401 朧月ブラックアウト
アマンの放った黒い波動は地下室の天井だけでなく、建物の地上部分である一階と二階の床や天井まで突き崩した。
崩れた屋根から闇夜に瞬く三日月が望む。
「待てよアマン!」
制止するインバブラの声を無視し、レイを抱えたアマンが大きく跳躍した。
大きな建物のため、各階の天井までの高さは個人の住宅の倍以上ある。
並みの人間でさえ背丈の十五倍はある高さを、人間の子供程度の身長しかないカエル族のアマンは軽々と飛び越える。
「待ってくれ……」
カエル族の戦士ならばこの程度の跳躍も可能だろう。
しかしインバブラのように酒に溺れ、運動神経を磨かない者では到底不可能だ。
小脇に人間の女を抱えながら跳び越えるアマンに追いつけるはずもなかった。
棺を破壊し飛び出したアマンとレイは、インバブラを一瞥もせずに行ってしまった。
「……けっ! なんだってんだアマンの奴」
取り残された失望を押し込めるように、インバブラは声に出して悪態をついた。
そこへトカゲ族の幹部であるトルクアータとマラカイトがようやくにして地下室へと駆けつけた。
崩れただれた室内と天井を見上げ青ざめる。
「な、なんということだ! 見ろトルクアータ」
「ああ、見ているさ、マラカイトよ。瓦礫の山だな」
「いったい何があったのだ……む、棺が粉々だぞ」
「落ち着けマラカイト。黒姫はどこだ?」
「その辺にいるはずだろう、トルクアータ」
「いや、見当たらんぞ。探すんだ!」
二匹のトカゲは状況に思考が追い付かず右往左往している。
あまりのあわてふためき様からインバブラの姿を認めるまでに十数秒を要した。
「貴様、インバブラ! こんなところで何をしている!」
詰問口調のトルクアータをインバブラは蔑んだ目で見て答える。
「何って、騒ぎを聞き付けて来たに決まってるだろ。お前らよりずっと先に来ていたさ。見てたぜ。ひどい慌てようだ」
「なに!」
「おっと! オレにキレてる場合かよ? 黒姫なら、カエルに連れさられて行っちまったぜ」
「黒姫が!」
「それは不味いだろう、トルクアータよ」
二匹はインバブラの相手をとっとと切り上げ階段を駆け上がっていった。
周辺の部下たちを怒鳴り付けながら追跡隊を準備するよう指示している。
「へっ。ボンクラどもが」
またしても取り残されたインバブラはその場で三日月を見上げていた。
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アマンは思わず両目を瞑り立ち止まる。
月明かりがあるとはいえ、辺りは暗闇の静けさしかない。
吊られてレイも目を閉じてみる。
支え合うお互いの熱と鼓動が強く感じられる。
そして涼やかな風。
なんとも心地よく、懐かしい気持ちがした。
ひとしきり風に浸るとゆっくりと目を開ける。
見下ろす先に黒い重たげな闇が横たわり、その縁に寄り添うように小さな光が密集していた。
丘の下に広がる、重たげな闇はオルフェウ湾に注ぎ込む海、光の密集は人々の生活の灯り、悪名高い盗賊都市マラガの夜景に違いなかった。
荒れ地の丘から眼下に広がる街を睥睨する。
「一応、マラガのすぐそばにいたみたいだな。オレたち」
アマンがレイと共に狭い棺に閉じ込められておよそ一年が過ぎていた。
アマンの姿は一年前と変わりない。
少々傷みやほつれの見える革製の旅人の服に、トレードマークであるゴーグルのついた飛行帽。
まっすぐ伸びた背丈はアカメどころかウシツノよりも、さらに頭ひとつ低いというのに、態度はいつものように大きかった。
その頃の雰囲気、佇まいにも変化はない。
一年もの間、狭く暗い棺の中にレイと共に閉じ込められていたにしては、やけに生命エネルギーに満ちているような、晴れやかな表情をしている。
いや、それでも彼を知る者が見れば、やはり何かが変わったと思うかもしれない。
強いて言うならば、陰が差すような瞬間が垣間見える、と。
その時、丘の道を登ってくる一団が目についた。
十人程度の共を連れ、先頭を歩くのはゲイリートだ。
先刻、五商星の間を後にしたゲイリートが、トカゲ族の戦士を引き連れ帰路に着いていたようだ。
そのお付きのトカゲ兵が先にアマンの姿に気が付いた。
「貴様! 何を見ている! いや、まて……ゲイリート様ッ」
「わかっている!」
一団はアマンとレイの目前で立ち止まると全員腰から剣を抜いた。
ゲイリートだけは剣に手をかけず、腰に手を当て尊大な様子でレイを睨む。
「何故お前がこんな場所にいる? 黒姫、すぐに地下へ戻るんだ」
ゲイリートは決して頭の悪い者ではない。
このような命令にレイが素直に従うとは思っていない。
部下たちに手振りで威嚇するようそれとなく指示を出す。
大っぴらに怒声をあげないのは表向き、自分はレイの理解者であるという立場を維持するため、臆病なレイに言うことを聞かせる必要な対応だと心得ていたためだ。
案の定、レイはビクビクしながら隣に立つカエル族の背後に身を隠してしまう。
「どけ、カエル! 殺されたいか」
部下の威嚇にだがこのカエル族の若者は動じた様子がない。
「アマンと言ったな。お前はあの魔女が連れてきたが、私にはお前の重要性が理解できん。大人しく黒姫を差し出せば、お前の事は見逃してやるぞ」
レイの怯えが強くなる。
すがるようにアマンの腕を掴んでいる。
だがアマンはその手を振りほどくとトカゲ族の前に一歩踏み出した。
「よし。懸命な判断だ。何処へなりと行くがいい」
「ハハハ、オレより弱い奴の脅しに、どうして屈すると思うんだよ」
「ッ!」
ブアッと迸る闇が見えた。
か細い月明かりを帳消しにする、夜の闇よりさらに何倍も暗い闇だった。
その闇はアマンの身体から発せられている。
「……うぅ」
「…………ぐぁ……」
バタバタと何人かのトカゲ兵が泡を吹きながら失神していく。
威圧感に気圧されるように、意識を保っていた者も抵抗できず、次々と倒れていく。
「これは……まさか貴様…………」
片膝をついて耐えるゲイリートだったが、アマンがさらに一歩近付いた時、ついに他の者同様に意識を失ってしまった。
意識が消失する寸前、ゲイリートが感じていたのは間違いなく、<恐怖>であった。
それはとても純粋で、なにひとつ曇りのない恐怖。
紛れもなく、黒姫レイの司る力であった。




