558 debut match 【デビュー戦】
熱狂の渦が周囲を取り巻いていた。
歓声と怒号と嬌声が入交り、頭がクラクラしそうだ。
ウシツノは早々に覚悟を決めた。
逃げるという選択は現実的ではない。
これほどに興奮した大勢の観客を押さえられる警備が敷かれているのだと思えば、強硬に突破を図っても無事ではすむまい。
ここはとりあえず目の前の脅威を取り払い、言う事を聞くフリをして後で抜け出すことにしよう。
そう判断してから改めて相手を見定めた。
「ただのデカブツかと思いきや、なんで目がひとつしかないんだ?」
目の前の巨人はサイクロプス。
巨人族並みの巨体で当然筋力は人間の何倍もある。
通常、人里離れた高山に棲息しているとされるが、伝説では彼らが住む島がどこかの海にあるという。
そこへ流れ着いた漂流者は、哀れ彼らに食い殺されてしまうのだ。
「なんて話をいつだかアカメに聞かされたような気もするな」
けれど今は一対一。
お互い武器もあるのだし、そんなに悲観するでもない。
「この足枷さえなければな」
右足に嵌められた足枷の先には重たい鉄球が括り付けられている。
「ガァッ」
先手を打ったのは向こうだった。
サイクロプスのバァービィーが威嚇の声を上げて槌鉾を振り上げる。
まともに受けては鋼が三倍厚い自来也でもただでは済まない。
ウシツノは剣で受けずに上体を反らしてその攻撃をかわした。
メイスが地面に突き刺さり、足裏にまで衝撃が伝わってきた。
「おっ! そっか」
ウシツノに妙案が思いついた。
だが次の行動も向こうだった。
すかさずバァービィーは躱されたメイスを水平に振り回した。
ウシツノの胴体に向けて横殴りのメイスを跳んで躱す。
だが足元の鉄球は跳びあがらない。
ウシツノの足と鉄球をつなぐ鎖をメイスに絡めとられてしまう。
「ガァァァァッッッ」
「あ、しまっ……」
ジャラッ、と鉄と鉄がこすれる音と共に、絡まった鉄球ごとバァービィーはウシツノを何回転も振り回す。
観客からドッと笑い声が沸く。
遠心力には逆らえず、ウシツノは喰いしばって次のチャンスまで堪えた。
「ッッッァァア」
ようやく鎖がほどけた。
投擲されたウシツノは放物線を描きながら白い砂地の上に落下する。
まず重たい鉄球から着地して、続いてウシツノが背中から地面に叩きつけられた。
一応の受け身の姿勢を取っては見たが、一瞬肺の中の空気を全て吐き出してしまい苦しさを覚えた。
しかしそこで留まっていてはいけない。
当然のごとくバァービィーは追撃の手を繰り出していた。
背中から落ちてバウンドしたウシツノは、カエル族自慢の膝を活かし、両足で大きく蹴って跳び退ろうとした。
「アッ」
しかし右足は鉄球付きの枷を嵌められたままのため、跳びあがったと思う間もなくピンと張った鎖によって右足から再び地面へと墜落した。
そのタイミングでバァービィーの容赦のない拳骨がウシツノの右側頭部を殴打する。
メイスを振り回すよりも素早い攻撃にウシツノは見事なクリーンヒットをもらってしまった。
目の前の視界がぐらぐらに揺れ、口から吐き出した血が白地の地面を見眼鮮やかに朱に染める。
「だから白い砂を撒いているのか」
そんなことに感心しつつも本能で両腕を上げ頭部をガードする。
バァービィーの攻撃が一撃で済むはずがない。
振り上げた足で思い切り倒れたウシツノの頭を踏み砕こうとした。
ガードした両腕にズシリとした重みが走る。
二度、三度と踏みつけられた。
もう何発も喰らえば確実に両腕の骨が砕け、次いで頭蓋骨も踏み抜かれて終いだろう。
だがウシツノは耐えた。
誰もがもう終わる、もう終わると思いったが、ウシツノは耐えきった。
先にしびれを切らしたのはバァービィーの方だった。
踏みつけ攻撃に飽きてメイスを両手に握ると大きく振りかぶったのだ。
この瞬間を見逃すウシツノではない。
隙間ない踏みつけ攻撃が止み、振りかぶったメイスが振り下ろされるまでの空いた間隙をついて、右足を大きく振ったのだ。
ウシツノの右足には鉄球がある。
彼の動きを阻害するはずの鉄球だが、今はとてつもない攻撃の武器となる。
メキャァッ、と鈍い音がした。
ウシツノの鉄球はバァービィーの左膝にめり込み、巨体を支える彼の膝を粉々に粉砕してしまった。
観客は小柄なカエル族が鉄球を振りぬくその脚力に驚いてはいたが、そもそもウシツノはカエル族の中でも随一の怪力自慢だ。
痛みに嘆きながらバァービィーはそれでも振りかぶっていたメイスをウシツノに叩きつけようとした。
「それだッ」
ウシツノはその一撃を待っていた。
バァービィーの膝を粉砕した鉄球を今度はメイスの先端に向けて蹴り上げる。
鋼のメイスとウシツノの鉄球が激突する。
衝撃は鉄球の方に突き抜けた。
メイスの先端は地面に突き立ち、鉄球が粉々に砕かれた。
今度はバァービィーの勝ちかと誰もが思った。
そんなはずはない。
「ありがとよ」
身軽になったウシツノはバァービィーの肩に跳び乗ると刀を頭部に突き刺した。
一瞬にして勝負がついたのだ。
巨体は沈み、剣聖は血を払うと刀を静かに鞘へと納めた。
「ふぅ」
頬を膨らませて息をつくウシツノに、観客たちは言葉を失っていた。
しかしそれも束の間のこと。
すぐにこの小さなカエル族を称える歓声が沸き立った。




