394 エピローグその8 剣聖と聖賢者
「はぁ……」
ウシツノは大きなため息をついた。
「どうした? 男が人前でため息などつくものではないぞ」
タイランが苦笑混じりに咎める。
「むぅ」
今度は唸った。
「オレごときに資格があると思えないですよ、タイランさん」
「貰えるものは貰っておけばいいじゃないか」
話が見えたのでタイランはことさら気軽に答えて見せた。
「資格なんてものはな、周りが好き勝手にのたまう程度のものなんだ」
そうですか? と訝るウシツノに、そうだと答える。
「けど、オレはまだあいつに勝ったという気もしないですし」
「奴とて最初から強かったとは言えないさ。第一過ごした時間が違う」
「そういえば言われたな。あと十年研鑽を積めば、とかなんとか」
初めて奴と対峙した時の事を思い出す。
カレドニアの東門前でのことだ。
最初は圧倒されっぱなしだった。
「無駄に十年過ごす奴が大半だ。お前はよくやってるよ」
ポン、とタイランはウシツノの肩を叩き立ち去った。
「はぁ」
人前ではなくなったので、また大きなため息をついてしまった。
「いつかちゃんと決着がつけられればいいけどな」
高い高い尖塔のてっぺん、屋根の上にちょこんと座っている。
上から街を眺め下ろすと、全てが見えるようでひとつひとつはハッキリと見えない。
だけど青い空と心地よい風が吹いていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――再び目覚めることがあろうとは。
ケイマンは寝台の上で天井を見上げていた。
急遽組まれたらしい木造のあばら家の中には簡易ベッドが複数置かれ、ケイマン以外にも病人や負傷者が看病されていた。
介護しているのは医者ばかりではないようだ。
仕事や住む場所をなくした者たちが、それでも身体が無事であったことを有意義に使うため、この診療所で働き始めているらしい。
ここにいるのはほとんどが女性だ。
男はより力を必要とする土木工事に雇用されることが多い。
繊細で気を遣うここでは女性の方が適してもいるのだろう。
何よりここでは忍耐が求められる。
その証拠に、働いているのはほとんどが年配の方だった。
「おや、目が覚めたのかい?」
少しやつれた印象のある中年の女がケイマンの様子に気がついた。
「あんた心臓が止まってたらしいよ。けど噂の光る風があんたを生き返らせたって先生が言ってた」
女の言ってることはよくわからなかったが、ケイマンは自分が死ななかったという事実は確認できた。
となればもうここに用はない。
この数日で変わった自分をさらに磨き上げる必要がある。
一介の剣士として、技と心を鍛え直さねばならない。
特に心だ。
「あのカエルとは再戦したいからな」
しかし起き上がろうとするも身体に力が入らない。
意志とは無関係に弱り切っているようだ。
「まだ無理だよ。歩くどころか立ち上がることもできないだろう?」
その通りだった。
何日眠ったままだったのか。
病魔はどこまでこの身体を蝕んだのか。
とりあえず、剣が欲しい。
「刀は?」
「ん?」
「ワシの刀は、どこじゃ」
「剣なんて振れないよ」
「え、ええから……刀を」
「まったく」
後ろを向いた女が次に振り向いたとき、その手に握った短刀が深々とケイマンの胸に突き立てられていた。
「ガフッ!」
「ほんとに剣、剣、剣、剣! どうしようもない殺人狂だねッ! あんたは」
女の形相が一変していた。
先程とは違い、憎しみを爆発させたかのような、それでいて堪えきれない悲しみをたたえたような。
「な、ぜ……」
こんな一撃を受けるとは、普段なら考えられなかった。
急速に身体が冷えていくのを感じる。
「なぜだって? これだけの恨みを買っておいて、見当もつかないほど殺めてきたってのかい?」
復讐か。
誰じゃろうな。
「騎士見習いのミケル! 私の息子だよ!」
「ミ……ケ、ル」
聞いた覚えがない。
「ひどい砂嵐がカレドニアに起きた日、スラムの入り口であんたを止めようとして殺されたんだ! あの子はまだ十八だったのに。新しく東門の警備を任されることになったって、街のために頑張るって、あんなに張り切っていたのに。あんなに真っ直ぐで……」
それ以上は嗚咽で言葉にならなかった。
異変に気づいた周囲が女を押さえ、短刀を取り上げている。
医者らしき者がケイマンに近寄るが、すぐに首を横に振るのが微かに見えた。
ああ、あの小僧か。
覚えておる。
亜人ばかりの冒険者どもに逃げられた直後じゃったな。
「あれは、強うなるな」
ケイマンに剣を突きつけられながらも剣を引こうとしなかった。
引けば敗北が身に染みると理解していたのだ。
「だから逃げなんだ……あの小僧、見込みがある……」
すでに何も見えなかった。
声は届いただろうか。
女への慰みにはなっただろうか。
今度こそ、剣聖グランド・ケイマンは、二度と覚めることのない、深い深い眠りへと落ちていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ウシツ……じゃない。クラン・ウェル。ならびにアカメ・アドレアン・フォーチュナー。前へ」
緊張で少し震え気味なシオリの声音が広間に響く。
あつらえたステージに白いドレスをまとったシオリが立っていた。
その横にミゾレやジルゴといった面々もいる。
王政を廃したため玉座が取り払われ、代わりに執政官が居並ぶための舞台が用意されたのだ。
大広間を見渡せば多くの人々がいた。
そのほとんどがウシツノにとって今まで縁のなかった貴族や騎士であった。
ウシツノとアカメが進み出る。
二人ともこの日のために用意されたこの国の正装であった。
カエル族のためにわざわざ仕立てて貰ったらしい。
デザインを多少アレンジすることで二人ともとてもハイランド人のように見える。
そう周りからからかわれたりもしたのだが、今は厳かな雰囲気に包まれ軽口をたたく者もいない。
「此度の両名の活躍を称え、ここにそれぞれ我がハイランド所縁の称号を授ける」
レームが精一杯威厳のこもった宣誓を発すると、ミゾレが後を継いだ。
「カエル族クラン・ウェル。そなたに剣聖の名を与える」
片膝をつき、ウシツノが静かに黙礼する。
「カエル族アカメ・アドレアン・フォーチュナー。そなたに聖賢者の名を与える」
アカメも丁寧に礼を返した。
「ここに新たな剣と賢が誕生した。両名の力と智慧は、ハイランドのみならず、この亜人世界を隅々まで駆け巡ることだろう!」
ジルゴの宣誓が終わるや否や、広間に詰めかけた人々から一斉に歓声が巻き起こった。
ウシツノとアカメに親しい者が祝福を携え殺到する。
その中にはベルジャンを筆頭にケンタウロスたちもいた。
シャマンたち他所から来た冒険者たちもいた。
水の精ウンディーネたちも踊り楽しんでいる。
そしてこれから共に歩もうと親しみを込めて取り巻く人々も大勢いた。
歓びにもみくちゃにされるウシツノとアカメを眺めるシオリの顔は穏やかだった。
この国にある剣聖と聖賢者という称号を知った時、シオリは二人に与えたいと願い出た。
これまで助けてくれた二人にお返しがしたかったのだ。
「ごめんね。タイランさんにも剣聖あげたかったんだけど、ひとりしかダメだって」
「必要ないさ。オレにはな」
シオリの傍に来たタイランが笑って返す。
まだすべてが終わったわけではない。
しかし一定の成果はあった。
今は少し休んでもいいだろう。
ウシツノとアカメが人の波を搔き分けてシオリとタイランのところまでやってきた。
すっかりキチンとした正装が乱れ切っていた。
その姿にシオリは心の底から笑い声をあげた。




