440 レイの望み
「ケタケタケタ……」
小首を傾げつつ、まばたきもせずにレイは嗤う。
その目はまっすぐシオリだけを見つめている。
「き、気味が悪い娘ね」
マユミが少し腰を牽けながら、レイに対する初印象を述べる。
「レイさん……」
「また……私の知らないヒトといる……」
嗤うのをやめたレイが、かろうじて空気に乗れるか細い声で呟いた。
「私のことを置き去りにしておいて、自分は次々仲間を増やしてる」
シオリの顔が悲壮感に満ちる。
「レイさん私は……」
「こっちはずっと、暗い箱に閉じ込められてばかりいるのに」
「ッ……」
シオリは開きかけていた口を閉ざした。
出てきそうな言葉はどれも自己弁護にしかならないからだ。
それはレイを慰める言葉などではなく、自身を擁護するだけだ。
愚かさを上塗りしてしまう気がしていたたまれなくなる。
そも、シオリ自身も思ってしまった。
この数ヶ月、自分の方がまだしも恵まれていたようだ――、と。
水晶のような薄い瞳を大きく開き、まっすぐに見つめてくるレイ。
たまらずシオリは目を逸らした。
「ごめんなさい、レイさん……」
シオリの声までか細くなる。
「……私どうすれば……レイさん」
「どうすれば?」
「レイさんを助けたい。私どうすればいいですか?」
「それなら」
「ハッ」
変化に気付いたのはマユミだった。
レイの周囲で淀んでいた黒いモヤが流れるのを感じたのだ。
「それなら……私を勝者に生き残らせて!」
レイが急接近してきた。
シオリに掴みかかろうとする。
同時に、背後に流れる黒いモヤからたくさんの青白い、ヒトの手が涌き出してきた。
「亡者の腕」
驚いたシオリを間一髪、マユミが横から突き飛ばす。
そのマユミの腕を青白い腕の一本が掴んだ。
瞬間、マユミの背筋が凍てついた。
身体の芯を氷のつららが貫通したような、下腹部から脳天まで、たちまち冷気が走り抜けた感覚を覚えた。
「イヤァァッ」
半狂乱になってマユミは叫び出した。
躍起になってその腕を振りほどこうとする。
もう一秒でも掴まれていたくはない。
「龍騎ッ」
しなる鞭がレイのグール・アームを叩き落とした。
「マユミさん! 狂気治癒」
シオリの術技で恐慌に陥ったマユミの精神を落ち着かせる。
徐々に血色を取り戻していくマユミの顔だが、はぁはぁと息が荒く、微妙な倦怠感をもたらせる悪寒はなかなか消えそうにない。
「落ち着いてマユミさん。息を整えて……ゆっくり」
「やっぱりひどい。私を助けてくれるんじゃなかったの?」
甲斐甲斐しくマユミの介抱をするシオリの背中にレイの非難が浴びせられる。
「レイさん……」
「じょ、冗談キツいわね、こいつの能力」
ぎゅ、とマユミがシオリの手を握りながら言う。
血の気の失せた顔をしている。
さすがに死人の手に掴まれたのは初めての体験であった。
自然と誰かのぬくもりを求めてしまっている。
それをあざ笑うかのように、レイの周囲から不気味な声が聞こえだす。
あたかも地獄の亡者が発する怨嗟の声であった。
「あなたも私を苛めるの?」
初めてレイの視線がマユミに向いた。
ジッと桃色の気配を漂わせるマユミを観察する。
「綺麗なヒト。私とはちがう」
ピラ、と自らの黒いドレスの裾をつまんだ。
黒いもやが一瞬広がる。
「私……この姫神戦争に勝ち残りたい。そうすれば私の好きなように世界を創造する権利が貰えるんだって」
「世界を創造?」
「そうしたら、誰も私を傷つけない、私の好きな人だけがいる世界を創りたいの」
レイの顔が歪んだ。
「それにはあなたも邪魔だ」
「……ッ」
二人とも息を飲んだ。
レイの姿が崩れだしたのだ。
ドロドロの、不定形な、不気味な変態を始める。
ややして、レイだったものは別の姿に変わった。
赤ん坊だった。




