430 大いなる存在
「シオリさん、我々は向こうです」
少しだけ巻き戻す。
レッキスの疾走に加勢しようとしたシオリを止め、アカメは逆の左側を差し示した。
シオリがその先を確認する。
「予想通り、持ってきたそれが無駄にならなくて済みました」
「うん」
「彼女の戦力は今絶対に必要です。頼みましたよ」
「でも……」
シオリが心配そうにアカメを見つめる。
「私のことはお気になさらず。あなたのガンバリが私の安全を保証してくれると思ってください」
力強く頷くと、シオリは背中の羽を大きく広げ飛び上がった。
一旦空中で静止すると、バサバサと耳障りな羽音で群がる夜鬼どもを蹴散らしながら旋回する。
見るとレッキスはミナミにたどり着き、同じく群がるナイトゴーントどもを追い払っているところだった。
「もう少し耐えて。わたしは」
視界にマユミを捕らえると、一転、降下体勢に入る。
ナイトゴーントどもはシャマンたちに気をそがれ、マユミの周囲は手薄に見えた。
「よしッ」
一度だけ羽ばたいてから、全速で降下する。
ゴゴッン!
その時に衝撃が走った。
マユミとミナミのいる磔台が、大きく床からせり上がったのだ。
「あそこじゃ! 巨大な目がある」
クルペオの声にシオリも天井を見上げた。
確かに巨大な目玉が闇に浮いていた。
その目玉から幾つも伸びたチューブがマユミとミナミに繋がっている。
「あっ!」
するとマユミとミナミが縛られた磔台がより大きく隆起した。
床を割って、のたうつ太いチューブが現れる。
そのチューブの先端が二人の磔台であった。
それはまさに、目玉から生えた太い腕のようであった。
両腕の先にマユミとミナミを繋いだまま、目玉は光の届かない上空の闇へと上昇を始めた。
「うあっ」
目玉がミナミを縛った方の腕を大きく振り回した。
しがみついたままでいたレッキスが振り落とされてしまう。
「ンンッ!」
「ミナミッ」
強烈な遠心力で振り落とされたため、手が離れた瞬間、ミナミはレッキスの手が届かない遠くへと離されてしまった。
「レッキスさんッ」
落下するレッキスをシオリが受け止めた。
衝撃を殺すためにキャッチの瞬間、羽をたたみ数メートル自由落下する。
ますますミナミが遠のいてしまう。
「シオリ! ミナミが」
「わかってます。追いかけましょう。掴まっててください」
再び羽を広げると、シオリは今度は全速で上昇を開始した。
レッキスがシオリの腰にしっかりと腕を回す。
マユミとミナミを連れたまま、目玉は止まらずに上へと昇り続ける。
追いかける二人に向かって触手のようなチューブが何本も殴るように飛んできた。
「ヤバイんよ!」
「掴まってて」
串刺しにしてやる、という意思が感じられるチューブを掻い潜りながら、シオリは目玉に肉薄していた。
一本でも当たればたちまち身体が引き裂かれてしまうだろう。
止まらない冷や汗に恐怖を覚え始めたレッキスだが、不思議とシオリの身体から勇気が分け与えられている気がした。
「なんて広いの。軍艦どころじゃない。町ひとつ分くらいは余裕である」
「えっ」
「こんなのが地球の上を飛んでたなんて」
チラリと眼下を見下ろす。
すでにアカメたちの姿は小さくて判別できない。
シオリの懸念は仲間との距離だった。
こんな場所で離ればなれになるのはあまりに心細い。
「見て」
レッキスの声でようやく終点にたどり着いたのだと知れた。
鋼鉄の天井が見えた。
巨大な目玉がすっぽりと収まる窪みがひとつ空いていた。
音もなくその窪みに嵌まると、マユミとミナミを含めた七つの磔台も天井に固定される。
ゴゴッ、という音がした。
すると驚いたことに、目玉の横にも穴が開き始め、さらにもうひとつの目玉が現れた。
その両の目玉の下方にも、横に長い穴が開く。
「か、顔ぉ?」
レッキスの声は素っ頓狂に響いた。
それも理解できる。
何故なら天井いっぱいに広がったのはまさに顔であったからだ。
目玉と口があるのだ。
ひどく生物的で度肝を抜く。
そいつは何度も目をまばたき、口を右に左に歪曲せしめる。
いつの間にか鋼鉄の天井を肌に持つ、自然なヒトの顔になっていた。
ただしスケールは巨人という表現を持ってしても到底足りない。
それを推し量れるのがマユミとミナミの磔台だ。
横一列に並んだ磔台は、巨大な顔の額部分に嵌まり込んでいる。
まるで、茨の冠のように見えた。
「ゴフゥ……」
嘘みたいに大きな息を吐きだした。
シオリもレッキスもただ呆然としている。
ギョロ、と見開いた目が二人、特にシオリを見る。
「フゥ。オ前タチ、ナニユエ邪魔ヲスル」
「し、しゃべった」
「あ、あなた、だれ…………?」
生理的嫌悪、あるいは精神崩壊を起こさないのは、白姫の祝福が平常心を保たせているからであろう。
「我ハ、オオイナル」
「え……」
「大イナル存在、ザ・グレートワン、デアル」
「大いなる、存在?」
「その名、どこかで」
シオリにはどこかで聞いた覚えがあった。
そんな話をしたような。
アカメ?
バン?
それともあれは、魔女の口から……?
「ソコノオマエ」
顔の両目がシオリに向く。
「オマエ……良質ダ……気ニ入ッタ」
「えっ」
シオリの表情がヒクついた。
得も言えぬ不安を押し殺せずにいた。




