548 falling 【落下】
バツンッ!
ようやく珊瑚の檻の格子の一本、の上部分が切断できた。
ネルスは額の汗をぬぐい続けて下の方に刃をあてる。
両手のたなどころがジンジンと痛んだが止めるわけにはいかない。
「ふっ」
息を吸い込み力んだ瞬間だった。
その部屋にガチャガチャと具足の音を響かせて三人の女が入り込んできたのだ。
「なんだお前は?」
言ったのはサチである。
藍姫である長浜サチは、自身の姫神魔法で閉じ込めた白ダヌキを解放しようとしている青年に敵意の視線を向ける。
「あっ、う」
「藍姫……」
声を失うネルスとバン。
サチの表情は冷たく硬く、バンにも捕えどころがなかった。
これほどまでに絶望と悲しみ、そして怒りを感じさせる藍姫のこれまでを思い、心中に哀れみが広がった。
怯えて動けずにいるネルスに二人の戦闘怪人が近付く。
両腕を捕らえ絞り上げるとネルスは抵抗も出来ずに苦痛のうめき声をあげた。
「あたしの魔法を壊そうとするなんて」
サチがネルスを見る目は冷たい以外に表現がない。
「あたしもお前を嫌いだッ」
サチはネルスを捕まえるユカとメグミに目配せする。
ユカは無言で自身に生えたサソリの尾をネルスに向ける。
尾の先端からは透明の液体が雫となって床に垂れ、蒸気を上げた敷石が一瞬で融解してしまった。
「や、やめるデシ」
「やめてくれ……」
バンと、青い顔をしたネルスの振るえる声など聴く耳持たず、ユカはサソリの尾をネルスに向かい振り下ろした。
「やめるデシッ」
叫ぶと同時にバンの小さな身体が大きく大きく膨らんだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ズズン、と施設全体が揺れた。
通路の天井からパラパラと塵や礫が零れ落ちるのを、全身群青色の革鎧を着込んだ男が見上げた。
背には異様に長い長剣を背負っている。
「地震ではないな。なんだ?」
「あ、お前!」
男は突然に後ろから来た気配へ向かい、振り向きざまに抜刀で刺し貫いた。
「ムッ」
自慢の長剣はあやまたず、後ろの気配を突き殺していたはずだった。
しかしその小柄なインスマスは身体に不釣り合いな分厚い太刀で刺突を防いでいたのだ。
「なにするんだ、メルパッターベモー」
男は顔をしかめる。
ついさっきも白ダヌキにその名で呼ばれたばかりだ。
「ちっ、だからそれはオレの名ではなくこの剣の名前だろ」
そして自分の放った確実な攻撃を防いだ相手の太刀に目が行った。
「そいつは……貴様、もしかして」
「ああ、オレだよ。わかるだろ」
ウシツノはフルフェイスのマスクを脱ぎ捨てた。
「カエルの亜人」
「ウシツノだ。失礼な奴め」
「フン」
「名乗ったんだぞ。お前も名乗れよ」
ズズン、とまたしても地響きがした。
「なんだ?」
天井を見上げるウシツノにも事態の急変が感じられた。
いまやこの異常事態にあちこちの通路から人影が現れている。
「向こうか」
長剣を鞘に納めると男が走り出した。
「おい、待てって」
そのあとをウシツノも追う。
「何が起きてるんだ? お前の目的はなんだ? お前はいったい誰なんだ?」
質問を浴びせるが男はひとつも答えずに走り続けた。
やきもきしながらもウシツノも走る。
すると突然に天井が崩れ目の前の通路に巨大な白い壁が立ちはだかった。
いや、壁と言うには語弊がある。
その壁にはふさふさとした長い毛が生えているからだ。
毛の生えた壁がズルリと向きを変えるとウシツノの眼前に巨大な黒い眼が現れる。
その眼はウシツノを捕らえると目を大きく見開いた。
それはウシツノも同じだった。
「バン!」
「ウシツノ!」
「お前、なにバンダースナッチになってるんだよ! 目立つじゃないか」
「仕方ないんデシよッ」
途端にバンの身体がさらに階下へと沈み込んだ。
床が崩れ男もウシツノも巻き込まれて落下する。
バンが攻撃され荷重が床を崩したのだ。
「なんだ? いったい」
「上! あいつデシ」
落ちながら上を見上げる。
「げっ! あれって」
「藍姫デシ! ものすごく怒ってるんデシよ」
昇降機が通る深い縦穴である。
高い場所に日の光が差し、それを背にして三つの影があった。
その真ん中には幾本もの触腕を生やした藍姫の姿があり、まっすぐこちらを追って急降下してくる。
「何やらかしたんだッ」
「こいつを助けたんデシよッ」
そこでウシツノは初めて気が付いた。
バンの背に必死にしがみつく青年、ネルスがそこにいることに。
「とにかく逃げるデシ」
「藍姫を躱して脱出か」
ウシツノたちは最下層の厩舎広場に着地した。




