547 scared 【怯え】
三人の博士たちはあてがわれた研究室の中央に置かれた大きめのテーブルにバンの閉じ込められた珊瑚の檻を置くと出て行ってしまった。
珍しそうな動物だが戦闘怪人のモデルにはならんだろう、などと会話していたのをバンは腹立たしく聞いていた。
(見くびるなデシ)
とはいえ正体を明かすわけにはいかないと大人しく怯えたフリをし続けたのだ。
三博士が出て行ってから数分、バンはそろそろかと身を起こそうとした。
そしてこの部屋にもうひとり隠れ潜んでいる者がいることに気が付いた。
薄暗がりのこの部屋に、浅く速い呼吸音が断続的に聞こえてくる。
本人は息を殺しているつもりのようだがバンにはまるわかりだ。
相手がどうするのか様子を探ろうと思ったが、しばらく経っても動こうとはしなかった。
無為に時間が過ぎては三博士が戻ってきてしまうかもしれない。
バンは自分から動くことに決めた。
「そこに隠れている奴、出てくるデシ」
相手がびっくりしたのが伝わった。
必死に息を殺し気配を消そうとしている。
だがこの者は素人だ。
少なくとも冒険や戦闘を嗜む職業の者ではない。
バンは少し声を和らげ言い聞かせることにした。
「大丈夫デシよ。バンは誰も傷つけないデシ。ていうか、助けてほしいんデシ」
こちらが助けを乞う形にすれば出てきやすいのではないか。
案の定、こちらが小さな檻に閉じ込められているとわかるとその者は暗がりからゆっくりとその身を現した。
浅黒く焼けた肌を持つ、質素な衣服を着た青年だった。
変わったところと言えば、半分に欠けた小さな貝殻の首飾りを下げているぐらい。
「ネルス……デシか?」
漁村の娘アーシが言っていた。
ネルスは自分と分けた同じ貝の首飾りを肌身離さず身に着けているはずだと。
明らかに青年は動揺して見えた。
「アーシという娘に頼まれたデシ。あんたを連れ戻してほしいって」
「アーシ……」
青年の目に涙がにじんだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
青年、ネルスはまだ改造されてはいなかった。
戦闘怪人になることを志願してこの〈アリの巣〉へとやって来たのは確かだが、彼は施術前にインスマス隊と呼ばれる者たちを見てしまい、怖気づいたのだ。
「彼らはいくら呼び掛けても反応を示しませんでした」
彼らは戦闘怪人として不適合なため、使い捨ての戦闘員として扱われるという事も知ってしまった。
自分の意識が奪われるのではここへ来た意味がない。
同様にここへとやって来た者たちにも話してみたが、大半は腕に自信のある傭兵や冒険者上がりで、自分なら大丈夫だと聞く耳も持たなかった。
ネルスは自分だけみんなから離れ、今まで身を潜めていたと言う。
「じゃあもう戦闘怪人になりたいなんて思ってないデシね?」
「はい……」
「安易に力を求めず、身近な人たちを護りながら努力することを誓うデシか?」
「……はい」
「アンタはまだ戻れるデシ。やり直せるんデシ。それを幸せだと思ってほしいデシ」
バンの声には憐憫と共に嫉妬も含まれていた。
もちろん青年にそれと気付くことは不可能だった。
「なら逃げるデシ。バンも手伝うデシから、まずこの檻を開けてほしいデシ」
「わ、わかりました」
ネルスは周囲を見渡し珊瑚の檻をこじ開けられそうな道具を探して回った。
すぐに大きめのハサミを見つけて格子を切断しようと試みる。
「そのハサミをあいつらがどう使っているのか、想像したくないデシね」
必死にハサミを使うネルスの額に玉のような汗が浮かぶ。
格子に切れ込みは入っているがすんなりスパッと切断とはいかないようだ。
「頑張るデシ! 一本でも外れれば隙間から出れそうデシ」
「ぐ、ぐぅ」
ギコギコと刃の部分を擦りながら少しずつ格子は細くなっていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
サチは小さく顔を上げた。
長い前髪がそれに合わせてさらさらと流れる。
部屋にはサチと二人の親友、蠍のユカと、天道虫のメグミしかいない。
「珊瑚の檻を切ろうとしている」
二人はいくら話しかけても答えない。
サチは椅子から立ち上がると部屋を出ていこうとする。
二人は何も言わずにそれに従う。
二人が何も言わなくとも、サチを大切に思っていることをサチは知っている。
「ど、どちらへ?」
部屋の外には警護という名目の監視係である兵がひとり立っていた。
サチはその兵を押し退けると無言で歩き出す。
後に続く二人の親友が睨みつけるとその兵はそれ以上何も言えず、ただ見送ることしかできなかった。




