443 人に寿命が定められている訳
「まあいいわ。帰りましょ」
あっさりとした魔女の物言いに、シオリは一瞬呆けてしまった。
「え?」
「ここでの用事はもう済んだから帰るって言ったのよ」
つまらない飲み会を途中で引き上げるかのようにオーヤは言ってのける。
「でも……」
シオリはチラリと恐る恐る紅姫の方を覗き見る。
シオリですらオーヤの態度はあまりに傲慢に見えてしまった。
「う……」
シオリの予想は当たった。
紅姫の左肩口からキマイラ化したズァの頭部のひとつ、山羊の頭が生え出ていた。
「聖域を汚した貴様らを見逃すと思うか?」
アユミの口からズァの声でそう言われた。
そして山羊の口から不気味で甲高い呪文が発せられる。
『 ルォンッキリキリブァッザアァルンダランバーラァァア 』
「お前にも懺悔させてやる」
アユミの口から出た台詞は、山羊の唱える呪文によって掻き消える。
というよりも、アユミの姿は崩れはじめ、再びその姿が変態を始めたのだ。
今度は眩い光が発せられた。
やがてそこに、白い光に包まれた、人懐こい微笑みを称える女の姿があった。
その女は真っ直ぐにオーヤを見つめると、「ユウ」と魔女に呼びかけた。
魔女は小さく「チホ……」と呟く。
「ユウ。もうやめましょう。あなたはよく戦ったわ」
「チホ……」
「さあ、そんな禍々しい鎧は脱ぎ捨てて、一緒に眠りましょう」
女が両手を広げ魔女の頭を胸に抱く。
しばし魔女も大人しくその身を預けた。
女の顔は穏やかで、とても慈しみに満ちているように見える。
「くくくく」
おもむろに魔女の口から笑い声が発する。
「ユウ?」
「なるほどね。確かに戦意を挫かれそうだわ。でもね」
ゴバァ、と魔女の金髪が唸りをあげて女を引き剥がした。
「もう私は単なる元黒姫の姫神でも、大谷ユウというアンタの妹でもないのッ」
「こ、これはッ」
オーヤが魔力を解放すると周囲一体に不思議な光る文字が浮かび上がった。
文字は様々な文体で、幾重にも重なり、この空間に広く敷き詰められている。
「積層型立体魔方陣。貴様、これを書くために身を隠していたか」
女がズァの声で怨嗟の声を出す。
「……ラテン語、セム語、サンスクリット語、それに梵字、ルーン文字、そして神の息吹……少々雑な魔方陣だがそれだけに力場が荒れ狂っている」
シオリとマユミにはてんで理解できない、空中に散らばる文字列をズァが読み上げていく。
「馬鹿なことを! ここでこのような威力を放出すれば、貴様ら姫神とて助からんぞ! この浮遊要塞ゴルゴダがどこにあると思っている」
「はっ」
シオリはここが宇宙であることを思い出す。
ズァの言う通りならオーヤはここを破壊するつもりのようだ。
「ズァ、それって抑止のつもり? 神を気取るにしてはどうにも小物ね、アンタは」
オーヤは不適な笑みで返す。
その顔に女の顔が醜くゆがむ。
「魔女め、貴様だけは過去の姫神如きと済ますわけにはいかないようだな」
「私の四百年を舐めないで、って前にも言わなかったかしら?」
「……」
「どうして人には寿命が定められていると思って?」
「……」
「時を与えれば神々をも越えてしまうからよ! だからこそアンタらは、私たちを姫〈神〉と呼んだ」
魔方陣の光が止めどなく溢れ出す。
すでにお互いの姿も眩しくて見えない。
「神様方はここらでご退場願うわ! もうアンタらは用済みよ」
突然シオリは下方に腕を引っ張られた。
同時に周囲の光が圧縮されていくのを感じる。
それは空気も音も強大な重力に吸い寄せられていくような感覚。
「」
シオリにはオーヤが発した最後の言葉は聞き取れなかった。
あれほど眩しかったのに、次の瞬間にはただひたすらに「闇」の中にいた。




