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「うぁっと」
手首が痛み思わずフォークを落としてしまう。
鉄製のフォークは床に落ちた際にけたたましい音をたてたものだが、酔客の多い店内の喧騒にかき消され誰にも注視されることはなかった。
塵や埃をこびりつかせたフォークに眉をしかめたのは、落としたウシツノ本人よりも向かいに座るバンだった。
「油断してたからデシ」
自前の手拭いでフォークを拭き取るとウシツノはしかめ面で手首に巻いた包帯を眺めた。
昼間戦った犬狼族の剣士に噛みつかれた傷だ。
「相手に牙があったんだ。注意しとくべきだった」
「今や道を歩けばその手のチャレンジャーが引っ切り無し。どうしてデシかね」
「……ふん」
カエル族は見下される傾向にある。
身体はニンゲンの子供程度の大きさでしかないし、鋭い牙も爪もない。
パワーもスピードもより勝る種族はいくらでもいるし、鳥のように飛べるわけでも、魚のように海を自在に動けるわけでもない。
「ウシツノはオーガー並みの馬鹿力デシけどね」
そんな者が新たな剣聖となったのだ。
なり替わろうとする者が後を絶たないわけだ。
「一度くらい見せしめに相手をガっとやっちゃえばいいデシ」
「怖いこと言うな。別にそこまですることないだろ」
「どうせ修行にもなる、とか思ってるデシ」
「まあ、それはな」
ハイランドを出てから一年近く経つ。
最初に行った盗賊都市マラガで早々にアマンと再会できたがすぐに別れる羽目になった。
それからは急を要する当てもなく、冒険者紛いの毎日で生計を立てた。
次第にマラガで名声が増すと剣聖の名を頼りに挑戦者が現れだした。
その数は日ごとに増していき、潮時とばかりに街を出たのが三ヶ月ほど前。
それからは見聞を広めようととりあえず東に向けて旅を続けた。
その間も今日のようにチャレンジャーは現れた。
ただ一つ所に留まるよりはその回数は激減し、決闘よりも旅を楽しむ余裕ができた。
今日はこの小さな宿場町の繁盛している安酒場で一夜を明かすつもりだった。
「ここから北へ行けばエスメラルダデシよ」
来月、砂漠の王国エスメラルダで新法王が即位する。
オールドベリル大神殿の大司教ハナイ・サリである。
「周辺国からも来賓があるそうだが、アカメも行くのかな」
「たぶん来るデシよ」
ハイランドからも即位式に出席するため幾人かの要人が出立したと噂で聞いた。
「まあオレが行くこともないだろう」
「シオリも来るかもしれないのに?」
「別にそうと決まったわけでもないだろう」
「元気にしてるといいデシね」
元気にしているだろう。
もう旅をする必要もなく、ハイランドで安全に過ごしているはずだ。
そうだろう? アカメよ。
「ん?」
ふとウシツノを見るバンのニヤけ顔が気になった。
「なんだ?」
「なんデシかねぇ」
「あのなぁ、何度も言うけどオレは別にシオリ殿のことを……」
「シオリなんてバンは一言も言ってないデシ~」
ますますニヤけるバンにウシツノは下手な弁明をあきらめ本題を切り出すことにした。
「それで、バン、偵察の件はどうだった?」
「まあいいデシ。そのことデシが……」
「なんだとテメェッ」
ガシャァァッン!
突然の怒号とテーブルをひっくり返す騒音が合わさり店内に緊張が走った。
倒れたテーブルの席にはニンゲンの男がひとり座っている。
その彼を三人の男が取り囲んでいた。
「おい、見ろよ。あの三人」
「ああ、あいつら、アーカムの戦闘怪人だ」
「シッ! 声が大きい、目を付けられるぞ」
周囲の客たちがひそひそと言葉を交わしつつも、周囲を睨みつける三人の男たちとは目を合わせないように伏せている。
「戦闘怪人。あれが……」
ウシツノはニンゲンの男ひとりに絡む三人の異形の者たちを凝視した。




