391 エピローグその5 堕ちた宮殿
「こいつでどうじゃ! 〈六の表護符・月下氷陣〉」
クルペオの放り投げた二枚の符の間に凍てついた氷雪が巻き起こる。
符術を得意とする狗狐族のクルペオ最大の攻撃力を誇るのだが。
符の間を吹き荒れる氷雪をものともせず、鋼鉄製の動く人形はこちらに向かい殴りかかってきた。
「チッ、やはりこ奴等に氷結系は効かぬか」
「そうでもないんよ!」
クルペオの後方から全速力で駆けてきたレッキスが、果敢にもゴーレムに全力で飛び蹴りを放った。
ガゴッ! と顎の下にぶち当てた足の裏から何かが折れたような音と衝撃があった。
どうやら関節部分が凍りついたせいで動きが緩慢になったようだ。
レッキスの蹴りに対し防御が間に合わず、そのまま受け身も取れずに背中から地面に倒れ込んだ。
「どけ、レッキス!」
その倒れたゴーレム目掛け、シャマンの格闘用魔道具、剛力駆動腕甲から射出された重たい棍棒が頭部を叩き潰した。
バタバタと動いていた手足もやがて動かなくなる。
「ふぅ、止まったか」
クラブを出した右肘から蒸気を噴き出しながらシャマンが安堵する。
「物見遊山で引き受けちまったが、えらく出費がかさんじまうな」
「炎炭石ならいっぱい貰ったじゃないか」
「ここにこんなにも生きた番人がいるなんて想像してなかったんだ」
こことは今シャマンたち五人、すなわちシャマン、クルペオ、レッキス、ウィペット、メインクーンがいる堕ちた宮殿のことである。
獣神ガトゥリンがいた光の宮殿は、シオリ達との戦いの間に上空高くから墜落した。
墜落場所は聖都カレドニアと城塞都市ネアンの丁度中間。
東アップランド平原の真ん中ら辺であった。
周囲はクレーター上に陥没し、宮殿から崩れ落ちた瓦礫があちこちに散乱した。
しかし大部分は地面にめり込み傾いたとはいえ、その威容は健在であった。
近づいてみると想像以上に大きく、王城ノーサンブリアよりも倍以上の広さがあるかもしれないと感じた。
「後悔しているのか? この宮殿内の調査を請け負ったことを」
「いや、そういうわけじゃないんだがよ」
ウィペットの指摘にシャマンはバツの悪い顔を見せる。
「結局オレたちは獣神との戦いに対して役立てなかっただろ? 汚名挽回っつうかよ」
「汚名返上ね」
ゴーレムの背後、閉ざされた扉の鍵を開錠しようと、メインクーンが悪戦苦闘しながらもしっかりと間違いを訂正する。
光の宮殿内はアカメから聞いていた通り、湿り気が強く、どこも苔生してばかりだった。
苔は微かに発光しているものが多く、専門の知識を持たない一行はヒカリゴケの一種だろうと推測するまでであった。
アカメから聞いていた事前情報は、入口から獣神がいた広間までのごく簡単な経路のみで、シャマンたちはそれ以外の部分を探索し、安全を確認することが役目だった。
しかし宮殿内に踏み込んで早々、動き出した番人に襲われたのだ。
最初の内はガーゴイルやスケルトンといった類のものだった。
小部屋の入り口や、朽ちた宝箱を護るように襲ってきた。
撃退し、意気揚々と宝を漁ってみるも、入っていたの錆びた剣や干からびた薬剤のようなものがほとんどで、大した実入りもなかった。
そうやって探索を数時間続けた後、宮殿内の最下層、いまや地面に深く沈み込んでいるであろう部分にまで降りてきたところ、先ほどのゴーレムに遭遇したというわけだった。
「今までの扉に比べてやたら苦戦してるな、クーン」
鍵開けはあまり自信があるほどではなかったが、それでもそこいらの盗賊よりは器用にこなすメインクーンである。
「魔術でロックされてるわけでもない限りは必ず開けてみせるよ」
「頼もしい」
その言葉通り、カチリ、という音と共にメインクーンから笑みがこぼれる。
「開いたか。よし、任せろ」
シャマンが扉に手をかけるとゆっくりと両開きに押し開いていった。
「お、おお」
「なんだ? ここは?」
「これは……いったい……」
五人はそれまで目にしたこともない光景に畏怖していた。
「なにかの、研究室みたいなものかのう……」
クルペオの意見に全員同じ感想を持った。
そこは大層広い空間だった。
床は黒檀のようで黒光りしている。
中心にオークの木でできた大きめの作業机があり、フラスコやビーカーといった実験器具が散乱していた。
他にも様々な書物が本棚に並べられ、見たこともない草や石も置かれている。
「ここは苔が生えていないようだな」
メモの切れ端やら雑貨やら、墜落の衝撃で散乱してはいるが、これまで見てきた宮殿内とは異質であった。
「錬金術とかしてたのかな?」
「獣神がか?」
「そもそもこの宮殿は何のためにあるのだ?」
それは皆目見当がつかなかった。
「おいレッキス、あまり遠くへ行くなよ。そっちは暗いぞ」
「別に誰もいそうにないんよ。シャマンは幽霊が怖いだけなんよ」
「な、ちがっ!」
「ん? ここになんかスイッチみたいなのがあるんよ。なんだろう」
「レッキス! 迂闊に触んな……」
メインクーンの制止は間に合わなかった。
好奇心と無警戒がレッキスにスイッチを入れさせていた。
壁に鎖で釣り下がった鉄の輪を引っ張っていたのだ。
ゴロゴロゴロ、と壁の向こう側から微かな振動が伝わってくる。
「バカレッキス! トラップかもしれないにゃ」
しかしその心配は杞憂だった。
五人を襲う危険は何も起こらず、代わりに室内を照らす光が足元から発していた。
「床が、光ってるんよ」
「なにこれ? 灯り?」
「ウワァッッッ! う、上を見てみろ」
シャマンの驚く声で全員天井を見上げた。
想像以上に高い天井は最後まで光が届いておらず、円錐の内側を見るように暗闇へと吸い込まれていく。
その壁一面に無数のガラスケースが張り付き、ひとつひとつ中になにがしかの生物が収められていた。
「なにあれ?」
「剥製……か? 様々な種類の動物がいるみたいだ」
「生きておる者は、いるわけがないか」
なんともうすら寒さを感じてしまう。
ケースには犬や猫、猿や狐、カエルやトカゲもいる。
「生物の標本を並べているのか。ここはなにかの実験室なのだろうか?」
「シャマン、いったん帰ろうよ」
「……そうだな。アカメに話した方がよさそうだ。オレたちにはさっぱり過ぎる」
「この宮殿内もまだまだ探索が足りていない。これは少し腰を据えねばならないようだぞ」
「そこまで付き合えないんよ」
ウィペットの見解にレッキスは反対だった。
「いろいろあったけど、私らはミナミを助けに行かなきゃいけないんだ。ここに長居は出来ないんよ」
「むぅ……」
レッキスの気持ちはみんなも同じだった。
ハイランドでは断片的ではあるがいくつかの手掛かりも手に入れてある。
特にバンという元姫神を名乗る小動物からはもう少し、彼らが追うゴルゴダについて聞き出せそうだった。
「シャ、シャマン! レッキス! こ、こっち……」
「どうしたクーン?」
メインクーンが入ってきた扉の上部を指差し口をパクパクさせている。
何をどう言えばいいのか混乱しているようだ。
「どうしたんよ」
全員で扉を見上げる。
灯りがついたことで先程まで気が付かなかった部分までがよく見えた。
そこの壁には銘板が埋め込まれてあり、いくつかのかすれた文字が見てとれた。
「これって……まさか」
「やっぱ、そう読めるよね」
ゴク、とメインクーンが唾を飲み込む。
彼らにはそれがこう読めたのだ。
「ゴルゴダ・ラボラトリー……だと?」




