388 エピローグその2 恩返し
街中の目を覚ました者たちが少しずつ冷静さを取り戻していく。
思ったほどの混乱をきたさなかったのは僥倖だった。
そうして人々が平穏を取り戻しはじめて半日が経過した頃、傾き始めた夕日の中、東から訪れた一団があった。
「ネアンの領主ミゾレ・ネアン・カナンであります」
よく通る声で門前からそう叫ぶと町中からの歓呼が彼女を出迎えた。
ミゾレは持てるだけの支援物資を携え、エスメラルダの騎士団と共にやって来たのだ。
あらかじめ連絡は行き届いており、ミゾレはすぐに王城ノーサンブリアへと招かれた。
しかし迎えに来た馬車を前にミゾレは首を横に振った。
「お待ちになって。わたくし先に赴きたい場所がありますの」
「赴きたい場所ですか?」
「ええ。ですからどうかこちらの方だけお先にお連れになって」
使いの者が「はあ」と返事するや、ミゾレの後ろからズカズカと歩いてきたのはこの国の第三皇子クネートだった。
「疲れた。早くゆっくりしたい。城へ帰るぞ」
少しくたびれた様子だが、どうやら息災のようだ。
美しきネアンの新領主を迎えに意気揚々と現れた使いの者は、渋々とクネートひとりを乗せて馬車を走らせることになった。
破壊の痕が残る石畳の上を馬車がガタゴト揺れながら去っていく。
「さてと」
それを見送ってからミゾレは踵を返した。
お付きの従者数名だけを引き連れ、上流街の中でも寂れた一角へと進んだ。
「修繕には時間がかかりそうね。けど」
街全体を見渡してみても、荒れ果ててはいたが住人たちはみな一様に元気だった。
「シオリさんの癒す力ってスゴいのね」
単に傷を癒すだけではない。
心にも活力を与える力があるのだろう。
「いえ、きっとシオリさんの存在そのものが、近くにいる人を元気にさせるのでしょうね」
ランダメリア教団の牢屋で二人、囚われの身であった時を思い起こす。
あの時は連行されてきたシオリを見て自分が護らなくては、という気になった。
結局は助けられたのは自分であったが、それ以前に自分を奮い立たせてくれたのがシオリなのであった。
「本来はわたくしたちが政治の力で与えねばならないというのに」
そう言いながらミゾレが立ち止まったのは、半ば廃墟と化した屋敷の前だった。
周囲に門番なども見当たらないので、勝手ながら中へと入らせていただく。
「ごめんください」
少し小声であったのだが、期待していなかった応対する声が奥から返ってきた。
「誰だ?」
その声に懐かしい気持ちが込み上げる。
「わ、わたくしです。ミゾレです」
奥から長い黒髪に白衣を着た男が現れた。
「お久しぶりです。ジルゴさま」
「ドクターと呼んでくれ。今の私はドクターダンテだ」
「お聞きしていますわ。それではドクター、十年ぶりでしょうか」
「そうだな。立派になったな、ミゾレ」
ドクターダンテは本名をジルゴ・アダイという。
父の代までハイランドの貴族階級であったが、先王ブロッソの不興を買い身分を剥奪された。
「オロシ伯爵は残念だった。没落した私の面倒を見てくれた恩人であったが、ご恩をお返しすることも出来なかった」
オロシとはミゾレの父である。
先のエスメラルダとの戦で戦死を遂げている。
「では、代わりにわたくしにそのご恩をお返しいただけませんこと?」
「ん」
「失礼ですが、闇医者としてのお仕事は当分ありませんのでしょう?」
「……」
一時的に治安は悪化するかもしれない。
それで怪我を負う者もいるだろう。
しかしダンテを斡旋する盗賊ギルドは壊滅している。
ダンテを知っているごろつきもいるだろうが、彼らは払える金を持ち合わせてはいない。
「それに白姫という存在が知れ渡りました。彼女を頼る者も多く出ることでしょう」
シオリにどこまで負担がかかるかは未知数だが、ミゾレはダンテへの説得材料として少しばかり大袈裟に煽ることにした。
それにミゾレには少しばかり治安維持への腹案もあった。
「なにをさせたいのだ?」
「わたくしと共に、王城へお越し下さい」
ミゾレが嬉しそうに微笑みながらそう言うので、ダンテは断ることもできなかった。




