395 エピローグその9 桃姫
「マユミさんの行き先がわかったって?」
シオリの元に行方を眩ましたマユミの手掛かりをハクニーが持ってきた。
「うん。使用人のひとりに赤い柱の場所を聞いたんだって」
「レッドボーン?」
「ハイランド南西の、海中から突き出た赤い骨組みの柱だよ。天気がいいと遠くの水平線に見えるんだ」
「それはいつ?」
「一週間ぐらい前だって」
マユミの姿を見なくなったころと一致する。
「なんでそんなとこに」
「わかんない。観光したかったとか? あのヒト少し変わってるし」
あっけらかんとハクニーは答える。
シオリと違い心配している素振りは見えない。
そもそも姫神に勝てる者などそういないのだから無理もない。
「とにかくそこに行ってみる」
「もう居ないと思うけど……あ、シオリ待って」
部屋を飛び出すシオリのあとをハクニーは急いで追いかけた。
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「レッドボーンって、あれ……」
遠くの海上を見つめてマユミが呆然とする。
周囲に人気はなく、切り立った断崖から見下ろす海は穏やかだった。
「あれ、どう見たって」
「そうだ」
突然背後に威丈夫が立っていた。
先刻まで誰もいなかったはずである。
気配などなかった。
「……ズァ。まさか貴方からデートに誘われるなんてね。けど待ち合わせ場所としてはここ寂しくない?」
百獣の蛮神ズァの前でマユミが紙切れを捨てる。
「私を呼び出した理由は何?」
ズァがレッドボーンを指差す。
「あれは東京タワーの残骸だ」
「とッ……! エェッ」
東京タワーとは東京都港区芝公園にある高さ三三三メートルの総合電波塔である。
一九五八年竣工。正式名称を日本電波塔といい、テレビやラジオ、鉄道の防護無線用アンテナとして設置された、大都市東京の観光名所にしてシンボルのことである。
「なに言って……なんで東京タワーがここにあるのよ?」
「……」
「適当なこと言わないでよ! だいたいここは……」
「異世界だとでも思っていたか」
「え」
何を言おうとしているのか。
そもそも何故東京タワーを知っているのか。
「そう思うのも仕方ない。いや、そう思いたいであろう。元の世界に戻る希望を持ち続けるためにも」
「な、なによ」
マユミの動悸が激しくなる。
これ以上は聞きたくないと心が囁く。
「ここは異世界などではない。姫神から見れば、未来だ」
未来……。
この世界が、未来の地球。
「な、なんで」
「それを知ってどうする? 異世界なら納得できて、未来なら理解ができぬのか?」
「御託はいい! 未来って、今はいつなの! みんなどうなったの!」
目の前のズァは答えようとはしない。
あそこに東京があった。
「人類は……滅んだの?」
マユミが膝を着きズァを見上げた。
「オレはまだ諦めていない」
「え」
ズァが背中の大鉈を引き抜いた。
「そのために姫神が必要なのだ」
「あんた、いったい何者なの」
「変身しろ桃姫。最後に抗うチャンスをくれてやる」
ズァの鉈が地面を叩き砕いた。
辛うじてかわしたマユミが神器を取り出す。
「どうして私を呼び出したの?」
「貴様が現時点で一番熟れているからだ」
ゴウッ、と鋭い薙ぎがマユミの頭上を通過する。
これは威嚇だ。
マユミの戦闘態勢が整うのを煽っている。
「今世代の姫神はだいぶいい」
少しだけズァが楽しそうに見える。
いまだ混乱が続くマユミはそれが癪に障る。
「ガトゥリンがなんのために存在するか、教えてやろうか」
「なんのため?」
「奴は姫神のための経験値稼ぎでしかない。姫神がレベルアップするために我らが用意した」
「なっ」
「各地に眠る魔神将の、それが務めだ」
「なんでそんなことっ!」
「この世界を維持するためには純度の高いマナがいる。そのために姫神は選ばれた」
「そんな! それで一体どれだけ多くの人達がひどい目に遭ったか」
マユミの脳裏に痛ましいハイランドの景色がよみがえる。
「この世界の住人全てが我らによって救われている」
「ふざけないでッ」
マユミが神器ハイドライドを振り回す。
「そうだ、かかってこい! それ以外に貴様に出来る事はない」
「転身姫神! ナイトメア・サキュバス!」
ゴウッ、と烈風が吹きすさぶ。
幾条にも分かれた鞭の先端がズァに襲い掛かる。
その攻撃を大鉈を振って弾き返す。
最後の一条を払った瞬間マユミの強烈な蹴りがズァのこめかみにヒットする。
「スピニングバットキック!」
蹴りは一撃で終わらない。
靴先の尖ったブーツが連続してズァの上体を蹴り続ける。
上から左から正面から廻し蹴りが襲う。
「何故貴様を呼び出したのか問うたな」
素早い攻撃を受けながらズァが語り掛けた。
攻撃はヒットしながらもダメージはまるでないようだ。
「我らは当初、お前と白姫を低く見積もっていた。だが銀姫もいたとはいえ、ガトゥリンを屠って見せたことで評価を改めた」
マユミの足首を掴むと大きくスイングして投げ飛ばす。
地面に激突したマユミは大きくバウンドして海上へと落下する。
そのマユミを追ってズァも飛び込むと落下するマユミの首根っこを掴んだ。
「特に貴様だ桃姫。白姫よりも先に貴様が適格だ」
首を絞めたまま共に海中に没した。
水の中でマユミが大きく息を吐きだした。
苦し気に呻くが突如ズァも腕をはなし海上に飛び上がる。
ズァの腕がいつの間にか黒ずんでいた。
「毒か」
後を追ってマユミが海から飛び出してくる。
「ブハッ! はぁはぁ、桃色吐息」
マユミの吐いた息がズァの爪の間から体内に侵入して蝕んだのだ。
「少し指先が痺れる程度にすぎん」
「言ってくれるじゃない」
「このような小手先は無用。さっさと全力で来い」
「なんですって」
「フン!」
「ッッッ」
海面を蹴ってズァがマユミに肉薄した。
一気に距離を詰められるとマユミの首に野太い腕を回し背後から絞められた。
「ぐ……」
「貴様を選んだ理由は自在に覚醒できるレベルに達したからだ」
「か、く、せい……」
ズァの身体が変化し始めた。
頭部が獅子のそれに、両肩から山羊とドラゴンの頭が生え、背中にはドラゴンの羽根、生きた蛇が尻尾のようにのたうち回る。
強靭な肉体はさらに数倍に膨れ上がり、牙や爪は鋭く、瞳は燃えるように真っ赤だった。
「ば、バケモノ……」
「これがオレの本性だ。貴様も出し惜しみするならば長くはないぞ」
「舐め、ないでよ……ねッ」
ドパァッ、とマユミの身体から薄桃色の闘気が立ち上る。
身体を縛めていたズァを吹き飛ばし正面に構える。
「覚醒! アフロディーテッ」
「ゴバァァァァッッッ!」
凶暴な咆哮を上げてズァが迫る。
桃色のドレスを輝かせながら、マユミもズァへと強烈な闘気を炸裂させた。




