555 legend 【伝説】
マハラディア王国は大陸の奥地、険しい山岳地帯にあった。
王国とは名ばかりで、大地をえぐった旧い谷底に、時の流れに忘れられたように小さくたたずんでいた。
一年を通して寒冷で、山々に遮られわずかな日差しのぬくもりでは満足に草花も育たなかった。
それでも人々はその土地を離れようとはしなかった。
何世代にもわたりこの土地で自然を敬い生きてきた。
「時折旅人が訪れることはあったが、外からの人間がこの土地に住み着くことは稀で、人の数は少しずつ減っていったんだ」
旅人の数が少ない理由は明白だった。
交易に足る魅力がないのもそうなのだが、何よりこの国は亜人の類を受け入れたがらなかったのだ。
ニンゲン至上主義。
現在も世界中で語られることが少なくない。
特にハイランドやエスメラルダといった歴史のある国では顕著だと言える。
亜人からすれば身体能力に劣るニンゲンが何をほざくか、と言った塩梅ではあるが、マハラディアはその意識がことさらに強く、そのためニンゲン以外の旅人が寄り付くことはなかった。
それが貧しさに拍車をかけていたのは言うまでもない。
「どうしてマハラディアは亜人を受け付けなかったのか? それはこの世界の秘密を知っていたからだろう」
「秘密?」
ヤソルトはウシツノにうなづいて見せた。
「お前には信じられないだろうが、かつて何十億という数の人間が、この世界を支配していたんだ。そしてその時代には今のように亜人なども存在しなかった」
「うそだろ?」
ヤソルトは首を振るだけだ。
「ニンゲンが何十億もいたらどうやって生きていくんだ」
「だから、生きていけなくなったんだろう」
厳かな声でつぶやくヤソルトに対し、ウシツノは納得がいかないままだったが、今はとりあえず口をつぐんだ。
「まあオレたちからすればそんなのは伝説や神話と変わりない、遠い過去の話さ。今のこの世界は亜人がいて、魔物がいて、慈悲がない。人間だけで生きるマハラディアにとっては神はやはり人間なんだ」
「神がニンゲン?」
「自然を崇拝するとは精霊信仰とは違う。生命を崇めることだ。草花や土、水、火。そして造られた生命ではないモノ、すなわちそれは人間だけなんだ」
「ちょと、待ってくれ。まるでオレたち亜人が自然の生命ではないかのような言い方じゃ……」
静かにウシツノを見つめるヤソルトの目がその言葉を肯定している。
「で、伝説だろ? 神話だろ? さっきお前がそう言ったんだ」
自分でも驚くぐらい動揺している。
何故なのか。
そういえばどこかで見聞きした気もする。
ラボラトリー。
たくさんの生物の標本が並んだ。
ゴルゴダ・ラボ。
「ゴルゴダ……」
「確かに、そいつは伝説にすぎない。マハラディアの長老たちに伝わる伝統を守るための方便かもしれない」
ウシツノの動揺をヤソルトは気付かなかったようだ。
「とにかく、マハラディアは純粋な人間の血統を残し続けていた。だがそれが変わる時が来た」
ヤソルトは拳を強く握ったり開いたりしている。
たわめたチカラの行く末を考えあぐねているように見える。
「いつのころからだったか。アーカムに、妖精女王が現れたんだ。オレが生まれるよりもずっと前、先代、先々代、それよりも前かもしれない。ティターニアはこの地に現れ、貧しく荒涼としていたアーカムを、凶暴な殺戮者で埋め尽くす魔境と化してしまったんだ」




