409 レベル差
「こいつがヌマーカを!」
「ああ」
アマンの問いにウシツノが答えた。
ゴズ山中を逃避行の際、カエル族の老兵ヌマーカは、たったひとりで二十人はいたトカゲ兵を自ら爆散することで足止めして見せたのだ。
「あのジジイにやられたこの左手が、今でも疼いて仕方ねえんだよ」
ボイドモリが上げて見せた左腕には鋼鉄製の鉤爪が鈍く光っている。
「その心配ならもう無用だ。ここでお前はお仕舞いだからな」
愛刀自来也を強く握りしめ構えるウシツノ。
その殺気にボイドモリの背後に控える数十匹のトカゲ兵も武器を構える。
「待つデシッ」
「うわ、っとと」
チチカカの頭に飛び乗ったバンが高みからトカゲどもの後方を指差す。
騒乱を巻き起こす民衆が、路地裏や民家からも次々と飛び出し、後方にいたトカゲ兵にまで襲い始めたのだ。
中には男だけではなく、女も老人も、年端もいかない子供の姿までもが見える。
「ウシツノ、決闘なんてしてる場合じゃないデシ。早くずらかるデシよ」
「だがこいつはヌマーカの……」
「こいつに怨みを抱いているのはウシツノだけじゃないデシ」
武器を手に取り戦いに参加する民衆の数は目に見えて増えている。
切っ掛けは酔った水夫の一撃だったかもしれないが、すでに自分たちの自由と尊厳をかけた抵抗は街全体に波及している。
「逃げようたってそうはいかんぞッ」
「旦那!」
油断したと見たウシツノに向かい、ボイドモリが鉤爪を振るい襲いかかった。
それは重たい一撃で、喰らえばひとたまりもない衝撃が容易に想像できた。だが、
「フンッ」
「ッ!」
キィン、という金属同士が奏でる甲高い音が響いた。
次の瞬間、もんどりうったボイドモリの足元に斬られた鉤爪の先端が落ちていた。
鋼鉄を切り裂く技、力、胆力。
「なっ……」
ボイドモリの目が見開き、額から汗がにじんだ。
「…………行くぞ。バン、アマン」
ウシツノが全員を促し別の路地裏へ退避させる。
最後に油断なく睨みを効かせながらウシツノもボイドモリの前から消えた。
その間、ボイドモリは微塵も動かなかった。
動けなかった。
今の一太刀で察したのだ。
自分とあのカエル族との間に横たわる、大きな実力の隔たりを。
「あのガキッ……」
そしてその差を感じたのはウシツノも同様だった。
ボイドモリはそう確信している。
鉤爪を斬った瞬間の、目が合った時の奴の顔は憐れんでいた。
そして失望していた。
憎しみをぶつける対象の、つまりはオレの弱さと、脆さに対するあれは気落ちだった。
「ここにいたかボイドモリ!」
「なにを呆っとしておる。民衆の反乱だ。引き上げるぞ」
呆然自失としているボイドモリをマラカイトとトルクアータが助け起こす。
「しかしこれは、民衆の蜂起だけではないようだぞ、マラカイトよ」
「うむ。この街の警護団も参戦している。それもかなり準備が行き届いているな」
「まさか、この騒乱が起こるのを知っていとでも?」
「わからぬ」
「とにかくアジトに撤退だ。我らだけではままならん。ゲイリートに報告するのだ」
追いたてられるようにトカゲどもは撤退を始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「むぉッ! やったぞ」
「奴ら逃げ出しおったわ」
緋色の釜戸通りからさほど離れていない、ある建物の高い位置にある一室。
部屋の中は薄暗く、見下ろす通りの景色は鈍色に日が差している。
「あんな具合でよろしかったですか」
部屋の入り口に立つ大柄の男が椅子に座るカメレオン族に伺う。
男は水夫の格好をしていた。
「上出来です。下がって褒美を受け取りなさい」
「へへ、どうも」
バタン、と扉が閉まった。
隣に座るタヌキ族の老人がカメレオン族に向き直る。
「この暴動は意図的に起こしたものだったのか。ウサンバラ」
「ですから、警護団の出動要請も的確だったでしょう?」
「む、むぅ」
カメレオン族のウサンバラが嘲笑うかのように五商星長老ホンド・パーファに返答した。
「そもそもですがね、奴らが大っぴらにカエル狩りなどと言い出した事がまず腑に落ちませんでした」
「どういうことだ?」
窓辺ではしゃいでいた同じく五商星のゴンズイ・テーションとシーズー・ライブが首をかしげる。
「トカゲ族とカエル族は同盟関係にあるはずだ。それが一方的にカエル狩りなどと」
「その通りです、ホンドさん。何があったかはともかく、本来そのような命令が表に出ること自体あってはならないこと。おそらく」
「なんだ?」
「誰かは知りませんが、司令塔役がお留守なのではないかと。であれば、叩くのは今だと思いましてね」
「しかしそのカエル狩りというのもまた随分と上手いタイミングで……おい、まさか」
「ウフフフ。まあちょっとだけ、そそのかしてやりましたがね。いかにも疲れたお顔のカエルさんでしたが、想定以上の好結果を出してくれました」
卑しい笑いを堪えようともしないカメレオン族に、三人はうすら寒いものを感じていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ、はぁ。坊っちゃん、私もう……」
「しっかりしろ、おやっさん」
街を出た丘の上だった。
周囲は高い岩が多く、岩壁が視界を遮り安心感をもたらしてくれる。
しかし膝の悪い初老のチチカカには少々きつい行軍となっていた。
「そもそも、ど、どこまで行くつもりなんです、坊っちゃん?」
「あ、うん。そうだな……」
実はそこまで考えていなかった。
「もう少し、街から離れよう」
「ハヒィ」
「うわっ」
その時先頭を歩いていたアマンが突然声を出して驚いた。
目の前に一匹のしなやかな体躯をした黒猫が現れたのだ。
「なんだよ、猫か」
黒猫はジッとレイを見つめている。
不思議とレイはその黒猫に既視感を覚えた。
するとその黒猫がおもむろに口を開いた。
「お迎えに上がりました、深谷レイさま」
「えっ!」
「し、しゃべったぞ、この猫」
如何に亜人世界といえども完全なる動物が人語を話すことはない。
そのはずだが、しかし確かに流暢な東方語であった。
「迎えにって……私を?」
「ええ。では参りましょう。マグ王がお待ちです」
「え」
「わわっ」
黒猫の周囲、何もない空間に直径一メートル程の闇が生じた。
真円を描くその黒い闇にアマンとレイ、そしてチチカカまでが吸い込まれる。
「アマン! レイ殿! おやっさん、うおぉぉ」
そして後を追うようにウシツノとバンの体も浮き上がり、闇に飲み込まれそうに引き寄せられる。
「おっと。貴方と貴女は連れていくわけには参りません」
「なに」
「あしからず」
黒猫がウシツノとバンの額を軽く手で押しやると二人は後方へと大きく吹き飛ばされた。
「ぐおっ」
バンを懐に庇いながらウシツノは背中から岩壁に叩きつけられた。
乾いた砂や小石がパラパラと降り注ぐ。
「っ痛ぇ。どういうことだ……」
目を上げたウシツノは目をぱちくりさせた。
アマンもレイもチチカカも、そして黒猫も黒い闇もすでにそこにはいなかった。
辺りに静寂が立ち込める。
するとその時を待っていたかのように、空から大粒の雨が海風に乗って舞い降り始めた。




