390 エピローグその4 法王
「それにしてもスゴいタイミングで現れたものね。サトゥエ女王」
紅茶の入ったカップに口をつけながら、ミゾレは目の前に座るアカメと、そして部屋の角で畏まるギワラを交互に見やった。
「おかげでユニコーンの貸与がすんなり約束できてよかったですけど」
ミゾレは同じ卓に座るよう勧めたのだが、ギワラは固辞して壁を背に立っていた。
「事前にギワラさんを遣いに出していただなんて。全く抜け目のないこと」
「ですがここまで都合よくいくとは思ってはいませんでしたよ」
アカメは菓子皿からひと欠けらのビスケットを摘まみ口の中に放り込んだ。
こういった甘い嗜好品も用意できるほどに物流は回復しつつある。
「ねぇギワラさん。どうやってあの女王を説得なさったんですの?」
「大司教の悪事をタイランさんが暴いた後でしたので、それほど難航はしませんでした」
「でもそれにしたって女王自らお出でになるなんて」
「ハナイ司教の居場所をお教えしたのは私です。桃姫に聞いておりましたので」
「そうなの?」
女王のいるカムルート砦へと発つ直前、マユミがギワラに教えてくれたらしい。
その情報を伝え、急ぎ回収に向かったため、実は予定より帰国が遅れたという事だった。
本来なら獣神退治に駆けつけるつもりであったらしい。
「結果的には間に合わなくてよかったと思いますよ。女王の身を案じればこそ」
「ハナイ司教とはあの結晶体の中で眠っていた女性ですわね」
ええ、とギワラが相槌をつく。
「エスメラルダでは聖女と慕われている御人だそうです」
「その方があんな恐ろしい状態でいたなんて」
「そうね……」
ミゾレもビスケットを手に取り一口食べてみる。
紅茶にとても合うと思った。
「ほんと見事でしたわ、シオリさん」
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目が覚めたとき、ハナイ・サリ司教は自分が清潔なベッドの上にいることと、傍らで椅子に座ったまま眠りに落ちている銀姫ナナに左手をしっかりと握られていることを理解した。
「私……」
センリブ森林でエルフに囚われてからの記憶が曖昧だった。
無理に思い出そうとすると胸が苦しくなる。
多少の不安を感じた目覚めだったが、ナナのあどけない寝顔を見ると不思議と心は落ち着いた。
身体の不調を一切感じないこともハナイを助けた。
生まれてから今が一番体調が良いとまで思える。
着せられた上質な白絹の寝間着の襟元を引っ張り自身を確認する。
傷どころか傷痕すらない。
微かな記憶の片隅には胸を貫かれた記憶があるのだが。
「うぅん」
ハナイのそのわずかな身動ぎでナナが目を覚ました。
ハナイを見上げるナナの目が大きく見開かれる。
「ハナイさま!」
「おはよう、ナナ」
「ハナイさまぁ」
抱きついて嗚咽を洩らすナナを見て、ハナイは随分と心配をかけていたことを痛切に感じとった。
「申し訳、ありません、ハナイさま。ヒグッ。あの時、お助けすることが出来ずぅ」
「いいんですよナナ。こうしてまた無事にあなたの泣き顔を間近で見られたのですから」
「ッ! ま、またそんな意地悪を言う」
「フフ」
ハナイが笑っている。
その笑顔にようやくナナも安堵を覚えた。
コンコン、とノックの音がする。
少しの間を置いて扉が開くと、入ってきたのはサトゥエ女王ひとりだった。
ここは仮にもハイランドの王城である。
他国の城内を女王がひとりで出歩くなんて。
と、咎めようにも口には出せず。
それだけ急速に両国の関係は良好に向かっているとも言えた。
「あら、お取り込み中だったかしら」
ナナの思惑も知らず、意外なほどに女王の声は明るかった。
二人を揶揄するほどにである。
ハナイとナナは顔を赤らめながら握っていた手を離し襟を正した。
「失礼しました。陛下」
ナナが身を引き女王に席を譲る。
「いいのよ。ごめんなさいね。用件だけを話したらすぐに退散するわね」
ジッとサトゥエがハナイを見つめる。
その雰囲気はとても真面目で、ハナイも女王が単にお見舞いを述べに来たのではないことを察した。
「身体の調子はどうかしら?」
「問題ございません。陛下にはご迷惑を……」
謝る素振りを見せたハナイをサトゥエが止める。
「謝罪すべきはわたくしの方です。大司教にいい様に操られてあなたや民を苦しめてしまいました」
「陛下……」
ふぅ、と一息つくとサトゥエは本題を切り出すことにした。
「単刀直入に言うわね。ハナイ司教」
「はい」
「わたくしに代わって、サキュラ教エスメラルダの法王におなりなさい」
「そ、それって!」
思わず声を上げたナナが驚くのも無理はない。
サキュラの法王になるということはイコール、エスメラルダを統べる女王になるということなのだから。
ハナイは民衆の支持があるとはいえまだ若い。
配属されたオールドベリル大神殿の司教に就いてまだ何年も経っていない。
「私などでは……」
「あなたこそ適任です」
有無を言わさないサトゥエの気迫があった。
威厳と言ってもいい。
冗談を言っているようにはまるで聞こえなかった。
さすがのハナイも指先が震えるのを自覚した。
「私に務まるでしょうか」
「もちろんです」
この数年、常に張りつめていた女王の頬がようやく緩んだ。
それはおそらく、本来持っていたであろう慈愛の女神への信仰心が表れた笑顔。
つまり、ナナにとっては初めて見る女王のほほ笑んだ顔なのであった。




