420 迷宮の怪
ギュオンッ!
一瞬、空間が膨らんだような気がした。
見えない空気の圧が周囲に散らばる小石や瓦礫をはね飛ばす。
頭上から降ってきた巨大な粘液質の塊が、空中で球状に薄く広がると、そのまま破裂して四散した。
腐蝕した武器や防具が飛び出して散乱する。
「スゲェ。あんな巨大なスライムを一撃かよ」
「とんでもねえ魔女だ」
迷宮探索のためと雇われた傭兵たちは、不可解な魔術で行く手を塞ぐモンスターを次々薙ぎ倒す、金髪金眼、全身黒革の魔女に慄いた。
「さ、先を急ぎましょう。次は誰が先頭を行くのかしら」
振り向いたオーヤの眼光は実に怜悧なものだった。
生き残っている屈強な男たちがたじろぐほどに。
ひとりが異を唱える。
「ちょっと待ってくれ。あんたが先頭を行ってもいいだろ? その実力なら……」
「私は魔術師よ。後方から支援するのは当然でしょう。そもそも女を先頭に立たせる気? その筋肉はコケ脅しにしか使えないというの?」
「ぐっ……テメェ」
雇い入れたこの者らは弾除けに過ぎない。
オーヤにとってもこのダンジョンは、デストラップやモンスターなど、脅威となるものが数知れない。
出来るだけ無傷で最奥を目指すためなら、端した金で無能を使い捨てるのは良策だと思っている。
「ほら、早くして。今夜の酒代を逃すわよ」
私とお前らでは生きる目的に天地の開きがあるのだ。
所詮お前らが居なくなったところで、酒場の店主が実入りが減ると、小さくタメ息をつく程度の存在でしかない。
(これ以上ぼやくならひとりぐらい見せしめに)
その考えは杞憂に終わった。
男たちはしぶしぶ次の間へと続く通路を先に立って進み始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「魔女?」
「あなたに聞いていた人相風体に一致します」
聖都カレドニアの中心にそびえる王城ノーサンブリア。
アカメの前にギワラはその報告を携え訪れていた。
墜ちた宮殿の探索に世界中から冒険者が集まっている。
その管理を任されているのが新生盗賊ギルドのマスターである女盗賊ギワラの職務だ。
何か変わったことがあれば逐一アカメのもとに情報をもたらしてくれる。
もっとも、表向きは冒険者ギルドとなっているのだが。
「鼠の洞穴に現れたのは五日前。そして一昨日、傭兵を数人伴ってダンジョンに潜ったそうです」
「オーヤ。まさか本当に現れるなんて。やはりあそこは姫神にとって重要な場所のようですね」
当初の見立てより宮殿内部は複雑で、かつ広大だった。
多くの冒険者が集い、そこに商機を見いだした者たちも群がり、アカメとミゾレの目論み通り、ハイランドに好況をもたらしてくれている。
「それで?」
「今はシャマンさんたちに動向を探ってもらっています。ただし直接の交戦は避けるように申し付けておきました」
「わかりました。ありがとうございます。すぐに私も向かうことにします」
ギワラが去ったあと、アカメも急ぎ支度を始めた。
あの魔女には問い質したいことがいくつもある。
一年前とはアカメの吸収した情報量も桁外れだ。
「まずはオーヤの目的を質さねばなりません」
そこへノックの音がした。
扉を開けて入室してきた人物を見て、一瞬アカメは考えを巡らす。
「あぁ、シオリさん。実はですね……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ハイランド共和国は墜ちた宮殿を今は正式にゴルゴダ・ラボと呼称している。
姫神伝説はそれまでほとんどの者が知る由もないものだった。
当然それにまつわる情報もである。
しかし各地で姫神の噂が持ち上がるようになり、同時に戦乱が相次いだことで人々の関心を集めるにいたった今、下手に情報を隠蔽するよりも、周知を徹底させ広く見識あるものを収集する方針をアカメは打ち出していた。
「となれば敵も現れるってことだな」
「まだあの女が敵かはわからないよ、シャマン」
「いいや、あいつは敵さ。オレの勘がそう言ってる」
「独断で事を複雑にさせないでよね」
「オレよりもレッキスに言ってやんな」
シャマンがメインクーンの目の前に人差し指を立てると、視線を誘導するようにツツツ、と動かし、先の部屋を覗き見ている兎耳族の拳法少女を指して止まった。
「この宮殿の探索も手詰まり感があったからのう」
「新たな手掛かりかと期待してしまうな」
クルペオとウィペットは周囲を警戒しながらそう話す。
「アカメが要注意人物として挙げていた魔女だそうだ。しかもかつての黒姫だという。目的があってこの場に現れたと考えるのが自然だな」
「そうではなくてじゃな、焦れたレッキスが暴発せんようにじゃな」
クルペオとウィペットには事態に対して危機意識に齟齬があるようだ。
シャマンがクルペオに同調する。
「だいぶミナミを待たせちまってるからな。レッキスが焦るのも仕方ねえ」
「それは私らも同じにゃ」
一同が頷く。
ミナミがさらわれて、すでに一年近く経過している。
「もしかしたらの現れた手懸かりだ。是非とも派手に当たって欲しいね」
シャマンは装備した剛力駆動腕甲を頼もしそうにさすりながらつぶやいた。




