432 身代わり
黄金の波動が周囲を震わせた。
大いなる存在はギョロリと上目遣いで左上を見る。
自身の額に黄金の源がいた。
それを見えているかのように凝視している。
黄金は明らかに力強さを得ていたが、しかし一向にそこから動こうとはしない。
彼にはその理由がわかっていた。
どんなに黄金へと変わろうとも、状況は変わらないのだ。
姫神になったミナミが彼の額に磔られたままであった。
ブチッ!
「カハッ」
喉の奥まで差し込まれていたチューブを噛み千切り、喉奥に残った部分も吐き出した。
ゲホゲホと幾度かえずく。
少し涙目になったミナミが自身の口元から垂れ下がるチューブの軌跡を見つめる。
プランと垂れたその先が大いなる存在のギョロリと開いた左目に当たった。
「アゥッ」
ゆっくりと垂れ下がってきたチューブの描く放物線に見惚れていた。
その瞬間は時が止まったかのように、不思議な心地よさを見ていた。
アートだ。
彼はそう思っていたのだ。
そのアートが左目を叩いたものだから、思わず何度も目をしばたいた。
彼の目にも少しだけ涙が滲む。
動けないままのミナミと、気持ちを落ち着かせる時間を必要とした大いなる存在の奇妙な一致は十数秒だった。
「テ、転身シタカ、金姫。……無駄ナノニ」
「はっ、はぁっはぁっ……クゥ」
真っ青な顔をしたまま、ミナミは握り締めている土貴王飢を見つめた。
この瞬間を夢見ていたのはもう何ヶ月も前の事。
願っていた好機が今訪れていた。
感覚は、失われていない。
自分は姫神だ。
金姫だ。
うだつの上がらない、恋愛下手な会社員ではもうない。
「んー、んーッ」
少し離れた位置で事態の推移を見守っていたマユミが、たまらずミナミをけしかけようと喉を鳴らす。
喉の奥まで差し込まれたマユミのチューブは依然そのままだ。
しかし彼女にも今大きな希望が見え始めていた。
だが……。
それきり、何も事態は動かない。
「…………」
彼は何も言わず、ようやく痛みと涙の取れた左目の調子を確かめていた。
それはゆっくり三十秒を数える間だった。
それでも事態は動かない。
ミナミは行動を起こさない。
「無駄ト言ッタ意味、理解デキタカ?」
「う……」
ミナミの顔に困惑が広がっていた。
期待が失せ、哀しみが広がりつつある。
何かをしようとするのだが、言葉が口をついて出てこない。
戦闘思考が働かないのだ。
「無駄ナノダヨ。ソウイウ風ニ、出来テイルノダカラ」
その通りだった。
転身まではしたものの、ミナミは何も出来ずにいた。
「無敵ダトデモ思ッテイタカ、姫神ハ。能力ハ全テ無効化スル。我ニハ決シテ、逆ラエナイノダ」
「はぁ、はぁ、そんな……」
ミナミから生まれたはずの活力が消えていく。
「デハ聴クガヨイ」
大いなる存在は両目を閉じると、ミナミとマユミを相手に、とうとうと語りだした。
『金姫、渡来ミナミの絶望を察知し、白姫、新沼シオリは単身戻ってきた。しかし、すぐに敵わぬと悟るや武器を下ろし、キッパリとこう言うのだ。「ミナミさんを解放してください。私が、代わりになります」そしてその身を全能なる大いなる存在へと委ねたのである』
「……?」
沈黙が流れた。
ミナミもマユミも言っている意味がわからず呆けている。
「マユミさんッ! ミナミさんッ」
「ッ!」
そこへ光の剣と光の翼を閃かせながら、シオリがこの危地へと再び舞い上がってきた。
ためらわずに攻撃モーションに入る。
「閃撃ッ」
巨大な顔の眉間にシオリの輝く斬撃が炸裂する。
まばゆい光が辺りを白く包み込む。
ミナミもマユミも、斬られた彼自身さえも、その眩さに目を閉じた。
やがて視界が戻るもそこには委細構わず涼しげな顔でシオリをねめつける顔があった。
わずかに笑みをこぼした顔が。
シオリの顔からもみるみる気力が抜けていく。
「んーッ!」
マユミの喉奥から憤怒の嗚咽が漏れる。
シオリはマユミを見ず、反対のミナミをチラリと見た。
だらりと下げた手から、光を失った輝く理力がこぼれ落ちる。
「……」
「ミナミさんを解放してください」
それはか細いがハッキリと聞こえる声だった。
「…………ソレデ?」
「私が、代わりになります」




