399 デフォルト危機
「今月の売り上げもまた、芳しくないようですが?」
まだ残暑の残る<空の月(九月ごろ)>の初旬。
自由都市マラガの実権を握る資本家たちが集う五商星の間には、重苦しい空気が流れていた。
マラガは商人たちが集い拓かれた商業都市だ。
元々はしなびた漁村であったが、東の緑砂大陸西端の玄関口として大きく発展を遂げていた。
封建制が残る国の多いこの亜人世界において、数少ない、例外的とも言える、自由資本主義がまかり通る自治都市であった。
そのマラガを最上位から取り仕切るのが、五商星と言われる五人の資本家たちであったが、北のドワーフと縁の深い宝石商のヒガ・エンジ、裏社会との強固な繋がりを持つ雑貨商のウサンバラ・サンロ、両名が参加しなくなったことで、実質今は三人で取り仕切っている。
すなわち、武器商人の狸族ホンド・パーファ、海運業の魚人族ゴンズイ・テーション、飲食業大手の犬狼族シーズー・ライブだ。
そしてその三人の前で書類の束を放り出し、不満げな顔で返答を促すのは、黄色い大きめの頭をしたトカゲ族四幹部のひとり、ゲイリートだった。
その書類にはマラガのこの一ヶ月間、主な収支が記載されている。
今日はその収支報告をゲイリートに提出する日なのであった。
「こちらの要求に対し八パーセント足りていない」
「……」
「酷くなっている。確か先月は七パーセント、その前は五パーセントでしたな」
ちょうど一年前、トカゲ族の軍隊が大量の死人と共にこのマラガに上陸、瞬く間に制圧された。
それ以来トカゲ族の支配下に置かれたマラガは、かつてのような開かれた商業都市とは言えなくなっていた。
要するに、新たなる支配者から、重い税が課せられたのである。
「お、お言葉ですがゲイリート殿。そもそも一年前に貴殿たちが行った、その、破壊行為の傷跡もまだ癒えてはおらぬのです」
「それだけじゃない。北のハイランドで奇怪な雨と獣人騒ぎが起こっていたというぞ」
「左様。エスメラルダも北へと侵攻したと言うし、海路も陸路も行き交う商人が激減した。商売どころではなかった」
三人が口々に現状の不具合を訴え始めた。
「マラガは商業都市なのです。この街から世界中に物資が流れていく。他国が閉鎖されていては……内需だけでは足りんのです」
「それはそちらの都合である。我らは要求を満たせばそちらの自由も保証すると、これほど譲歩しているではないか」
「う、うう……」
「あなた方はその財を築く才で成り上がった一族の者でしょう。それともただのデクだったのか?」
「なんだと、この若造がッ」
「剣で歯向かうなら相手をしようッ! だが貴殿らの得物は商才であろう。気に入らなければそちらで結果を示せィ」
ピシャリと言い放つゲイリートに返す言葉も出ない。
そのゲイリートの視線は最年長のホンド・パーファへと向かった。
「報告を見るにホンド殿、あなたの落ち込みが最も抜きんでているようだが」
「む、むう」
武器商人であるパーファ家はこの一年で随分と低迷していた。
実は良質な武具の仕入れがほとんどストップしていたのだ。
原因は行方不明となった宝石商のヒガ・エンジであった。
彼女は北のドワーフたちとの繋がりが強く、彼女の仕入れる宝石細工の大半はこのドワーフたちの手によるものだった。
それだけではない。
鍛冶技術においてドワーフ以上の腕を持つ者は稀だ。
一族総出で、となればもはや存在しえない。
そのドワーフたちからマラガへの武器供給に否が突きつけられた。
彼らはヒガ・エンジへ加えられた、マラガの見せしめとも言える制裁行為が気に食わなかったのだ。
これには関係修復を早期に取り次ぎたいと考えるホンドではあったが、折しもハイランドでの謎の獣化病が蔓延したこともあり、人の行き来が途絶えた結果、ドワーフ族との連絡が困難に陥った不運も重なった。
「来月。今月の不足分を上乗せして納めていただく。それが叶わぬならば、わかっていような」
こちらの窮状には耳を貸すことなく、ゲイリートは着込んだ甲冑を鳴らしながら部屋を出て行った。
少し大きめの音を立てながら扉が閉まると、しばらくの間を置いて三人が同時に息を吐きながら額の汗をぬぐった。
「やれやれ……なんとか今月もやり過ごせましたな」
「とはいえもう限界だろう。粗暴なトカゲ族のことだ。利益度外視で暴れるだけ暴れてマラガを去ってもおかしくないぞ」
「それで、奴ら次はどこへ行く? エスメラルダか?」
「エスメラルダ……どうやらハイランドと新たな友好条約を結んだそうだな」
「トップも入れ替わるそうですな。まだ若い司教だそうですが、なんといったか。まあそれはまだ先の話のようですが」
「エスメラルダはいい。いまはマラガ存亡の危機だ」
「特にパーファ家は、でありましょう?」
「名指しで目を付けられてしまいましたな」
ゴンズイとシーズーに憐憫の眼差しを向けられることになろうとは。
五商星トップの座を何年も維持してきたホンドにとっては耐えがたい屈辱であった。
「お困りのようですね」
「むっ」
「だ、誰だ?」
わずかに扉が開いたかと思ったが、誰の姿も見当たらなかった。
だというのに空いた椅子がひとりでに動き、そこに確かに誰かが着席する気配があった。
「ウサンバラだな。ここでは姿を隠すなといつも言っているだろう」
「お久しぶりですね、皆さん」
スゥっと姿を現したのは、変色竜族のウサンバラであった。
周囲の景色に同化して、音もなくこの部屋にまで足を延ばしたのだった。
「貴様、ずいぶんと長い間雲隠れしていたな」
「私などいなくても、あなたたちがいればマラガは一年はもつだろうと思いまして。想定通りでしたね」
「何が想定通りだ!」
「まあまあ。そろそろ厳しいのでしょう? ですので私も次の行動に出る気になりましてね」
「何をする気だ? お前が盗賊ギルドの幹部であったことは承知している。だがそのギルドも今や半壊状態だろう」
「まあそうなんですがね。ですが新たなチカラの目途はつきましたよ」
「貴様……一体何をしようとしている」
「クク」
ウサンバラが低い笑い声を噛み殺す。
「我らの長が戻ってきます。新たなる配下を連れて」
「まさか、再びこの街を戦火に……」
「ここまで耐えてきたのは復興のためだぞウサンバラ! ようやく市民の生活も落ち着いてきて……」
「とはいえもはやジリ貧でしょう。まずはトカゲどもを追い出し……いや、いっそ根絶やしにしてやりましょうよ」
「新たなる配下とはなんだ? そいつらに出来るのか?」
「ハイエルフです。それもちょっとばかり手を加えたね」
「ハイ……エルフ」
「手を加えたって?」
ウサンバラの狂気に満ちた笑いが部屋中に響いた。




