりが、アートのように広がると、観客たちは息をのみ、戦慄した。
ヤソルトは何も言わずぐるりと一瞥だけすると退場者のために開かれた扉を潜る。
ようやく呪縛が解けたのか、思い出したかのように会場中から罵声と怒号が飛び交った。
そのような汚い言葉と闘技場の明かりを背にして歩いてくるヤソルトの顔は、薄暗い舞台裏で待つウシツノにはよく見えていなかった。
「平気か?」
思わず問いかける。
なにが? なにに? ウシツノ自身、問いかけた意味が分からなかった。
怪我なのか。
環境なのか。
「想像していたほど悪くはない。だが期待していたよりかは悪いな」
なにが、なにに対してかはわからなかったが、ウシツノは、意外と真摯な答えが返ってきたな、と思った。
「おめでとゥ、お二人さん」
ピースウイングがパチパチと乾いた拍手をしながら歩み寄ってきた。
「まずはデビュー戦突破を祝福するョ。どちらさんも人気が出そうで喜ばしい限りダ。いいビジネスパートナーになれそうじゃないかネ?」
「なれないな」
素っ気ないウシツノにも気分を悪くした様子は見せず、ピースウイングは二人を奥の間へと案内した。
当然ながら二匹のオーガーと数人の警備兵が後に続き、建物内の至る所にも兵は配置されていた。
ヤソルトには鉄球の足枷が付いたままだし、二人とも命に大事無いとはいえ負傷もしている。
強行突破は無理だと判断し、大人しく後に続いた。
「まあ飲みたまエ。祝い酒が臓腑から浄化してくれる。勝者の儀式でこの闘技場のしきたりでもある」
差し出された二つのグラスには真っ赤な液体が注がれている。
「カザロ産の葡萄酒だョ。カエル族にとっては懐かしい味だろ」
「ほんとだ」
一口含んでウシツノは故郷の懐かしい葡萄の味を噛みしめた。
たまらず一気に飲み干す。
たしかに体の中から戦気や興奮と言ったものが浄化されていく気がした。
「剣聖どのにはもう一杯差し上げよう」
ウシツノの様子を見てヤソルトも葡萄酒を飲んだ。
確かに美味い。
王であった嗜みとして酒は飲める方ではあったが、貧しい国でもあったためそれほど上等の酒を飲んではこなかった。
悔しいことにこの葡萄酒は今まで飲んだどの酒よりも上等のモノだった。
「さて、では今後について説明しよう」
ピースウイングはこの闘技場施設について、二人の今後についてをいかにも事務的に説明してくれた。
まず最初に驚いたことは行動制限はあまりなく、この施設内はもとより隣接する街区への移動も自由であるという点だ。
表で見た時、この闘技場は直立する白い巨大な三角塔だった。
その背後には険しい岩山が連なる山岳地帯であったが、その山の中はおよそ一万人が暮らす商業都市としてくりぬかれていた。
もともとは鉱山都市として始まったのだが、主だった鉱石が彫りつくされた後に闘技場ができたらしい。
今では観光都市として年間数十万人が訪れるというのだから驚いたものだ。
なお街の名はコランダム。
正しくは鉱山都市コランダムだが、人々は闘技場コランダムと呼んでいる。
二人にはこの闘技場内に部屋が用意された。
あいにくの相部屋となったが個室が欲しければ活躍して勝者となるか、人気者になって金を稼げと言われた。
試合は不定期に組まれる。
ただし少なくとも週に一回は必ず組まれることになっている。
もちろん生死は保障しないので、生き残りたければ訓練を怠らないことが肝心だ。
一応この施設内に練武場という訓練スペースは設けられている。
試合は派手な方が盛り上がるし、強い者ほど歓迎されるので、設備と指導員は充実させているそうだ。
あとは食事は共同の食堂で摂ることができる。
最低限の栄養食は配膳されるので飢え死にすることはない。
それ以上を望むのなら活躍して稼げと。
「最後に、お前らのモチベーションを上げる情報を教えておくョ」
「あるのか、そんなのが」
「ここから卒業する方法についてダ」
最も手っ取り早いのが命を落とすこと。
死体は早々に投げ捨てられる。
そうではなく、生きてここを出る、自由を得る方法はふたつ。
活躍が認められ富裕層に召し抱えられる、あるいは……。
「不定期に開催される大闘技会に参加して、優勝することダ」
「大闘技会?」
「お前たちは運がいい。半年後、十二年ぶりに大闘技会が開催される。剣闘士だけでなく、外からも広く武術者を募る大イベントだ。もちろん勝者には思いのままの褒美がもらえる」
「強者が集まる大会……」
「当然お前たちも参加するんだョ。ま、それまで生き残っていれば、だがネ」
あからさまに不服な顔を見せるので、ピースウイングは最後の駄目を押すことにした。
「さて最後にもうひとつ、重要な話だからよく聴け。お前たちがさっき飲んだ葡萄酒には毒が入っている」
「ッ!」
あからさまに敵意と殺意をみなぎらせた二人に後ずさりながら説明を続ける。
「まあ、待てッ、落ち着け、すぐにどうこうなるものではないョ」
ピースウイングの前にオーガーが立ちはだかる。
どうも慣れたものでこの話の際にはよくある反応のようだ。
「いいか、試合に勝つたびに勝者には解毒剤が与えられる。さっき飲んだ葡萄酒のようにな。毒が入っているのは最初だけダ。勝てば解毒剤が飲める。少量だがネ」
「重ねて飲み続ければ毒は無くなるのか?」
「どれぐらいでだ?」
二人の質問にピースウイングは笑って答える。
「まずは目の前の一勝を考えてはどうかネ。先は長いョ。少なくとも半年はネ」




