543 duct 【通気口】
誰もいない通路を白い小動物が疾走する。
バンである。
ウシツノの前で不意に扉が開き、この施設の司令官に呼び止められた瞬間に姿をくらました。
「我ながらナイス判断だったデシ」
その後ウシツノがどうなったかは不明だが、仮に戦闘となっても簡単には負けないだろう。
その程度には信頼している。
となれば自分がすべきことは施設内の検分。
依頼主のあの少女が案じているネルスという名の青年を見つけること。
もしくはいっその事、思い切り騒ぎを起こしてウシツノのフォローをしてやることも。
そう考えながらバンはひたむきに走った。
どういうわけか施設内に兵の姿がまばらだった。
彼らは妖精女王を迎えるために外に集合していたのだが、バンがそれを知る由もない。
あまりに遭遇しないため、次第にバンの疾走に慎重さと警戒心が薄れ始めた。
「あっ」
そんなところで角を曲がった折に前方から同じく駆けてくる者の気配に気づくのが遅れてしまった。
とはいえ相手も気配と足音を殺していたようだ。
お互いが不意を撃たれる格好で正面からぶつかり合ってしまった。
「ギャウッ」
「うおっ」
吹っ飛ばされたのは体の小さいバンであったが、相手も大層驚き数歩後ずさった。
「テテテ……あ? お前は」
「なんだ? この奇妙な白いタヌキは」
バンとぶつかったのは先日酒場で|戦闘怪人【ケンプファー》と揉めたあの長剣の男だった。
「お前は、メルパッターベモー!」
「オレはそんな名ではない。それはこの剣の名称だ」
褐色の肌に黒髪短髪、全身を群青色に染め上げた革鎧に包み、黄金でこしらえた鞘に細身の長剣を持っている。
「じゃあなんていうデシ?」
「名乗る必要はない」
男はバンの横をすり抜け走り出した。
「待つデシ」
この男の目的がわからないが一緒に行動した方が得策と感じた。
立場と狙いをハッキリさせたかったし、なんとなれば囮にして逃げる役にも立つかもしれない。
「ついてくるな」
「いやデシ」
一瞥しただけで男はそれ以上何も言わなかった。
しばらくふたりは走り続けた。
時折巡回する兵をやり過ごそうと身を潜めることもあったが、大きな危険は遭わなかった。
しかし男の一連の行動を見て、バンは少なくともこの男は妖精女王の手の者ではないようだと思った。
(となると目的はなんデシかね)
それがわからないまま、二人はなんと地上へと延びる通気口に身を差し入れていた。
「ここを上るデシか?」
「外への唯一の昇降機は大勢に見張られていて今は使えない。外に出るにはこの狭い縦穴をよじ登る以外ない」
「なんで外に出るデシ? なんのためにお前はここに潜入したデシか」
「どうして潜入したと思う? オレも他の傭兵志願と同様、改造手術を受けに来たと思わないのか」
「思うわけないデシ。ウシツノに亜人の身体能力が云々と煽るお前が、どうして戦闘怪人になろうとするはずないデシ」
男が一瞬考えこむような顔になる。
「そうか、お前あのカエルと一緒にいたペットか」
「ペットじゃないデシ! て今さら気付いたデシか」
返事をせずに男は両手を横に突っ張りながらよじ登り始めた。
バンは跳躍し、男の頭の上に跳び乗る。
「ぐ、お前……」
「バンはそんなに重くないデシ。とっとと上るデシよ」
憎らしそうに頭上を見ながらも男は登攀を再開した。
「目的はなんデシか?」
「……」
「そろそろ教えてくれてもいいデシ」
「何がそろそろなんだ?」
まだ心は開いてくれていないようだ。
そう思ったバンは質問を変えることにした。
「一緒に来た人たちはどうしてるデシ?」
「知らん」
「バンたちはここに人捜しに来たデシ。改造手術を受けるのを思いとどまらせるためにデシ」
「……そいつの好きにさせたらどうだ?」
一瞬、男の声に怒りが含まれたように思えた。
「それを止めさせたいと思う人も、好きにさせてやったらどうデシ」
「フン。どこかへ移動していった。オレと同じ馬車に乗っていたのか、そいつは?」
「いや、たぶんもっと前デシ」
「そうか」
すでに間に合わなかっただろうか。
男の言外にそんな意思が読み取れる。
「どうでもいいが、オレの邪魔だけはしてくれるなよ」
額に浮き出る汗も拭わずに登攀を続けている。
荒野に穿たれた狭い通気口は確かに暑い。
バンが乗っかっているから余計にかもしれない。
「そうは言っても目的がわからないと何が邪魔になるかもわからないデシ」
男がチラ、とバンを盗み見る。
そして小さく舌打ちするとささやくようにつぶやいた。
「オレの目的は復讐だ。藍姫と妖精女王にな」




