396 エピローグファイナル お別れ
シオリとハクニーがレッドボーンの見える断崖へ訪れた時、そこには誰の気配も感じられなかった。
「ほらね。とっくにいなくなってるはずだもん」
ハクニーの意見はもっともだが、それでも来ずにはいられなかった。
「ねえ、ハクニー。あれがレッドボーン?」
遠くの水平線に見える赤い鉄骨の骨組みに、シオリは既視感を覚えていた。
「ハクニー?」
問いかけに答えないのでそちらに目を向けてみると、ハクニーは離れた地点で地面にしゃがみこんでいた。
何かを見つけたようだ。
「ハクニー?」
「シオリ……これ」
そこには見覚えのあるモノが落ちていた。
マユミの神器、龍騎だ。
「やっぱりここに来てたんだよ。ん? 紙切れもあるけど、何か書いてある……あ」
それにはどうやらマユミを呼び出すための書き込みが記されていた。
「なんて書いてあるの?」
「えと、『アユミについて。レッドボーンで待つ』だって。誰からだろう? 差出人は書いてないよ」
「マユミさんが探してる人の名前、知ってる人物はそんなにいないと思うけど」
シオリがマユミのハイドライドに手を伸ばす。
鞭はおとなしくシオリの手の中に収まった。
「神器の防衛機能が働かない。きっとマユミさんに何かあったんだ」
胸の奥にくすぶる不安を抱えながら、シオリは周囲を見つめ途方に暮れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
シオリは机に向かうとペンを取り出した。
――今日から日記を付けることにしました。
私が日本へ戻ったとき、この異世界での冒険が真実であったとする記録を残すため、そして万が一、私が戻れなくても誰かがこの日記を日本へ届けてくれると期待を込めて。
『聖刻暦一九〇二二年 炎の月 二五日』
たぶん少しの間だと信じているけれど、今日二つのお別れが突然訪れた。
ひとつめはマユミさん。
結局消息は掴めないまま半日探し回った挙げ句、私たちはカレドニアへと帰って来た。
昨日までは気にかけてはいても、そこまで心配することはないと思ってた。
けれどマユミさんの神器だけが残されていたことで不安が増大した。
なにかあっても神器が手元になければ姫神にもなれない。
その報告をしたとき、ふたつめのお別れが訪れた。
タイランさんだ。
「桃姫の探すアユミと、オレの探すアユミは同一人物だ」
紅竜美人。
火炎竜を宿す紅姫の名がアユミ。
暴走してクァックジャード聖堂から飛び出したその人を追う道すがら、タイランさんは私たちと出会った。
それからずっと手助けをしてくれていたけど、それもどうやら今日でおしまいらしい。
「カムルート砦でナキから聞いた。アユミが数ヵ月前、アーカム大魔境にある支配の宮殿に現れたんだとな」
「そこにその人がいるの?」
「いや、間もなく東へと発ったそうだ。ナキも直接会ったわけではないらしい」
「じゃあ……」
「アユミと同行していた奴がいる。エルフの女王にしてマラガの盗賊ギルドマスターだ」
シオリの顔も強張る。
「あのゼイムスを仕込んだ危険人物だ。アユミを放ってはおけん」
「そうだね……」
だから私に、タイランさんを留め置くことはできなかった。
『聖刻暦一九〇二二年 法の月 二日』
三つ目のお別れが訪れた。
話は昨晩まで遡る。
眠れずにいた私は、王城内を散歩しながらふらふらと月明かりに照らされる中庭へとやって来た。
庭の中心にこさえられた泉が月明かりに照らされて明るく見える。
そのほとりでウシツノとアカメが話しているのを見つけ、思わず物陰に潜んでしまう。
なにやら真剣な顔で話し合っていたので声をかけづらかった。
盗み聞きするつもりじゃなかったけど、会話は耳に届いてしまう。
「前にタイランさんが言ってたろ? アマンが紅姫と一緒にマラガにいたって」
「ですがすでに二人は行動を共にしていないようですけど?」
「だからアマンはまだマラガにいるかもしれないだろ? 探しに行くべきだと思うんだ」
「シオリさんを置いてですか?」
「……そうだ」
私は思わず息を飲んだ。
目の前が暗くなる気もした。
「マラガは盗賊都市と言われるほど危険な場所だと聞いた。シオリ殿を連れていくわけに行かないだろ」
「確かにそうです。それでなくともシオリさんはここにいた方がいい。マユミさんが行方不明になりましたよね」
「ああ」
「金姫もです」
「そうだな」
「姫神とはいえ無敵ではないのです。油断はなりません。むしろ狙われることを考慮すべきで……」
「だからお前も残るんだ。アカメよ」
「おひとりで行くつもりですか?」
「ああ」
アカメはウシツノの目を見て決心が固いと悟ったようだ。
「そうですね。元来私は書物と格闘することが生業です。ウシツノ殿と行くよりも、ここで研究を進めた方がお役に立てるでしょう。シオリさんは私ひとりで十分守れますから、どうぞお行きなさい」
「オ、オレは別にシオリ殿を見捨てるわけではないぞ、アカメよ。アマンがいた方がなにかと便利だろう!」
「わかってます。で、いつ発つのです?」
「ったく……明朝だ。シオリ殿を説得したらすぐに発つ」
「できますか? 説得」
「するんだよ! お前こそ役立つ研究なんてできるんだろうな?」
「もちろんです。そうそう、ひとつわかったことがあるんですよ。パンドゥラの箱なんですがね……」
私はそれ以上聞くことを止め、二人に悟られないよう静かにベッドへと戻った。
どう気持ちを落ち着ければいいのかわからなくて、結局眠れないまま朝を迎えてしまった。
鏡を覗くととてもヒドイ顔のまま、訪れたウシツノを出迎えることになった。
用件は知っていたので、必死に私を説得しようと奮闘するウシツノの言葉を黙って最後まで聞いていた。
「いってらっしゃい」
私は彼が不安を抱かないよう快く送り出すことに決めていた。
最後に部屋を出ていく彼を呼び止めると、扉の前で軽く頬にキスをした。
「え?」
「おまじない」
驚き立ち尽くすウシツノを残し、私は扉を閉めてそそくさとベッドへと戻った。
気が付くとお昼をとっくにまわっていて、ウシツノはもうこの城にはいなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「デシシシ! 見たデシよ」
街の門を越えようかという辺りでウシツノに声をかける白ダヌキが現れた。
「なんだバンじゃないか。お前今まで何処にいたんだ?」
「何処でもいいデシ。それよりも、見たデシよ」
バンは当然の如くウシツノの隣に並んで歩きだす。
「見たって何を?」
「女の子を泣かしちゃいけないデシね~」
少し冷やかす口調に聞こえる。
「別にシオリ殿は泣いてなどいなかったぞ」
「ほっぺにチュウされてたデシ」
「あれは、おまじないだよ」
「なんのデシ?」
「……なんのって、さあ?」
「はぁ~、ニブいカエルデシねぇ」
心底呆れた顔でバンがうなだれる。
「なんなんだよ。ところでどこに行く気だ?」
「どこって、バンはお前について行くデシよ」
「ああ? なんでだよ?」
「なんでイヤそうな顔するでし! 元姫神がついていくって言ってるんデシ! なぜ幸運だと思わないデシ!」
「あててッ! バカ、噛みつくな! わかったから! イテェ」
「デシッ」
門を出た二人は一路南へと進路を取る。
こうして剣聖として世界に名乗りをあげた一匹のカエルは、しゃべる白いタヌキを連れて旅立った。
目的地はマラガ。
悪名高い盗賊都市。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ドゴォォオオオン!
突然の衝撃が建物内に響き渡った。
今もまだ微かに揺れが続き、天井から塵がこぼれ落ちてくる。
「なんだトルクアータ? 今の衝撃は?」
「わからんマラカイト。地下からのようだが」
二人のトカゲ族は顔を見合わせた。
地下といえばあるのはあれしかない。
「いかん! 様子を見に行くぞ! トルクアータ」
「おうとも」
地下へは長い長い階段を駆け下りねばならなかった。
二人がたどり着くまでにはまだ数瞬の時がかかる。
地下室に置かれたその棺が、粉微塵に吹き飛ばされたのを最初に知ったのはインバブラだった。
棺が置かれていた台座に向かい、腰を抜かしへたり込んでいる。
目の前に禍々しい闇の瘴気を纏ったカエルが立って……いや、浮遊していたからだ。
「よ、よよよよう……アマン。げ、元気そうじゃないか?」
絞り出した声はどうしようもなく震えていた。
アマンと呼ばれたカエル何も答えず、ゆっくりと右腕を天井に向けて軽く振り上げた。
強烈な闇の波動が辺り一帯を吹き飛ばす。
天井が崩れ月が見えた。
「ま、待てよアマン! 待ってくれ!」
慌てて止めようとするインバブラだったが、アマンにしがみつく黒髪の女にキッと睨まれ腰が引けた。
「行くぞ、レイ」
アマンとレイ、二人は闇に包まれながらインバブラの前から飛び立った。
第四章 聖女・救国編〈了〉




